私は信田さよ子を知らなかった『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』

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私は信田さよ子を知らなかった『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』

[レビュアー] 東畑開人(臨床心理士)

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(評者:東畑 開人 / 臨床心理学者、白金高輪カウンセリングルーム 主宰   http://stc-room.jp/ )

 はじめに断っておく。広い読者に向けられた本でもあるけれど、ひとりの心理士として書きたい。この書評の題は、そういう思いからつけたものだ。

 私は信田さよ子を知らなかった。不明を恥じる。だけど、私だけじゃない、と言い訳したくなる。誰も信田さよ子を知らなかったのではないか。
 もちろん、みんなが信田さよ子を知っている。それもわかっている。彼女はおそらく、日本で最も有名な心理士だ。アディクションとDVの第一人者であり、数えきれないほどの本を書き、多くの良き読者がいる。
 それでも思う。信田さよ子は孤独ではなかったか。この25年間、彼女はたった一人で体系を編み上げ、オルタナティブな臨床心理学を構築してきたのではなかったか。

 私が信田さよ子を知ったのは、この5、6年だ。ああ、なんたる不明。もちろん、名前は知っていたし、本にも目を通したことはあった。だけど、私は信田さよ子を知らなかった。彼女のことを自分とは縁遠い領域で、縁遠いアプローチをしている人だと思っていた。いわば、辺境の民だと思っていた。不明を通り越して、無明である。辺境の民はこっちだったのだから。
 そんな私にいくばくかの明かりをもたらしたのが、『依存症』(文春新書)だった。この本は依存症を近代社会という文脈から読み解いた不朽の名作なのだが、私にとって重要だったのは、彼女が従来の臨床心理学とは全く異なる視座から心を見ていることだった。信田さよ子は心の内側を覗き込むのではなく、心の外側を見渡している。しかも、巨大な社会を視野に収め、睨みながら、その上で極小の心に焦点を当て続けている。繊細に、そして精密に。

 ここには革命がある。信田さよ子はもはや心理学を基礎理論としていない。彼女は女性学をはじめとする社会理論をインストールして、全く新しい認識論を作り上げている。これを単なる社会理論の応用と思ってはいけない。なぜなら、彼女が成し遂げたのは、きわめて個別の、具体的な現実を読み解き、そして介入できるほどの精度を持った新しい臨床理論であったからだ。
 本書『家族と国家は共謀する』はその精華であり、到達点だ。タイトルがその達成を示している。心という極小のものに、政治的権力という極大なものを読み込むこと、臨床という極小の営みに、社会という極大な営みを写し見ること。同時にそれらを逆方向からも見抜くこと。そして、そこに力強く介入すること。信田さよ子の認識論によってしか見えなかった世界がここにある。

信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』 定価:...
信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』 定価:…

 この革命は1995年に始まった、と信田さよ子は記す。阪神大震災があり、オウム事件があり、スクールカウンセラー制度が始まり、「DV」という言葉が日本で流通するようになり、そして原宿カウンセリングセンターが開設された年。この年、内面的な心の問題とされていたものが、実は外的な暴力の問題であったと見抜かれた。
 重要なことは、革命が信田さよ子の心の中で起こったのではなく、まずは現実の社会で起こったことだ。そこから25年、彼女は現実で生じたことを精緻に言語化してきた。臨床現場で言葉を編み上げてきた。そうやって革命は進んできた。社会が言葉を生み出し、言葉が社会を生み出す。言葉は政治である。彼女の仕事の核心にある信念だと思う。
 それを最も象徴していて、おそらく本書の白眉と言えるのが「レジリエンスからレジスタンスへ」と「心に砦を築きなおす」という二つの章だ。ここで信田さよ子は暴力を可視化するための言葉が新しい暴力を生み出すことに警鐘を鳴らし、言葉を鋳直す。たとえば、「被害-加害」という言葉を正義のための二分法ではなく、抵抗のための二分法として再定式化する。私のつたない要約では示しきれないから、ぜひ実際に読んでほしい。心が政治的であるとするのであれば、それは不断に調整され続けなくてはならないのだ。

 というようなことは、信田さよ子の良き読者たちはおそらく知っていたことだと思う。だけど、それでも私は思う。彼女は孤独だったのではないかと。
 彼女が成し遂げ、積み重ねてきた仕事の社会的価値は誰もが知っている。だけど、それが臨床心理学という学問に改革を挑み、そしてまだ途上にあることを、誰が知っているだろうか。この戦いの孤独を誰が知っているだろうか。
 心は内面的で心理学的である以前に、社会的で政治的なものである。政治的な安全が確保されて初めて、心理学的な作業に意味が宿る。だから、臨床心理学が心の内側を見る理論だけで構成されるならば、それそのものが暴力になってしまう。
 ここに彼女は戦いを挑んでいた。古いものを破壊するためではない。癒すためだ。信田さよ子のオルタナティブな臨床心理学は、オーソドックスな臨床心理学にひそむ暴力に回復をもたらそうとしてきたのだ。彼女は遥か昔から、私たちに向かって語りかけていたのだ。

 それなのに、私は信田さよ子を知らなかった。不明を恥じる。いや、私は今もまだ、信田さよ子を知らないのかもしれない。
 それでも、本書には彼女の達成がしかと刻み込まれている。心の外側の暗闇に、つまり私たちの無明に、明かりは確かに灯されている。
 だから、私たちは繰り返し、ここに立ち戻ることができる。

 これからだ。これから、信田さよ子を知ることができる。

▼信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321606000181/

KADOKAWA カドブン
2021年02月26日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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