「現実では歓迎されない男らしさが描かれるドラマやアニメがヒットする理由」~『愛と性と存在のはなし』出版記念 赤坂真理×鈴木涼美 初顔合わせ異色対談

対談・鼎談

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愛と性と存在のはなし

『愛と性と存在のはなし』

著者
赤坂, 真理, 1964-
出版社
NHK出版
ISBN
9784140886403
価格
935円(税込)

書籍情報:openBD

「現実では歓迎されない男らしさが描かれるドラマやアニメがヒットする理由」~『愛と性と存在のはなし』出版記念 赤坂真理×鈴木涼美 初顔合わせ異色対談

[文] アップルシード・エージェンシー


赤坂真理さん

「セクシュアル・マイノリティは存在しない」という衝撃の宣言から、「なぜなら、自分の中を本当によく見たら、『ひとり1マイノリティ』ほどに人間は多様だから」ということを実際に解き明かしていく圧巻の『愛と性と存在のはなし』。

異性間恋愛の人こそ実はセクシュアル・マイノリティなのではないかと昨今のジェンダー論やLGBTQ議論に新たな波紋を投げかけた話題作『愛と性と存在の話はなし』(NHK出版新書)は、作家、赤坂真理さんが6年ぶりに上梓した新書である。

出版を記念して『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)で鮮烈なデビューを果たした後、『おじさんメモリアル』(扶桑社)などで世の中を仕切る男性に切れ味の鋭いエッセイを発表し続けている鈴木涼美さんと、初顔合わせとなるトークイベントを赤坂真理さんが所属するアップルシード・エージェンシーがまとめた。

 ***

電車が好きな男とピンクが好きな女はジェンダーバイアスの産物なのか

鈴木涼美(以下、鈴木) いわゆるフェミニストの人たちの中で、男性に女性的な思考を身につけて欲しい、という欲があると思うんですけど、逆に女性が男性的な考え方をすると、「名誉男性」とか言われて裏切り者みたいになったりするのに、男性にはそれを求めるのかと思うこともあって。男の人が男的な思考をする、その中にも多様性があるのは自然なことじゃないですか。

『愛と性と存在のはなし』の中で私がすごく面白かった、エレキギターのくだりがあるんです。「不安定にぶら下がっているものを、身体の一部のように扱うのは、男のほうが向いている」っていうところ。別にエレキギターはジェンダーバイアスで遠ざけられていたから女性が苦手なわけじゃなくて、体にぶらぶらぶら下がってるものを扱うのが苦手っていう(笑)。

飛行機の中で読んでめちゃくちゃ笑ってしまいました。

赤坂真理(以下、赤坂) そこ拾ってもらえたのがすごくうれしいです。「女の子がやるものじゃないです」って遠ざけられてきたから、エレキギターが苦手なのかと思ったんですよね。本当にジェンダーバイアスだけでは語れないと思うんです。

わたしはクラシックギターをやったことがあって、同じ楽器だろうなと思ってエレキギターに憧れて触ってみたいなと思っただけなんだけど、やってみて全然できないのね。クラシックギターは密着面が多いのだけど、エレキというこの不安定なものを支えることからしてもう駄目。下ネタを言う気は1ミクロンもなく、ブラブラぶら下がってるものを扱うのは男の方が上手いなと身をもって知ったと。あと、体を拡張したいっていう欲求は男性の方があるみたいで、だから音の電気増幅とかが素朴にうれしかったって語る男の子は多いんです。その感じはわたしも頭ではわかるし、憧れを持つんだけど、自分がやった時はいきなり大きな音を出すと「怖い」っていうのがあった。それは自転車からエンジン付きのバイクに乗ったとき怖かったのと似てた。結局、エレキギターに関してはずっと、慣れることがなかった。

鈴木 私は社会学の研究室にいたんですけど。会社辞めた後博士課程に戻ろうかなと思って。再入学の審査を受けて、一度戻ったんですが、瞬時に興味を失ってしまったのは、社会学は基本的に「全て社会的に構築されたものである」という、要するに本質については語らないところがあったからです。

