マザリング 現代の母なる場所 中村佑子著 集英社

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マザリング 現代の母なる場所

『マザリング 現代の母なる場所』

著者
中村 佑子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784087717341
発売日
2020/12/16
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

マザリング 現代の母なる場所 中村佑子著 集英社

[レビュアー] 柴崎友香(作家)

 「『母』という言葉を聞いて、抵抗感をもつ人もいると思う」とこの本は始まる。今の日本の社会を生きるわたしも、やはり警戒心を抱いてしまう。妊娠や子育てをする女性が経済活動では効率の悪い存在として疎外される一方で、育児や家族の問題は「母」に丸投げされ、母性本能など都合のいい言葉でくるまれてきた。

 映像作家である中村佑子さんが「手垢(てあか)にまみれた『母』という言葉を、解体したい」、そのプロセスを綴(つづ)っていく。「マザリング」という言葉には、母に限らず、弱いものに寄り添う意味が込められている。自身の妊娠、出産によって経験した未知の感覚から、思考は始まる。体内に別の生命を宿す状態を、生と死の際のそら恐ろしいような感覚として、暗闇をじわじわと探るように進んで行く。

 母や胎内を社会や文化の言説がどう扱ってきたかを引きつつ、流産の経験がある人、養子を迎えた人、子供の誕生を語る父親など、を訪ね、対話を重ねていく。彼女たちの言葉は重なり、響き合って、形ははっきりしていないが確かにそこにある感覚が浮かび上がる。

 「いま使っている言語のなかに、女性が経験する事態をあらわす言葉がない」ことを、中村さんは発見する。現代の社会や文明はそのシステムの中心にいる側の言葉で語られてきた。

 人を訪ねて歩き、ゆっくりと対話を重ねた中村さんは、身近なある女性の経験へとたどり着く。精神のバランスを崩していたその人の生をすぐそばに感じるとき、わたしもその苦しさと慈しみに触れたような気がした。

 体験は、言葉では語りきれないこともある。なにかについて語ることは、既存の言葉で置き換えることや新しい単語を作ることとは限らない。語りきれないものを語りながら近づき、語りきれない可能性を知るからこそ伝えられることがある。手探りでどうにか進んで行こうとするこの試みを、この先も読んでいきたい。

読売新聞
2021年3月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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