クララとお日さま カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 早川書房

レビュー

1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

クララとお日さま

『クララとお日さま』

著者
カズオ・イシグロ [著]/土屋 政雄 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784152100061
発売日
2021/03/02
価格
2,750円(税込)

書籍情報:openBD

クララとお日さま カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 早川書房

[レビュアー] 木内昇(作家)

 たとえば、数々の名画を遺した物故画家の「新作」をAIが描く、といった類いのニュースに接すると、どうも鼻白んでしまう。人は生きていれば常に移ろっていく。定まった反復の中にあるわけではないのに、と。一方で、もう亡い人を科学の力で甦らせて、また昔のように語らうことができたらと、ふと夢見ることもある。

 クララは、子供たちの孤独を救う目的で開発された人工親友(AF)だ。太陽光を栄養としているから、お日さまにとても親しんでいる。彼女が共に暮らすのは、「向上処置」を受けたのち、今は病と向き合っている少女ジョジー。幼馴染みの少年リックと立てた将来の計画が、その不安定な日々を支えてきた。

 娘の未来を想い、処置を選択したジョジーの母親は、喪失の恐怖と戦っている。彼女はクララに、ジョジーの動きや口調を再現させようとするのだが、その意図はなんなのか。反して、種々の事情により息子への処置を拒むことになったリックの母親もまた、彼を信じつつも将来を案じてある行動を起こす。ふたりの母親を突き動かしているのは、愛情なのか、それともエゴなのだろうか。

 親しいはずの者たちの、脆さをはらんだ関わりを見詰めながら、クララはジョジーに寄り添う。対象の言動を観察し解析して、折々の心情を取り出そうとする。一見、さもAFらしいアプローチだが、はたと気が付く。私たちも、誰かを心底理解したいと願うとき、注視と分析をしてやしまいか、と。けれど人の心は、不可解で複雑で無軌道に変容している。掴んだつもりでも、いつしか指の隙間からこぼれ落ちてしまうのだ。

 他者との繋がりは一定でも永遠でもない。いずれ必ず別れも訪れる。人生とは、そうした無常の土に咲いている。胸に開いた穴は容易に埋めることはできないが、しかし人には、誰かの形をしたその空洞を大切に慈しむ、尊い能力が備わっている。

 お日さまを一心に信じるクララの原初的な祈りの姿に、人を想うという行為の、清らかな核心を見たような気がした。

 読み始めは未来にタイムスリップしたかのような心細さだ。入ってくる情報は、一人称で語るクララが見聞きしたことだけ。どうやら断絶と差別に満ちているらしい未来社会の詳細は最後まで明示されない。一方で、クララはさまざまな出来事を極めて精緻(せいち)に語り続ける。だから、まるでクララになって未来の世界を覗(のぞ)いているかのようだ。

 「人工親友(AF)」のクララが共に暮らしサポートする相手は病弱な少女ジョジー。「向上処置」を受けた子どもたちの交流会で、人が変わったかのごとくジョジーが口にした、自分に対する友情を疑わせる言葉が気にかかる。それも受け入れ、ジョジーを「愛し」けなげに助け続けるクララ。

 それぞれのAFには個性があって、まるで心や友情を持っているかのようだ。人間は、AFがアルゴリズムに基づいて生み出すそんな「心」や「友情」をすんなりと受け入れることができるものなのか。いや、もしかすると我々の心や友情もアルゴリズム的なものにすぎないのではないかと不安がよぎる。

 AFのエネルギー源はお日さまだ。そのせいもあってか、優れた観察力と推定力をもって極めて的確な判断をくだすクララだが、論理的とはとても思えない「お日さま信仰」らしきものに強くとらわれている。それは美質なのか、それとも欠陥(バグ)なのか。

 お日さまが、ジョジーの病気を治すために「命」を懸けてまで行動したクララの望みに応えてくれたかどうかがその答えといっていいだろう。

 AFの個性は意図して作られたものではなく、偶然にできてしまうもののようだ。ヒトの個性も遺伝子の組み合わせの偶然によって左右される。科学万能主義の世の中において、不条理を「信じること」ができる能力は、はたして長所なのか欠点なのか。

 じつに多彩なたくらみに満ちた小説を読み終えた時、「信じること」と並んで、いや、それ以上に私の心に残ったのは「信じ合う心」だった。それは、「特別な何か」が「ジョジーを愛する人々の中」にあったと、役目を終えたクララが教えてくれたから。

 さて、あなたはこのSF的ファンタジーから何を感じ取られるだろうか。

読売新聞
2021年3月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • このエントリーをはてなブックマークに追加