国民的アニメの原作が読みやすい完訳版に。 美しい自然を舞台に描かれる愛と感動の物語。『アルプスの少女ハイジ』

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国民的アニメの原作が読みやすい完訳版に。 美しい自然を舞台に描かれる愛と感動の物語。『アルプスの少女ハイジ』

[レビュアー] 松永美穂(ドイツ文学者・翻訳家)

文庫巻末に収録されている「訳者あとがき」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(訳者:松永 美穂 / 翻訳家)

 スイスの女性作家ヨハンナ・シュピリ(一八二七~一九〇一年)が『アルプスの少女ハイジ』の第1部にあたる『ハイジの修業と遍歴の時代』を出版してから、今年(二〇二〇年)で百四十年になります。

 ヨハンナ・シュピリは、十九世紀を生きた作家でした。チューリヒの南東にあるヒルツェルという村で生まれ、母方の祖父は牧師、父親は開業医、母親はプロテスタントの宗教詩人でした。七人きょうだいの四番目だったヨハンナは、祖母や親せきなども含めた大家族のなかで育ちました。自宅に病院が併設されていたため、患者を目にする機会も多かったようです。『アルプスの少女ハイジ』には、足の悪いクララや、目の見えないペーターのおばあさん、環境が変わって夢遊病になってしまうハイジなど、体や心になんらかの疾患を抱えた人々の様子が描かれていますが、それはヨハンナが幼い頃から、病気の人たちを身近に見ていた経験とも関係があるでしょう。

 ヨハンナは教養ある市民階級の娘として、チューリヒに出て語学や音楽の勉強をしたり、他家で礼儀作法を学んだりしており、当時の女性としてはかなりしっかりと教育を受けています。そして、二十五歳のとき、兄の友人だったベルンハルト・シュピリと結婚しました。シュピリは弁護士であり、新聞編集者や州議会議員も務めました。たいへん多忙な人で、家庭を一人で切り盛りしなくてはならなかったヨハンナは、一人息子を妊娠したころからひどい鬱症状に悩むようになります。二十八歳で出産した後も鬱に苦しみますが、読書や詩作に慰めを見出していたようです。

 ヨハンナが作家としてデビューしたのは、四十四歳のとき。『フローニの墓に捧げる一葉』という大人向けの小説を、イニシャルの「J・S」という匿名で、ドイツのブレーメンの出版社から初版千部で刊行しました。これは、母の友人であるブレーメンの牧師からの依頼で書かれ、売り上げはすべて普仏戦争の傷病兵看護にあたる女性たちを支援するために寄付するという条件での社会奉仕的な出版でしたが、好評で版を重ねたようです。それをきっかけに作品を出版する道が開け、子ども向けから大人向けまで、生涯で約五十編を執筆しました。

 そして、五十二歳のときに匿名で出版したのが『ハイジの修業と遍歴の時代』です。この小説は発売されると大評判となり、一年後には第2部『ハイジは習ったことを役立てられる』が出ました。第2部は匿名ではなく、ヨハンナ・シュピリという実名で出しました。この作品が瞬く間にヨーロッパのさまざまな言語に翻訳され、ヨハンナは一躍、有名作家の仲間入りをしました。

 もともと『ハイジの修業と遍歴の時代』というタイトルは、ヨハンナが愛読していたゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』という作品にちなんだものでした。一人の男性がさまざまな経験を経て成長していく「ビルドゥングスロマーン」(日本では「教養小説」と訳されていますが、「自己形成小説」と言ってもいいかもしれません)の代表作とされる作品ですが、ヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』は主人公を幼い少女に置き換え、彼女の成長と挫折、そして回復後のさらなる成長を描いています。

