最後の夏をなくし、〈新しい言葉〉を求めて。

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あの夏の正解

『あの夏の正解』

著者
早見 和真 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103361534
発売日
2021/03/17
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

最後の夏をなくし、〈新しい言葉〉を求めて。

[レビュアー] 重松清(作家)

重松清・評「最後の夏をなくし、〈新しい言葉〉を求めて。」


夢を奪われた選手と指導者はどう行動したのか? ※写真はイメージです

コロナ禍で甲子園が中止になった2020年、元高校球児の作家・早見和真さんは強豪校の野球部に密着し、“甲子園のない夏”の意味を問い続けた。早見さんの初のノンフィクション作品『あの夏の正解』刊行に際し、作家の重松清さんが書評を寄せた。

 ***

 本書には、三つの顔がある。

 まずなにより、新型コロナ禍に翻弄された二〇二〇年夏の高校野球を描いた、スポーツ・ノンフィクションとしての魅力。これはもう、早口に梗概を語るだけでわかっていただけるに違いない。

 周知のとおり二〇二〇年は、すでに出場校が決まっていた春の選抜大会が中止になり、夏の選手権大会は地区予選すらおこなわれずに終わった。

 早見和真さんは、愛媛県の済美高校と石川県の星稜高校を繰り返し訪ね、甲子園という大きな目的地を失った部員や監督への取材を重ねる。とりわけ最後の夏を理不尽に奪われてしまった三年生部員は、現実をどう受け止め、それぞれの高校野球をどう締めくくったのか――。

 済美高校も星稜高校も、高校野球ファンにはおなじみの強豪校である。この両校を取材先に選んだことで、本書にはまた新たな魅力が加わった。

 甲子園への距離感は、学校によってまったく違う。強豪校の部員にとって、甲子園は決して遠い夢や憧れではない。現実的な目標である。手を伸ばしたほんのわずか先に、確かに見えている。だからこそ、彼らはこの学校に来た。猛練習に耐え、厳しいレギュラー争いを続けた。

 そんな甲子園が忽然と消えてしまったとき、彼らは自問せざるを得なくなる。野球部に残るかどうか、甲子園を目指さない野球とはどんな野球なのか、自分にとっての済美の/星稜の野球部とは、高校野球とは、がんばることとは……。さらにその問いが、プロ志望の主力選手から、チームをまとめるキャプテン、ベンチ入りのメンバーを支える部員まで、さまざまに分光していくのである。自問、そして自答。あの夏の正解――それは、部員の数だけある。

 早見さん自身もかつて高校球児だった。小説デビュー作『ひゃくはち』の主人公・雅人クン同様、強豪校の補欠部員だったのである。部員たちの自問は、早見さんの内側にも響きわたる。すると、ひと夏の取材をへて、早見さんの「あの頃」への微妙で複雑な思いも変わってきた。となると、小説家・早見和真の新作への期待もグッと高まるのだが……それはまた別のお話。

 もっとも、早見さんは取材にあたって、「あの頃」に依拠する部分を極力減らして、「いま」の高校球児たちに向き合った。それは、なぜか。

 本書の冒頭には、夏の選手権大会中止の決定後に朝日新聞に寄稿した文章が置かれている。その締めくくりは、〈どの大人も経験したことのない三年生の夏を過ごすすべての高校生〉へのメッセージになっていた。

〈強豪も、弱小も関係なく、もちろん野球部だけの話でもない。この年に高校三年生だったことの意味を考えて、考えて、考えて、考えて……。/そうして考え抜いた末に導き出す、僕たちには想像もできない新しい言葉をいつか聞かせてほしいと願っています〉

 早見さんは、「目指せ、甲子園」という合言葉を失った高校球児から〈新しい言葉〉を引き出そうとした。だからこそ、つい「あの頃」を重ね合わせたくなるのを自制したのではないか。「わかるよ」という相槌は、彼らを安心させる一方で、言葉を〈考え抜いた末に導き出す〉機会を奪ってしまうことにもなってしまうのだから。

 そう考えると、本書の三つめの魅力――〈新しい言葉〉をめぐる対話の記録という顔が浮かび上がってくる。

 戦争や天災、疫病など、さまざまな厄災は世の中を「以前/以後」に分けてしまう。このたびの新型コロナ禍も、むろん、その例外ではない。

 時代が変わると、言葉も更新される。二〇二〇年の高校野球は、〈新しい言葉〉が否応なしに求められる時代の先取りにもなっていたのだ。

 合言葉を失ったのは、部員だけではない。彼らの最もそばにいる大人、すなわち野球部の監督もまた〈新しい言葉〉で部員に語りかけなければならなくなった。

 本書には済美高校の中矢監督と星稜高校の林監督の姿も描かれている。二人の監督は、部員の無念や葛藤をどう受け止め、三年生の最後の夏にどんな道筋を示したのか。

 苦闘である。試行錯誤の連続でもある。時に自縄自縛に陥り、時に部員たちを混乱させてしまいながらも、手探りで進むしかない。

 一方、早見さんも部員や監督に対して、決してユルい問いは放たない。質問の場面の端々に、こんな前置きがある。〈覚悟を決めて〉〈失礼を承知で〉〈あえて意地悪な質問を〉〈そんな気持ちを思い切ってぶつけてみると〉……そこには、早見さん自身の苦闘の跡も刻まれているのだ。

 だからこそ、本作は高校野球を描きながら、「いま」の普遍へと開かれている。〈新しい言葉〉を求められているのは高校球児や監督だけではないはずなのだ。

 済美高校の中矢監督は、夏の選手権大会中止を断腸の思いで部員たちに伝えたあと、こう言った。

〈早見さんならどんな言葉をかけましたか?〉

 その〈早見さん〉は、あなた――僕たち一人ひとりでもあるのだろう。

新潮社 波
2021年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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