「女の子がピンクを好きなのは、子宮からくる欲望ではなく、社会が女の子にはピンクを割り当ててきたから」とか「AV 女優が私たちは自由意志でやっていると思っているのも、社会的に構築された意思だ」っていう、大枠としてはそういうところがあるので、それが私は感覚的な人間だから嫌になってしまったんです。

「あなたが思っていることも、それはすべて社会が押し付けてきた感覚であるのよ」って言われることにすごく嫌気がさして、社会学なんてもうやるもんかとやめちゃったんですよね。

私の友人で東大の社会学を出てすごく優秀な女性で JR に入った人がいるんです。彼女が研修で新幹線を運転してみて、これは女性には無理だって思ったというエピソードがあって。

赤坂 わかる! 偏差値的には入れてしまったんだけど、身体感覚、肌感覚的には、ここじゃない、と直感しちゃったんだと思う。その人の感性と潔さ、好きだなあ。涼美さんに起きたことも、わかり、わたし自身も社会学に行ききれなかった経緯があるので、その気持ちがすくい取られた感じがして、何かうれしかったです。

鈴木 彼女はとても優秀だから、男の子より優秀で東大に入ってきたわけじゃないですか。でもJRに入ってみたら、新幹線の運転は、いくら「ジェンダーバイアスで男の子の仕事ですって思わされていたから、そう感じるだけです」と言われても、実際に触ってみたら「私のやることじゃない」とすごく思ったらしいんです。それで結局別の道に行ったんです。なんとなくそこで彼女の感覚がどんと変わってしまった。なんでも男女平等で育ってきたのに、そこで男女差を初めて感じた。しかも彼女は社会学の出なので、男女の差なんて社会的に構築された差でしかないと思っていたのに。男の子は新幹線研修をすごく楽しみにしていたみたいなんですよね。

赤坂 男の子は好きでしょうね~、大きな乗り物を自分が動かす、とか。それはたぶんジェンダーバイアスだけでそうできてるって話じゃないと思います。ジェンダーとセクシュアリティの話が混ぜられ過ぎていて、どっちかいうとジェンダー(性の社会的役割)ばっかり語られている感じはする。

鈴木 そうですね。社会学は「これはこういうきっかけがあって、この時からこのようにされた歴史がある。だから今そうふうに思うのは、そのように構築されてきたからなのです」という風に言いたがる人にとってはすごく良い学問なんですけど、でもそう言われても実感として男女差を感じてしまうと、やっぱり居心地が悪かったんでしょうね。

赤坂  身体の違いですよね。生まれてこのかた、その身体が自分のインプット経路でありアウトプット回路だったわけです。身体の違いが感じることは、大きい。でも言葉にしにくい。「感覚的に嫌なの」とか「感覚的にこっちがいいの」って言うと、すごく不合理なことを言っていると思われやすい。これは、傾向として、女性がこうむってきた不利益、と言えるかと思います。

鈴木 そうですね。クールぶってるじゃないですか、みんな。理性派ぶっているっていうか。でも感性だって理性と同じくらい尊いと思うんだけど。

赤坂 それは名言だ。

時代物か異世界でないと男性優位の世界観は描けなくなっている


鈴木涼美さん

赤坂 いま『鬼滅の刃』がすごく流行っていますよね。時代設定は大正期で主人公の少年、炭焼きの長男、炭治郎が、不屈に闘える理由として口にする言葉が「負けない!僕は長男だから!」と。これ「僕は男だから!」と言ったら全く受けなかったと思うんです。でも、何か重圧を背負って家族(妹)のために力を出す男の話を、人々が見たいと思ってたんだな、とそれが興味深かった。兄妹というところがうまい。家族ものと恋愛ものの交点みたいな感情が、描ける。そこが見る人の感情に訴えかけるんだと思うのですが。よく今時こんなジェンダーバイアスバリバリの決め台詞を吐くキャラが愛されるものだと、驚嘆して観ていたのです。

