そこに工場があるかぎり 小川洋子著

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そこに工場があるかぎり

『そこに工場があるかぎり』

著者
小川 洋子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784087816945
発売日
2021/01/26
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

そこに工場があるかぎり 小川洋子著

[レビュアー] 重里徹也(毎日新聞論説委員)

◆濃密に戯れるひととモノの姿

 小川洋子は現代日本で、最も魅力的な小説家の一人だ。女子大生たちにも抜群に人気があり、私のゼミでも毎年、卒業論文の対象に選ばれる。

 その作品の中では目立たなかったり、沈黙しがちだったりする謙虚な存在が小さな声で美しい物語を奏でる。日常生活の中に突然、不思議な裂け目が生まれ、静かで透明な異界が現れる。死者と生者が交流しながら、風の音に耳をすませ、川の流れを見つめている。読者は知らない間に、日々の生活を普段とは少し違った角度から見つめ直すことになるのだ。

 そんな作家が街の工場を訪れて、そのいとおしさをつづったエッセイ集だ。ものづくりをする人々へのリスペクトと、そこから生み出される製品への愛が詰まった一冊になっている。

 小川はこの本で六つの工場を訪れている。東大阪市の細い穴を開ける会社をはじめ、お菓子、ボート、乳母車、ガラス管、鉛筆の工場と続く。どの工場でも、経営者や工場長の話に耳を傾け、生産ラインを観察し、そこで働いている人々の手を凝視する。

 そう、手なのだ。どこでも、熟練した職人たちの手が、加工されるモノと戯れるように濃密にかかわっている。お菓子の材料も、ボートの様々(さまざま)な部品も、乳母車に使われるパイプや布も、行儀よく並んで順番を待っている。それらは人々の手によって、生活を彩る製品の数々に生まれ変わっていく。読んでいるうちに、徐々に豊かな、満たされた気持ちになっていく。

 小川は世の中を眺める時、いつも隅っこにあるものに注目し、自分の神経を傾ける。そんな感性が工場から紡ぎ出すのは、人間とモノがこんなにも平和で仲良くなれるのかという光景だ。そして作家自身も自分の右手中指のペンだこを見つめる。実は小説を書くことも、「手」を使って、ものを生み出す仕事なのだ。

 理想を追求し続けるものづくりの現場を訪れながら、やはり、ものを創造している自分の姿を確認する。小川は実は低い声で文学に向かう姿勢を語っているようなのだ。

(集英社・1540円)

1962年生まれ。作家。著書『博士の愛した数式』『ミーナの行進』『小箱』など多数。

◆もう1冊 

小川洋子著『完璧な病室』(中公文庫)。いつ読んでも懐かしい初期作品群。

中日新聞 東京新聞
2021年2月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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