ノスタルジー バルバラ・カッサン著 花伝社

レビュー

7
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ノスタルジー

『ノスタルジー』

著者
バルバラ・カッサン [著]/馬場 智一 [訳]
出版社
花伝社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784763409508
発売日
2020/12/21
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

ノスタルジー バルバラ・カッサン著 花伝社

[レビュアー] 長田育恵(劇作家)

 昨年来、世界規模の感染症の流行は私たちの生活や価値観を一変させた。親しんだ場から切り離され、個として存在することを余儀なくされた。今後、従来の暮らしが戻ってきても、果たしてそこは完全に元いた場所なのだろうか。そんな折、興味深い問いがある。

 「人はいつ我が家にいると感じるだろう?」。本書はフランスを代表する女性哲学者によるノスタルジーを巡る思考の軌跡だ。自伝的内容から問いを提起し、故郷から切り離されてしまった三者を題材に思索を深めていく。

 最初はオデュッセウス。トロイア戦争を終結させた英雄だが、帰郷中に難破し、それから7年もの間、帰還だけを願って彷徨(さまよ)う。けれど、やっと帰り着いた時、すぐに己の故国だと分からない。帰郷を果たすことで帰る場所を喪(うしな)い、翌朝にはさらに遠くへ旅立っていく。

 一方、故郷から追放された者もいる。トロイア戦争で敗北したアエネアスは、落ち延びて、やがてローマの国の礎を作る。よそ者である彼は、母語を捨て、元からその土地に根差していた言語を用いることで、建国の祖となった。

 しかし著者は、言語と国家の関係も注意深く問い直す。材に挙げるのはユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント。第二次大戦下、ドイツからアメリカへと亡命したが母語のドイツ語を手放さなかった。ヒトラーが台頭した時代、狂ってしまったのはドイツ語ではない。むしろ言語は人が故郷から持ち出せる唯一のもの。アーレントは言語と国家を切り離すことで、言語そのものを、自らのアイデンティティとした。

 本書は、帰還の本質は、土地や国家に帰ることではないと示唆する。人が根差す場は、言語によって形作られる自身を受け入れてくれる繋(つな)がりにあるのだと。元の世界に帰れない私たちは今、奇(く)しくも三者と同じ追放状態にある。めまぐるしく変わり続ける世の中で拠(よ)り所を探すため、本書の思索は一助となる。馬場智一訳。

読売新聞
2021年2月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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