が、何でその時代なのかと考えたら、大正時代しかありえないんですよね。

それは一つには現代が自由すぎるから、制限をかけられたい気持ちが人々にあるのかなっていうことと、その前の時代ではまだそこまで民衆の個がそんなに立たなくて描けないことがある。制限があって、ある程度自由の気風がある、大正時代より後でも成立しないと思います。あれが昭和だったらああいう属性、動機、パーソナリティは間違いなくりっぱな帝国軍人になると思う。明治でも昭和でもああいうタイプは軍人になるなぁ。そうしたら今の大衆に愛される要素はないわけです。本当に設定がうまいなあと思う。あれを描いているのが女性だというのも、なんだか納得したんです。

ジェンダーロール(その性に課せられた社会的役割)の重圧をみずから引き受け、それを個人的な原動力にする。現代ではありえないほどに「典型的」な男が描ける。今、「強い」「女を守る」「戦う」という男の主人公を描ける素地は現実にはなく、現代で描いたところで愛されるキャラにはなりにくい。

鈴木 そうですよね。それに関して言うと、今流行っているものは異世界に行くものかな

と思います。例えば『愛の不時着』は北朝鮮に漂着するから、ジェンダーバリバリの男が守ることができるわけですよね。『鬼滅の刃』は時代を遡り、なおかつ妹が鬼にされちゃっていて、竹を噛んでなきゃいけないという。女に猿轡した状態のものが流行るのが凄いなって思ったんだけど、でも、そういう何かしらの制限がかかっていると、昔ながらの男性ヒーローものが作れるのではないでしょうか。

赤坂 ヒーロー、強い男を見たいっていう欲求が人々の中にやはりあるけれど、もう自国の現代の設定ではできなくなっているんだと思いますね。

韓流ドラマも元々その「アウトソーシング」の一つだったし、その中でも、昨今は設定が難しくなって、北朝鮮という異世界に不時着までしなければならなかった。

自分の国の男はただ優しくあってほしくて、本当はたくましい男がほしいんだけど、自分の国では言えない。そんなことを感じました。十年前くらいかな、第何次かの韓流ドラマブームのとき、韓流スターがなぜかっこいいかというアンケートをたしか『an・an』がやっていて、その中に「兵役で鍛えたたくましいカラダ」というのがあった。自国に兵役があったら恋人や夫が行くのは絶対イヤだと思いますけれど、他国のそれなら欲望の対象にできる。女の欲望も業が深いなあと思う。でもそれをわかる自分もいる。もう一つ言うと、『冬のソナタ』などの第一次韓流ブームを牽引したのは、団塊女性であって、フェミニストで「男は敵」くらいに言う論客でも、ペ・ヨンジュンに目をハートにしていたのをわたしは見ています。自国では忌み嫌いさえする「強い男」「たくましい男」を、他国に求めて、他国ならそういう男を歓迎、という感じがします。

 ***

赤坂真理(あかさかまり)
東京生まれ。高円寺育ち。少しアメリカ育ち。90年に別件で行ったアルバイト面接で、アート誌『SALE2』の編集長に任命される。同誌に寄せた小説が文芸編集者の目に留まり、95年に「起爆者」で小説家デビュー。代表作に、寺島しのぶと大森南朋主演で映画化もされた『ヴァイブレータ』(講談社)、『ミューズ』(講談社・野間文芸新人賞)、アメリカで昭和天皇の戦争責任を問われ惑う少女を通してこの国の戦後を描いた『東京プリズン』(河出書房新社・毎日新聞文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部賞)が大きな反響を呼び、戦後論の先駆けとなった。

大きな物語と個人的な物語は関連するという直感を持ち、社会と個人を結ぶ、批評と物語の中間的作品にも情熱を持つ。そうした作品に『モテたい理由』(講談社)『愛と暴力の戦後とその後』(講談社)など。本作もそうした系譜の作品のひとつであるといえる。

鈴木涼美(すずきすずみ)
1983年東京都出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中からキャバクラ嬢などを経験し、20歳の時にAV女優デビュー。大学院卒業後は日本経済新聞社に入社し、都庁記者クラブや総務省記者クラブなどで5年半勤務。退社して著述家に。大学院での修士論文が2013年に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)として書籍化。世相や男女・人間関係を独自の視点と文体で表現するコラムやエッセイが話題。近刊に『非・絶滅男女図鑑』(集英社)がある。

アップルシード・エージェンシー
2021年2月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

アップルシード・エージェンシー

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