パンデミックの倫理学 広瀬巌著 勁草書房
[レビュアー] 仲野徹(生命科学者・大阪大教授)
新型コロナウイルスの状況下、逼迫(ひっぱく)する医療資源の配分やワクチン接種の優先順位をどうすべきか。市場原理にゆだねるなどというのはもってのほか。倫理に基づいて決めるべきだとは思うが、はてどう考えればよいのか。
WHOのパンデミック対応策の倫理指針作成に携わった哲学者による解説書がこの本である。なんだか難しそう、おそらく読み切れないだろうと思って手に取ったが杞憂(きゆう)だった。言葉の定義が明瞭で、わかりやすい例がたくさんあげられており、すとんすとんと腹落ちしていく。
常識的判断と倫理理論は必ずしも一致しない、という話から始まる。そこから公平性や透明性といった概念が丁寧に説明され、さまざまな検討がなされていく。そして、医療資源分配についての結論は「救命数最大化」。できるだけたくさんの人を助けるべきである、と明快だ。
だが場合によっては、「生存年数最大化」、すなわち、高齢者より若年者を優先することが許容されることもあるとする。ただし、その場合は、高齢者差別につながらない措置が絶対的に必要だと論が進められる。なるほど、何をもって「公平」とするかは意外と難しいのだ。
ワクチンについては、救命数最大化という観点からも、重症化リスクについての公平性からも、医療資源分配の場合とは違って、高齢者への優先接種しかありえない。納得の結論だ。
倫理だけでなく、疫学や経済的影響なども考慮せねばならないのが物事を複雑にしている。緊急事態宣言のような場合、「自由の制約」と「基本的権利の尊重」とのバランスは誰も事前に知ることはできない。しかし、「政策責任者はそのバランスについての判断をしなければならないし、その判断を誰かがしなければならないからこそ政策責任者がいる」のである。
為政者はもちろん、我々自身もこういった倫理的な考え方を身につけておくべきだ。その格好の入門書、いまこそ読むべき1冊である。