発話の権利 定延利之編 ひつじ書房
[レビュアー] 飯間浩明(国語辞典編纂者)
言論の自由と言うけれど、私たちの発話(発言)は何者かにお膳立てされているのか。この論文集では、8人の著者が、発話や行動を規定する見えざる要素を論じます。
同じ場所、同じ条件で話しているように見える人々も、同じ発話の権利を持ってはいません。著者たちは、リアルな実例の観察を通じ、そのことを明らかにしていきます。
たとえば、会議の出席者は、誰もがユーモアを交えて発言していいはず。ところが、日本の事例では、冗談が言えるのは、司会者など特定の人物に限られるといいます。
あるいは、課題を指摘するはずのコンサルタントも、「こうすべき」と直接的な言い方はできません。クライアントに選択権を与えるなど、発言を抑制することが必要です。
車が動かない理由ひとつを表現するにも、助手席の人は「ブレーキ踏んでる」と言い、運転者は「ブレーキ踏んでた」と言います。同じ現象を一緒に見ているのに、立場によって表現が変わるのです。
こういう見えない発話のルールを理解していると、話の輪の中にうまく入って行けるかもしれません。
たとえば、人の話に加わるには、話題が自分に関係することを示す必要があります。ならば、テーマを自分のほうへ引きつけると、うまくいく可能性があります。
あるいは、自分の話に注目させるには、「こうやって」「ここが」などと、「こ」で始まる指示詞を使うといいかもしれない。今、ここにいる私を表現することばだからです。
動物にも意思表示のルールがあります。若いチンパンジーは、ボスへの抗議も許されますが、限度を超えるとやられてしまう。動物同士の関係も楽ではなさそうです。
カメルーンに住む民族は、相手の発言内容を繰り返したりしながら、共同で話を作ります。誰が発言者かにも無頓着です。発話の権利に執着しない、こんな社会ならば、もっと気楽に暮らせるでしょうか。