『Neverland Diner』
書籍情報:openBD
どの店もいまは行けない百人分の味の記憶
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
夕食のあと、テーブルの上をかたづけて本書を開く。厚さ四センチのページには、人々が人生の折々で飲食した店の記憶がつまっていて、たったいま食べたことも忘れて没頭してしまう。奇妙で、不可解で、人間くさい店ばかりだ。
数本読むと満腹してページを閉じ、翌日また開くという日々が続く。いくら魅力があっても、洋服屋とか本屋とかレコード屋とかなら、これほど五感を刺激されはしないだろう。食は生命の源であり記憶の根が深いのだ。
東京の街路に立っていたロシア人の街娼が、懐かしの味で腹を満たせるようにとマンションの一室に開店した闇のロシア料理店。そこのボルシチの絶品ぶりは、本場の味を知らない私には想像が追いつかず、ひたすら嫉(ねた)ましい。
巨木を彫り上げた、見上げるほど大きな象の置物が店内に屹立し、ほかにもその象がかすむほどバカでかい家具に埋め尽くされたカレー屋というのも信じがたい。だが驚くのはまだ早く、そこの店主が指を空に向けて指揮棒を振るように動かすと、浮かんでいる雲がそれにあわせて回りだすのだ。カレーはいいが、これは見てみたかった……。
フィリピンパブの話にも驚愕させられた。なにせ行った経験がないので、そこでどんなことが行われるか知らなかったが、彼女たちが繰り広げる朗らかで悲哀に満ちた世界と、それにすがる「ピンボケ」(フィリピンパブ中毒をこう呼ぶらしい)たちの切実な心境。両者の気持ちをかつてないほど近しく感じた。
ここで紹介した店はわずか三つだが、本書ではあと九十七人分がつづく。しかもどの店もいまは脳内でしか行くことが叶わない幻の空間なのである。イマジネーションを膨らませつつ読み進むうち、迷宮に入り込んだようにふらふらしてくる。表の社会では出会わない癖のある人物のいる店ほど奥深い。味の記憶とは、すなわち人間の記憶なのだった。