著:ヨハンナ・シュピリ/訳:松永美穂『アルプスの少女ハイジ』 定価: 1...
著:ヨハンナ・シュピリ/訳:松永美穂『アルプスの少女ハイジ』 定価: 1…

 素直でやさしい心の持ち主であったハイジは、アルムと呼ばれる高山の牧草地に住むおじいさんと、幸せに暮らしています。しかし亡き母の妹であるデーテおばさんがやってきて、ハイジをドイツの大都市フランクフルトに連れていってしまいます。スイスのマイエンフェルトとドイツのフランクフルトについては、次ページの地図をご覧ください。現在、チューリヒからマイエンフェルトへは、鉄道を使えば一時間半くらいで移動できます。チューリヒからフランクフルトまでは特急で四時間。同じドイツ語圏ですし、そんなに遠い気がしないかもしれません。しかし、ハイジの時代はバーゼルで一泊するなど、かなりの長旅であったことがうかがえます。人口の少ないマイエンフェルト(現在でも三千人程度)と、十九世紀当時すでに十万人以上の人口を擁していたフランクフルトでは、生活環境はまったく違っていたことでしょう。しかもハイジは、いきなり上流階級の家庭に放り込まれ、きびしい家政婦長のロッテンマイヤーさんに初日からお説教されてしまいます。山の上でペーターやヤギを相手にのびのびと暮らしてきたハイジにとっては、言葉遣いも、礼儀作法も、未知のことばかりです。さらに学校教育を受けておらず、お嬢さまのクララが受けている授業についていくことができません。不本意な生活を強いられたハイジが次第に萎れていくのは、無理もないことだったでしょう。

 そんなハイジに、クララのおばあさまは、たくさんの励ましや慰めを与えてくれます。おばあさまのおかげでハイジは字が読めるようになり、神さまに祈ることを覚えます。フランクフルトでの日々は辛いものですが、ハイジの教養の基礎となる力を与えてくれ、その後の自立を助けてくれます。ホームシックで山に帰されるものの、成長したハイジはペーターに字を教え、おばあさんに賛美歌の歌詞を朗読し、おじいさんが共同体に立ち返る重要なきっかけを作ることになります。そして、ハイジを山に訪ねてきたフランクフルトの人々も、ハイジとおじいさんから大きな恩恵を受けることになるのです。

 ハイジの物語には魅力的な人々がたくさん出てきますが、特に印象的なのはハイジのおじいさんだと思います。冒頭では、おじいさんがデルフリ村の人々に嫌われており、過去には殺人のうわささえあることが紹介されています。裕福な家の出身なのに財産を使い果たしてしまい、外国の傭兵となって戦争に参加した経験を持つおじいさん。傭兵というのが、耕作地の少ないスイスでは、伝統的に出稼ぎ男性の従事する職業であった、という歴史的背景もあります。その後、結婚して男の子が生まれたけれど、妻を亡くし、成人して大工になった息子も事故で亡くしてしまったおじいさんは、すっかり偏屈になってしまいます。そんなおじいさんが、息子の忘れ形見であるハイジとの共同生活で、豊かな感情を取り戻していく様子は感動的です。そして、フランクフルトに連れ去られたハイジがふたたび戻ってくると、おじいさんは劇的な改心をします。牧師と和解し、共同体の一員としてデルフリ村に戻っていく姿は、七十歳を超えても人は変わることができるのだ、という希望を与えてくれます。おじいさんはさらに、フランクフルトの医師であるクラッセン先生とも友情で結ばれ、充実した老後を送るであろうことが予想できます。

『アルプスの少女ハイジ』の子ども向けリライト版では、しばしば「クララが歩けるようになった」ことだけがクローズアップされますが、じつは大人たちが変えられていく物語でもあることを、知っていただければ幸いです。キリスト教信仰に基づいた話でもあり、教育の必要性を確信していたヨハンナ・シュピリらしい内容でもあります。

 また、人間描写のあちこちに、ユーモアがちりばめられているのも特徴です。口うるさいロッテンマイヤーさんが動物嫌いだったり、朝早く起こされて変な服装になってしまったり、家庭教師の先生がやたら理屈っぽくて本題に入ることができなかったりと、思わず笑ってしまうような箇所がたくさんあるのです。

