3.11、コロナ禍の中で真の救いとは。未来を見つめる視座を与えてくれる『生きるために本当に大切なこと』

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3.11、コロナ禍の中で真の救いとは。未来を見つめる視座を与えてくれる『生きるために本当に大切なこと』

[レビュアー] 酒井順子(エッセイスト)

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(評者:酒井順子 / エッセイスト)

 東日本大震災発生後、渡辺憲司先生が校長を務められていた立教新座高等学校では、卒業式が中止となりました。その時、渡辺先生は卒業生に向けて、「時に海を見よ」と呼びかけるメッセージを発表します。

 このメッセージを受け取ったのは、しかし当時の卒業生だけではありませんでした。震災、津波、原発事故という未曾有の出来事を受け止めかね、心身を硬直させていた当時の人々。SNS等によって広まっていった先生の言葉は、そんな人々に対して、未来という水平線を見るために今一度視線を上げよう、という気持ちをもたらしたのです。

 私もまた、十年前に「時に海を見よ」に励まされた一人でした。そして今、新型コロナウイルスへの不安と向き合う時代に『生きるために本当に大切なこと』を読むことによって、下を向きがちだった顔を上げなくては、という気持ちが蘇ってきたのです。

 渡辺先生は、私が大学時代に所属していた体育会の某部において、部長を務めて下さっていました。クリスチャンの教育者というと厳格なイメージを抱かれるかもしれませんが、明るく洒脱でお酒好きな渡辺先生は、常に飲み会の人気者。そのオーラのお陰で我が部の戦績も上昇気流に乗った……というところで野球部の部長に移られたのですが、「渡辺先生は勝ち運の持ち主」ということで野球部に奪われた、とのもっぱらの噂でした。
 後に渡辺先生は、立教新座中学校・高等学校の校長に就かれます。東日本大震災の発生よりも前、卒業式後の謝恩会における先生のスピーチの映像(おそらく保護者の撮影)を見たことがあるのですが、その最後の言葉は、
「諸君、女を泣かせるな!」
 というもの。男子校の生徒達はその言葉に「ウォーッ!」と雄叫びをあげて、広い社会へと旅立っていきました。
 確かにこの学校の生徒は、やもすると女を泣かせがちかも。いいことおっしゃる……と思った私ですが、しかし『生きるために本当に大切なこと』を読んで、理解しました。何びとであれ他者を「泣かせない」ということがどれほど大切であり、そしてどれほど難しいことであるかを。

『生きるために本当に大切なこと』著者:渡辺憲司 定価: 770円(本体7...
『生きるために本当に大切なこと』著者:渡辺憲司 定価: 770円(本体7…

 本書には、成人を迎えた学生達に贈る先生作の詩が収められており、そこには、
「泣かしてはいけない
 嗤ってはいけない」
 との言葉があります。臆病でも、優柔不断でもよい。しかし他人を泣かせること、他人をあざ嗤うことは、決してしてはいけない。自身の感性をしっかりと見つめているからこそ、他者の感性の隅々までも尊重する詩人の魂が、そこにはあります。
 渡辺先生の専門は、江戸文学。中でも遊里や遊女の研究においては日本の第一人者として知られていますが、遊女への関心の源が聖書の登場人物であるマグダラのマリアと繋がっていたことを、私は本書で知りました。
 キリスト教の歴史の中で娼婦と目されるようになったマグダラのマリアは、小さく弱く、罪深い存在です。いつの世にも、そしてどこの国にもいる小さき者達と視線を合わせることは、先生の研究者としての基本姿勢でもあり、そして教育者としての姿勢とも通底しているのです。

 守られる人から、守る人へ。愛される人から、愛する人へ。そして優しくされる人から、優しくする人へ。受動の人から能動の人になることが大人になることなのだと、先生は若者達に説きます。

 しかしそれらの言葉は、若者にのみ向けられるものではありません。孤独、悲しみ、迷い、そして心の中の悪魔。大人になるにつれ淀んでくるそれらのものに戸惑い、呆然となった時に本書を開いたならば、優しさを求めるよりも、優しさをもたらすことこそが真の救いになるのだと、きっと気づかされることでしょう。

3.11、コロナ禍の中で真の救いとは。未来を見つめる視座を与えてくれる『生...
3.11、コロナ禍の中で真の救いとは。未来を見つめる視座を与えてくれる『生…

▼『生きるために本当に大切なこと』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000447/

■『生きるために本当に大切なこと』試し読み

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KADOKAWA カドブン
2021年03月09日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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