『帰郷』
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敗戦日本 故国に戻った男が見た花の美しさ
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「桜」です
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国破れて桜あり。
大佛次郎の『帰郷』は戦後の混乱期、昭和二十三年に「毎日新聞」に連載され好評を博した。
国が戦争で敗けたあと、何を信じていいか分からなくなった元軍人たちの失意と悲嘆を描いている。
主人公の守屋恭吾は元海軍の軍人。上官や同僚の汚職の責任を一人かぶって海外へ放浪の身となり、存在が消された。
戦争が終って守屋は日本に帰る。故国喪失者として何年ぶりかでひそかに日本に戻った守屋はその荒廃ぶりに心を痛める。
それでも焼跡闇市のなか、春になれば桜の花が咲く。ある時、鎌倉に海軍の友人を訪ねた守屋は、共に円覚寺、建長寺と歩き、桜の花が咲いているのを見る。いっとき心慰められる。
故国を離れて十数年ぶりに見る桜である。「そして、やはり、これは夢のように仄かな色をして、美しいのである」。
年を重ねてから、ようやく桜の美しさが分かったとも友人にいう。
「年をとったのだ、俺たち」「桜が、きれいに見えるようになったのだ。桜、桜、と言うが、俗悪で、つまらぬ花だと思っていたがなあ」
若いうちは花になど目がゆかない。老人になって人間に愛想をつかして、はじめて植物が可愛く見えるのかもと守屋は思う。
昭和二十五年に松竹で映画化(大庭秀雄監督)。佐分利信演じる守屋が苔寺(原作は金閣寺)で娘の津島恵子と再会する場面は哀切。苔寺は一躍全国に知れた。