『ほろよい味の旅』
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精神の孤独と出会いのよろこびを両立させた“コミさん”の「旅」
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
昔は旅先で美味に出会う体験が新鮮だった。昭和のころは「おとりよせ」が一般的でなかったし、東京で全国の郷土料理がよりどりみどりなんてこともなかった。あれこそが豊かな多様性の時代だった。
ふらりと行った旅先で、ほかでは食べられないものを食べる。とくに高価なものや珍味ではなく、ジャガイモのエゴマ和えだとか、サヨリの一夜干しを煮たのだとか、そういう飾らないものだ。酒を飲むから、たくさんは食べない。ちびちびとつまみながら、その土地の味がほかとは違うことをよろこぶ。
これはそんな小文を集めた本だ。描かれるのは路地裏や町はずれの店。さすが、テキヤをやっていたこともあるコミさんは旅の達人である。旅先でも、つねに身軽だ。酔っぱらってよくわからないうちにあちこち移動し、人とにぎやかに話すが、話の中身はさらりと忘れてしまう。一般に人は、よくわからないうちに自分がどうにかなることを忌避するものだが、コミさんは積極的によくわからない状態に突入していく。主体性や自分の判断なんてものをこれっぽっちも信じていないのだ。
自宅で妻の出したものを食べているシーンでも、〈ゆでタマゴはふたつ、まんなかから割って、おショウ油をたらす。小樽であったパンスケがこんなたべ方をしていた〉と書く。つまり、食べているのは「旅の味」だ。酒場で飲んでいるときも、みんなと騒いでいるように見えて、コミさんの心はいつもひとり。人と仲良くなっても、べたべた一緒にいない。この本の出版からずいぶん後だが、コミさんは旅先で死を迎える。たとえ憧れたって、それを実現できる人は稀であろう。
底本は1988年刊。意外だがこれが初の文庫化である。精神の孤独を死守することと、出会いをよろこぶことの両立が、美しく描かれている。こういう本は、いま、出なくなったなあ。