文字は昔、生きていた? 文字を巡る12篇の物語

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書籍情報:openBD

文字は昔、生きていた? 文字を巡る12篇の物語

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

「●」という漢字を知っているだろうか? 田んぼの中に人が四人いるようにも、独房に押し込まれた人が四人いるようにも見える。川端康成文学賞と日本SF大賞をダブル受賞した『文字渦』は、「●」をはじめ不思議な文字たちに出合える連作小説集だ。最初に読む円城塔の本としてもおすすめしたい。

 表題作の舞台は、秦の始皇帝の時代の中国。「俑」と呼ばれる陶工が、ある貴人をかたどった永遠不滅の像を造れという無理難題をふっかけられる。俑はどうやって危機を切り抜けたのか。のちに皇帝の陵墓から発見された竹簡との関わりが語られていく。

 貴人が〈統治とは枠の構築だ〉と言うくだりは印象深い。秦は統一国家を形成するにあたり、地域によって形が異なっていた文字を統一した。俑は「●」の人のように枠の中に閉じ込められ、均一化された秦の文字に違和感をおぼえている。「文字渦」はその枠から文字を解き放つ話になっているのだ。漢字という表意文字でしか創造できない世界。

 本書に登場する文字は、時空を超えてさまざまな事件を起こす。なかでも驚かされるのが漢字文化圏における文字閥の戦争を描いた「誤字」だ。もし目の前に本があるなら二五九ページを開いてほしい。本文にルビが振ってあるが、途中からルビが本文の意味を無視して勝手に自分語りを始めるのだ。よくもまあ、こんなヘンテコで楽しいことを思いつくものである。

『文字渦』という題は、中島敦『文字禍・牛人』(角川文庫)に収録されている名作「文字禍」を想起させる。老博士が世界最古の図書館で〈文字の霊〉の正体を探る物語だ。文字は〈ある物の影〉だという解釈が面白い。影として生まれながら人間に多大な影響を与え、滅ぼすこともある。文字は恐ろしくも魅惑的だ。

 文字沼に足を浸したら、白川静『漢字百話』(中公文庫)でさらに深みにはまってみるのもいいだろう。独自の漢字学を確立した研究者による入門書だ。「文」という字の起源や「漢字のあゆみ」などを読むと、字は生き物だと思う。

●=正方形を四つの正方形に区切り、それぞれのマス目に「人」の字が入る

新潮社 週刊新潮
2021年3月11日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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