最高裁の憲法判断のダイナミズムを描く

レビュー

8
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憲法判例と裁判官の視線

『憲法判例と裁判官の視線』

著者
千葉 勝美 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641227774
発売日
2019/10/09
価格
3,520円(税込)

書籍情報:openBD

最高裁の憲法判断のダイナミズムを描く

[レビュアー] 見平典(京都大学准教授)

 本書は、長年にわたり最高裁判所の憲法判例の形成を内側から見つめ、これに関与してきた著者が、戦後日本の主要な憲法判例を取り上げ、各判例の基礎にある思考を考察したものである。

 本書の特色は、各判例を、当時の政治的・社会的文脈の中で担当裁判官が「司法部の立ち位置」をいかに考えていたのか、「その先に見ていた世界」は何であったのかという観点から読み解いている点にある。この考察手法は、これらの要素こそが裁判官の憲法判断において鍵になるとの、著者の長年にわたる憲法裁判実務経験に裏打ちされた理解に基づいている。

 以下では、著者の略歴(I)と本書の概要(II)を紹介し、その後、本書の内容について、紙幅の許す範囲で若干の検討を加えたい(III)。なお、本書に関しては既に複数の書評(注1)・論考が公表されているほか、著者の前著(注2)等に関しても多くの論考が公表されている。

I.著者の略歴

 著者の千葉勝美氏は、1972年に判事補に任官し、東京地方裁判所判事補、同判事、東京高等裁判所部総括判事、仙台高等裁判所長官などを経て、2009年から2016年まで最高裁判所判事を務めた。同氏は最高裁判所判事に就任する前から、最高裁判所において多年にわたる勤務経験を有しており、裁判部門では調査官、首席調査官、事務総局では人事局付、秘書課長兼広報課長、民事局長兼行政局長を務めた。最高裁判所の裁判と行政の双方の実態を深く知りうる立場にあったといえる。

 憲法裁判との関係では、著者は憲法の司法試験委員を務めたほか、1989年に『欧米諸国の憲法裁判制度について――米国、西ドイツ及びフランスにおける憲法裁判制度の機能と歴史的、政治的背景』と題した司法研究報告書(第43輯第1号)を共著者として発表している。さらに、著者は、調査官として衆議院議員定数訴訟、成田新法事件、首席調査官として国籍法違憲判決等の重要な憲法判例の形成を支えたほか、最高裁判所判事時代には堀越事件、婚外子相続分規定違憲決定、再婚禁止期間違憲判決等において重要な補足意見を執筆し、それらの判決・決定の形成に指導的な役割を果たしたとみられる。このように、著者は憲法裁判実務に精通しており、その与えた影響の点からも、「憲法学の観点からは、千葉を語ることは近年の最高裁について語ることにほぼ等しい」とも評されている(注3)。

II.本書の概要

 本書は、「第一部 最高裁における憲法判例形成の実情等」と、「第二部 戦後七〇年の最高裁の憲法判例の展開から見る「司法部の立ち位置」の素描」の二部から構成されている。第二部が本書の「中核部分」とされており、第一部はその導入として位置づけられている。

 第一部のIでは、最高裁判所の憲法判例の形成過程と、憲法判例に対する評価のあり方に関して、著者の理解・見解を提示している。それによると、最高裁判所は憲法判断にあたり、「司法部の立ち位置」に関わる様々な事情を――その性質上その全てが判決において触れられるわけではないが――多面的・複眼的に考慮しているという。それゆえ、判例を評価する際には、判決文、補足意見、事案を取り巻く社会的・政治的状況などを手がかりとして、裁判官が熟慮したであろうそうした諸事情を総合的に検討することが求められるという。逆に、そうした検討を欠いた、理念論や純理論のみからの判例批判は、「的確な評価の視点とは異なる」とされる。

 第一部のIIでは、最高裁判所の判断手法に対する学界からの批判に、元裁判官の立場から応答している。最高裁判所の憲法判断に対してはこれまで、合憲性審査基準の全体像がみえず、アドホックな判断に陥っているのではないかとの批判が学界から加えられてきた。こうした批判に対し、著者は、全体像を示すと「必要以上に裁判所の判断の枠組みを固定してしまい、自らの手を縛ることになりかねず、柔軟な対応がし難くなる」こと、裁判の目的は法理の定立ではなく、事案の最も適正な解決を図ることにあることを指摘し、反論している。

