アマルティア・センの思想 ローレンス・ハミルトン著 みすず書房

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アマルティア・センの思想

『アマルティア・センの思想』

著者
ローレンス・ハミルトン [著]/神島裕子 [訳]
出版社
みすず書房
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784622089698
発売日
2021/01/20
価格
4,620円(税込)

書籍情報:openBD

アマルティア・センの思想 ローレンス・ハミルトン著 みすず書房

[レビュアー] 瀧澤弘和(経済学者・中央大教授)

 1998年にアジア人初のノーベル経済学賞に輝いたセン。その広範な業績を貫く思想を精緻(せいち)に解説する貴重な本である。著者は現実主義の政治理論家で、その立場からセンの思想の理想主義が批判される。

 センは、主流派経済学の中核分野で大きな業績を残した後、福祉の経済学、政治理論へと著述の範囲を広げてきた。その研究を一貫して駆り立ててきたのは、開発の問題だ。財は人間の潜在能力を実現する手段にすぎない。財の不平等な分配と並んで、財の人間的な諸機能への転換を妨げている要因も重要なのだ。

 この問題を考え抜くことでセンは、経済学の基礎を支えてきた功利主義を超える思想を展開するに至る。開発とは単なる経済成長ではなく、「人々が享受する真の自由の拡大プロセス」である。

 ではそれをどう実現すべきか。現実的な改善に取り組もうとするセンにとって、理想的な社会制度とは何かに焦点をあてる正義論は役に立たない。むしろ、現存する「正義にもとる」状況に対処するため、より良い状態を実現することに焦点を当てた正義論が必要なのだ。このようなプロセスの駆動にとって重要なのは、情報提供によって批判的議論を可能なものにするマスメディアと、熟議デモクラシーである。

 だが、この立場に対する著者の批判は手厳しい。現実主義の観点からは、既存の権力関係に敏感な制度分析が不可欠だが、センには権力関係や党派性の分析がないという。党派的に分断された今日のアメリカ政治を思い起こすとき、この批判は確かに説得的である。

 しかし、センの「理想主義」が持つラディカルな力も過小評価してはならないはずだ。センが長年提唱してきたように、国民総生産に代わって、人々の自由や生活の質を計る評価指標が徐々に浸透しつつあることは、そのことを物語っているのではないだろうか。神島裕子訳。

 

読売新聞
2021年3月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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