『回想 イトマン事件』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
イトマン事件「三度目の正直」が示す 「バブル御用紙」裏にあった激烈な角逐
[レビュアー] 阿部重夫(ノンフィクションライター兼編集者)
狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる。悪賢いウサギを捕り尽くすと、不要な猟犬は鍋で煮られる、ということわざほど、30年前にイトマン事件のスクープで日本を震撼させた大塚記者にふさわしい形容はない。同じ時代を日経で過ごしたから、スクープの最大の敵が身内にいることは評者も身に覚えがある。
無能な上司ほどビビる、保身に走る、時間を稼ぐ、尻尾を振り、嫉妬から横流しで記事をつぶしにかかる。90年5月の事件第一報が牙を抜かれたのは、日経の主要借入先の一つだった住友銀行の巽外夫頭取(今年1月31日歿)直々の圧力があったからだ。出し抜くには毒をもって毒を制すしかない、と記者が考えても不思議でない。
それがディープスロートとタッグを組んだ自作自演の怪文書バラマキだった。住友の元大蔵省担当、國重惇史氏が『住友銀行秘史』で暴露したが、内部告発を装い「イトマン従業員一同」名で、銀行局長、頭取、日経社長ほか他紙や週刊誌に“手紙”を送って退路を断ち、反応を見ながら次の時機を探った。
禁じ手? 悪辣でなくて人を出し抜けるか。ケモノ道を歩む覚悟はなまなかではできない。脅し、すかし、おだて、くすぐり、不安を掻き立て、転がしたら最後はケサ懸けに斬って捨てる。その非情さと権謀と人脈で、間違いなく彼は一流だった。
だから烹られた。片や天井をにらんで埋め草を書き散らし、スクープにかすりもしない御用聞き記者は「張り子の虎」で出世していく。仕返しは日経社長追及の内部告発に及んだ。他方、國重氏は楽天を経てワキ甘の醜聞に塗れ『堕ちたバンカー』(児玉博氏近著)となった。
二度この事件を本にしながら、元週刊朝日記者のインタビューに応じて、「三度目の正直」本を出した理由は、正義というより執念だろう。が、第三者の目が入ると彼の毒を客観視できる。兵(つわもの)どもが夢の跡――。
イトマンは跡形もなくなり住友も過去に封印した。検察冒頭陳述の1000万円協力者問題も幕引きが済んだ。だが本書の価値は、「バブルを煽った御用紙」の裏で激烈な角逐があったことを、日記とメモで浮き彫りにした点にある。
内なる狡兎は残った。リーク以外抜けない。薄っぺらな正義と広報とのニギリで、チョウチン記事だらけ。では、怪文書とチョウチンとどっちの罪が重いか。金融界もメディアも監督当局も右肩下がりの傷を舐めあう今、記者の矩(のり)とは何か、その一線を考えさせられる本である。