 第一部のIIIでは、憲法判断における「司法部の立ち位置」の問題を敷衍している。著者によると、「司法部の立ち位置」とは、「(1)憲法が保障する基本的人権の擁護を使命とする司法部の役割についての考え方、(2)三権分立の下での対立法府、対行政府との緊張関係を踏まえた司法部の違憲立法審査権の在りようについての理解、及び(3)様々な意見が錯綜し価値観の対立が大きな社会的・政治的テーマについて、その憲法判断が将来の我が国社会をどのような姿に導くことになるのかを念頭に置きつつ、国民全体の認識を探り、司法部がいつの時点で、どのような形で乗り出すべきか、それが、多くの国民の理解と信頼を勝ち得ることになるのかについての情勢の分析等に関する考え方」のことをいい、最高裁判所裁判官の憲法判断において枢要な位置を占めているという。なかでも、著者がその重要性を強調するのが(3)であり、「国民の意識の動向や政治の大きな流れ等を無視し、純粋な法理論のみを適用して結論を出す場合、その判断は、紛争・対立を解消するのではなく、火中の栗を拾う、あるいは火に油を注ぐ結果となり、更なる混乱と対立を生じさせるおそれもある」と指摘する。

 続く第二部では、戦後日本の主要な憲法判例を取り上げ、担当裁判官が「司法部の立ち位置」をいかに考えていたのかを考察している。これは、第一部のIにおいて論じられていたように、そうした作業によってこそ憲法判例の「真の評価」が可能になるとの著者の考えによる。考察対象は、レペタ法廷メモ事件判決、国籍法違憲判決、公務員の労働基本権に関する諸判決、投票価値の較差に関する諸判決、砂川事件判決、苫米地事件判決、婚外子相続分規定違憲判決、再婚禁止期間規定違憲決定であり、著者自身が最高裁判所裁判官・調査官として関わったものも含まれている。いずれについても、著者のこれまでの経験も踏まえながら、第一部のIにおいて主張した方法によって、多数意見・個別意見の背後にある諸考慮を浮き彫りにすることを目指している。それらの諸考慮を踏まえた著者の判例評価の中には、学界の支配的な判例評価とは大きく異なるものもあり(たとえば、公務員の労働基本権に関する諸判決)、非常に興味深い。

III 本書の検討

1 本書の性格

 憲法学・司法政治学の観点からみると、本書は、(1)最高裁判所の主要な憲法判例を分析した書であるとともに、(2)千葉勝美裁判官の判例理解と法思考に関する一次資料、(3)現在の裁判所の主流あるいは有力な法思考に関する一次資料としての性格も併せ持っている。すなわち、著者はその経歴・役割・実績から、憲法学・司法政治学の裁判官研究の重要な対象であるところ、本書は判例分析を通して著者の判例理解と法思考を浮き彫りにしており、「千葉勝美裁判官研究」の重要な一次資料としての価値を有する((2))(注4)。また、著者は日本司法の主流あるいは有力な法思考を共有するとともに、その維持・変化・発展に影響を及ぼしてきたとみられることから、著者の法思考が表れている本書は、現在の日本司法の法思考を理解する上でも重要な資料的価値を有する((3))。

2 本書の意義

 最高裁判所憲法判例を分析した書((1))としては、著者の実務裁判官としての経験に裏打ちされた、憲法学の一般的な判例分析とは異なるアプローチ、視点、情報を数多く含む点に、本書の意義が見出される。

 なかでも、本書は判例の理解にあたり、裁判官が「司法部の立ち位置」に関していかなる考えを持っていたかに目を向ける必要性を説き、裁判官の司法哲学のほか、当時の政治的・社会的状況に関する裁判官の情勢判断に着目している。裁判官の司法哲学や情勢判断に着目した判例分析は、アメリカ司法政治学の歴史的制度論的研究においては一般的であるが、日本においてはそうした分析に必要な素材(詳細な判決文・個別意見、裁判官の事件メモ・記録・書簡・日記、裁判官の著作・講演、裁判官へのインタビュー等)が不足していたりアクセスが困難であったりすることから、これまであまり取り組まれてこなかった。このような中、本書は、著者の長年にわたる最高裁判所の内部経験を通して得られた視点と情報により、そうした資料上の制約を補うことによって上記分析を実現しており、憲法学上・司法政治学上の意義は大きい。

3 本書の主張

 本書では多くの注目すべき見解が提示されているが、ここでは紙幅の許す範囲で若干のコメントを付したい。

 一点目は、著者が違憲審査にあたり、いわゆる総合衡量の手法を支持し、違憲審査基準の明示的依拠に慎重であることに関わる。著者によれば、これは、付随的違憲審査制の下では司法の役割は事案の適正な解決にあるところ、基準を定立すると後続の事件において柔軟な対応が難しくなり、事案の適正な解決が困難になるおそれがあるからであるという。こうした立場に対する憲法学からの批判的な応答は既に他所でなされていることから(注5)、ここでは次の点のみ指摘したい。それは、違憲審査基準はアメリカ司法の憲法裁判実務を通して形成されてきたものであるという点である。アメリカは付随的違憲審査制の母国であり、同国司法は結果志向のプラグマティックな判断を日本司法以上に重視する、いわゆる「応答的法」型の司法である(注6)。そのアメリカ司法の憲法裁判実務において違憲審査基準が定着している理由を、著者がいかに捉えているのかについて、評者は知りたいと思った(7)。

