何かから逃げてきた人たちの小休止『ムーンライト・イン』

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ムーンライト・イン

『ムーンライト・イン』

著者
中島 京子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041110782
発売日
2021/03/02
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

何かから逃げてきた人たちの小休止『ムーンライト・イン』

[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)

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■『ムーンライト・イン』中島京子著 レビュー

 どこかへ逃げる人(場所)、どこからか来て居着く人(場所)、闖入者を受け入れる人(場所)。中島京子が書く小説には、そんなシチュエーションがよく登場する。
 旅先で消えた青年をめぐって、都市伝説めいた奇妙なツアーの記憶が浮上するミステリアスな旅の物語『ツアー1989』。恋人のDVから逃れ、南の町へやって来たヒロインが、日本とフィリピンのミックスの少年を連れて、寓話的な出来事を体験しながら逃避行をする『エルニーニョ』。リストラに父の遺産相続が重なり、ボロアパートに管理人として住まうことになったヒロインが、風変わりな住人たちと交流し心を通わせていく『花桃実桃』。日本初の近代図書館が自ら回想する来歴と、その図書館と深い縁を持つ風変わりな白髪女性が遺した謎を、語り手のフリーライターが探っていく『夢見る帝国図書館』。奇縁で結び合わされた人々が、生き方を見つめ直したり、過去を清算したり、家族の絆を取り戻したり、疑似家族的な世界を作り上げたりするのだが、慎重に選ばれた語りの技によって、読み心地はいつも新しい。

『ムーンライト・イン』もまた、逃げてきた人たちがハブ空港のような場所で小休止しているさまを描いた、この著者らしい長編だ。
 職を失い、自転車で旅行中だった栗田拓海。にわか雨を避けるために目に付いたペンション風の家に飛び込むと、そこは世代の違う四人の男女がハウスシェアしている場所だった。かつてはそこでペンション経営をしていた高齢の家主は、虹サンこと中林虹之助。虹之助の友人で、故人になってしまった男の妻・新堂かおる。家事全般と虹之助の畑やジャム作りの手伝いをしている津田塔子。 彫りの深いチャーミングな顔立ちのマリー・ジョイ。塔子はここに来る前に介護系の仕事をしていて、若いマリー・ジョイとは同僚だった。マリー・ジョイは日本とフィリピンのミックスで、母国では看護師の有資格者。ふたりはかおるの専属介護士のような役割も担っている。屋根修理でケガをしてしまった拓海は、一晩限りのはずがしばらく居候をすることに。一度は遠慮した拓海だが、マリー・ジョイの言葉に背中を押されたのだ。〈あなたもムーンライト・フリットでしょ〉。
 「ムーンライト・イン」の住人たちは、みな秘密や事情を抱えている。少しずつ明かされていくそれは、どれも現代の日本社会を象徴するような出来事だ。老老介護、終の住処、介護従事者たちのセクハラを含む労働環境、人種差別や非正規雇用、さらに親と子の関係やセクシュアリティなど、多様な問題が織り込まれながら物語は進む。
 それぞれが胸に秘めていることを、誰かには打ち明けてあったり、うっすらと気づかれていたりと状況はいろいろ。そんな彼らの暮らしや心情に変化をもたらしていくのは、周囲との関わりや時間の経過、いわば人薬と時薬である。

 本書では、パンドラの函を開けるきっかけとして、手紙がよく使われている。書くことはしても、出すか出さないかは本人次第。メールのような誤送信など起こらない(誤送信が功を奏する場面もあるにはあるが)。しかし、逃げてばかりはいられないと踏み出したその先は、いいことだけでもないのがまた人生。甘くコーティングしないのが、著者の小説の美点でもある。「Life must go on(それでも人生は続く)」という言葉を思い出した。
 もっとも、ユーモアはたっぷりまぶしてある。私たちの毎日には小さなズレやドタバタなど日常茶飯事。吹き出したあとで、問題の深刻さにはっとさせられることも多い。
 また、登場する料理が、物語のいいスパイスになっているのを忘れてはならない。マリー・ジョイが紹介するフィリピンの激甘スパゲティや伝統のチキン料理ピニクピカンなど、違う国の食文化に触れることはその文化を受け入れるためのいい手がかりだからだ。

 テーマもモチーフも盛り沢山。人生の岐路に立つ老若男女の決断を、見届けてほしい。
(評者:三浦天紗子)

■作品紹介

何かから逃げてきた人たちの小休止『ムーンライト・イン』
何かから逃げてきた人たちの小休止『ムーンライト・イン』

ムーンライト・イン
著者 中島 京子
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000474/

だいじょうぶ。何かにつまずいた時、 あなたを待っている場所がある。
職を失い、自転車旅行の最中に雨に降られた青年・栗田拓海は、年季の入った一軒の建物を訪れる。穏やかな老人がかつてペンションを営んでいた「ムーンライト・イン」には、年代がバラバラの三人の女性が、それぞれ事情を抱えて過ごしていた。拓海は頼まれた屋根の修理中に足を怪我してしまい、治るまでそこにとどまることになるが――。
人生の曲がり角、遅れてやってきた夏休みのような時間に巡り合った男女の、奇妙な共同生活が始まる。

■『ムーンライト・イン』試し読み

【新連載試し読み】雨の降りしきる高原、宿を探す青年が訪れた建物の中では、三人の女性が身をこわばらせていた――。 中島京子「ムーンライト・イン」
https://kadobun.jp/trial/yasei/em1fpxriwe80.html

KADOKAWA カドブン
2021年03月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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