 そして、この作品では、スイスの自然のすばらしさが賛美されています。ヨハンナは病弱な息子の転地療養に付き添って、マイエンフェルト近郊のラガーツ温泉で過ごしたことがあります。いまでは「ハイジランド」と呼ばれているこの地域のよさを、自ら体験したのでしょう。十九世紀は鉄道網が整備され、スイスの温泉地に外国の富裕層が湯治に来るようになった時代でもありました。クララがハイジの小屋で四週間過ごすあいだ、クララのおばあさまはラガーツ温泉に滞在しています。そんなに長いあいだ一人で滞在しても嫌にならないくらい、観光地として整備されていたのではないかと思います。

 わたしも二〇一九年三月末に、マイエンフェルトとラガーツ温泉を訪れました。マイエンフェルトでは、ハイジの物語はいまや重要な観光資源です。ハイジの名前を冠したホテル、レストラン、それに「ハイジ村」もあります。町のインフォメーションセンターでも、ハイジのグッズが売られています。作品に出てくるファルクニス山は、マイエンフェルトの駅から一望できます。ブドウ畑に囲まれたなだらかな坂を上っていくとマイエンフェルトの役場があり、その先に、デルフリ村のモデルとなった集落があります。作品のなかではアルムの夏の日々の美しさが何度も強調されますが、天気のよい春の日に、鳥の声を聞きながら歩いていくのも楽しい体験でした。家々の庭にはクロッカスやスイセンが咲き乱れ、早咲きの桜も咲いていました。一歩上るごとに視界が開けていき、鉄道が走る谷間と、その向こうの山々を眺めていると、ひろびろとした気持ちになり、心からリラックスできました。この旅行は、とてもいい思い出になっています。

 これまで、いろいろなところでハイジと縁があり、そうした縁がつながっていって、驚くようなことが何度もありました。二〇一三年一月から二年間にわたって、月刊誌「百万人の福音」(いのちのことば社)で、『アルプスの少女ハイジ』の第一部を抄訳させていただきました。二〇一五年には、学研プラスが出している「10歳までに読みたい世界名作」シリーズの第九巻として、『アルプスの少女ハイジ』を小学生向けに編訳しました。このシリーズは、いまでも版を重ねています。

 その後、二〇一八年末に、NHKのEテレ「100分de名著」出演のお話をいただいたとき、どの「名著」にするか話し合う過程のなかで、わたしが『アルプスの少女ハイジ』を挙げたところ、小学生の頃にアニメの「ハイジ」を見ていたというプロデューサーの秋満吉彦さんが、喜んで応じてくださいました。番組用のテキストを執筆する過程で、ふたたびじっくりと原作を読む機会があり、ますますこの作品が好きになっていきました。

 そしてその後、番組を見てくださったKADOKAWAの編集者豊田たみさんからお電話をいただき、完訳が実現することになりました。また、この作品について、いろいろな場でお話しする機会もいただきました。ハイジを通して出会った方々、お世話になった方々に、心から感謝したいと思います。今回の翻訳を熱心にサポートしてくださった豊田さんには、この場を借りて特にお礼申し上げます。

 なお、Heidi という人名は、言語の発音では「ハイジ」よりも「ハイディ」の方が近いのですが、日本では「ハイジ」が定着していることから、「ハイジ」にしました。

 野上彌生子さんがこの本を英語から翻訳したのは、ちょうど百年前の一九二〇年でした。そのときには「ハイヂ」と表記されていました。また一九二五年に出た山本憲美訳では、タイトルが『楓物語』とされ、ハイジは楓、ペーターは辨太、クララは本間久良子という名前になっていました。

 百年にわたる翻訳史を振り返ってみると、いろいろなことが見えてくるに違いありません。

松永美穂

▼ヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000047/

KADOKAWA カドブン
2021年03月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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