 2点目は、著者が憲法裁判実務における「政治的な情勢判断」の必要性・重要性を説いていることに関わる。ここにいう「政治的な情勢判断」とは、「司法部が……乗り出すことに多くの支持・共感を得られるか」、「政治部門ではなく……司法部に委ねるべきであるという雰囲気が国民全体に広く醸成されて」いるか、「立法府自体も……本音のところでは……司法部の判断を受け入れる」かといった、国民多数の支持の可能性、政治部門による判決の受容可能性などの判断のことをいう(9頁、173―174頁等)。著者はこうした情勢判断を行うべき理由として、「火中の栗を拾う」ことを回避する必要性などを挙げており(34頁、230頁等)、そこには司法の権力水準に対する考慮等が働いているように思われる。ただ、現実の政治力学の中では実務上こうした判断をせざるをえない場面があるとしても(注8)、それは少数者の権利保障や政治過程の統制などの司法機能に対する制約条件となる。それゆえ、司法がその本来の使命をより深く果たすことができるように、司法の政治的基盤・権力資源をいかに強化していくかについても、とりわけ最終的な裁判権と司法行政権に与る最高裁判所裁判官は考えていく必要があるのではなかろうか(注9)。この点に関する著者および最高裁判所の認識と取り組みについて、評者は知りたいと思った。

 紙幅の都合上これ以上触れることはできないが、本書はこのほかにも、判例の評価基準や司法の正統性の源泉などの重要な論点を数多く含んでおり、最高裁判所の思考を幅広く内在的に理解することのできる貴重な書である。批判はその対象の思考を内在的に理解することによって、より建設的なものになることから、本書は最高裁判所の憲法裁判実務・判例に関心のある者はもちろん、それらに批判的な者にとりわけ強く薦めたい。著者が実務と学界との建設的な対話の基礎と機会を提供されたことに深い敬意と感謝の意を表して、本書評の結びとしたい。

(1) 本書の書評として、高橋和之・判例時報2437号112頁(2020年)、高見勝利・同2437号115頁がある。

(2) 千葉勝美『違憲審査――その焦点の定め方』(有斐閣、2017年)。

(3) 渡辺康行「最高裁裁判官と「司法部の立ち位置」――千葉勝美裁判官の違憲審査観」工藤達朗ほか編『憲法学の創造的展開・下巻』565頁(信山社、2017年)。

(4) 裁判官個人に焦点を当てた研究は、近年日本においてもその必要性が認識され、取り組まれつつある。渡辺康行ほか編『憲法学からみた最高裁判所裁判官――70年の軌跡』(日本評論社、2017年)。「千葉勝美裁判官研究」としては、同書第25章の上田健介「事実をみつめて――千葉勝美」を参照。

(5) 前掲注(1)の各書評参照。

(6) 見平典「応答的司法の政治的基盤と正統性」毛利透ほか編『比較憲法学の現状と展望』(成文堂、2018年)参照。

(7) アメリカの憲法裁判実務における違憲審査基準の定着は、付随的違憲審査制を採用していることや事案の適正な解決の必要性が、違憲審査基準の明示的依拠を必ずしも排除するわけではないことを示唆している。実際にアメリカ司法は、事案の「区別」の技法や適用審査の手法等を用いることによって、原理に基づいた客観的判断および適切な審査密度の確保の要請と、著者が重視する「柔軟な対応」の要請のバランスを図っている。

 また、違憲審査基準をめぐっては、それが民主政における司法の役割・正統性および権利保障にとって有する規範的意義にくわえ、現実の政治力学の中で司法が政治部門に対峙していく上で有する機能的意義にも目を向ける必要があるであろう。この点につき、曽我部真裕「違憲審査の活性化のために(覚書)」判例時報2425号133頁(2020年)も参照。

 なお、いわゆる「二重の基準」の由来に関する著者の認識は、前掲司法研究報告書387頁および前掲注(2)190―191頁参照。

(8) ただし、こうした判断は司法の規範的な正統性に難しい問題を提起する。この点について、坂田隆介「最高裁の「正統性」(legitimacy)」市川正人ほか編『現代日本の司法――「司法制度改革」以降の人と制度』(日本評論社、2020年)参照。

(9) 司法の政治的基盤・権力資源の強化の意義とその具体的方策について、詳細は見平・前掲注(6)、見平典「憲法学と司法政治学の対話――違憲審査制と憲法秩序の形成のあり方をめぐって」法律時報86巻8号93頁(2014年)。

有斐閣 書斎の窓
2021年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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