• 擬傷の鳥はつかまらない
  • 高瀬庄左衛門御留書
  • 不可逆少年
  • あと十五秒で死ぬ
  • 元彼の遺言状

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 この原稿を書いている時点では、まだ今年にはいって一ヶ月ちょっとしか経ってないのだが、早くも「これ、年間ベスト級では?」と思える作品に二作も出会ってしまった。こんなことってあるんだなあ。二〇二一年、豊作の予感にワクワクしている。

 しかもその二作、新人のデビュー作と、デビュー二作目なのだ。金の卵から雛がざくざく孵っているかのようで、楽しみなことこの上ない。

 ひとつは、荻堂顕『擬傷の鳥はつかまらない』(新潮社)だ。第七回新潮ミステリー大賞受賞作である。風俗で働く女性たちが身元証明を必要とするとき、偽の書類などを手配して堅い仕事についているという嘘を仕立てるのが仕事のサチ。彼女には、依頼人を「ここではない場所」に逃すというもうひとつの顔があった。ある日、彼女のもとにデリヘルで働くふたりの少女が「逃してほしい」と駆け込んでくる。ヤクザに追われているというのだが、どうもそれだけではないらしい。一度は断ったサチだったが、少女のひとりが死んだことで、否応なく事態に巻き込まれていく。

 ──と書くとノワール小説のように、あるいは本誌今月号で特集されている今村翔吾の「くらまし屋稼業」シリーズ現代版のように思えるが、サチには本当に人を現実の社会とは違う場所に連れていく力がある、というファンタジー設定なのである。しかもサチがデリヘルの店長と少女の過去を調べるくだりは、ハードボイルドな私立探偵小説の趣すらある。ノワール、ファンタジー、私立探偵小説。相容れないように見えるこの三要素が見事に並び立ち、融合していることに驚かされた。

 ここに描かれる少女たちの来し方や、彼女たちが巻き込まれた事件を描くだけで、充分エキサイティングなノワール小説として、あるいはミステリとして成立する。なのになぜ人を別世界へ連れていけるなどというファンタジーにしたのか。それはひとえに、過去をやり直すとはどういうことか、後悔を抱え続けるとはどういうことかという、本書のテーマを描くために他ならない。

 サチを頼る人は皆、重い後悔を抱えている。どうしようもない絶望を抱えている。あの時5月、なぜあんなことをしてしまったのか。あれさえなければ、あそこで間違ってさえいなければ。そうすれば今とは違う別の未来があったかもしれないのに――本書のミステリ部分は、彼女たちの「後悔」を探る旅だ。ファンタジー部分は「過去を消すことができるとしたら、それは何を意味するか」という問いかけだ。ミステリとファンタジーがひとつのテーマに収斂していく様は見事という他ない。

 この物語は四章で終わるという手もあった。四章で終わっていればシリーズ化もできたろう。だが敢えて著者は終章をつけた。そこに私は、著者の思いと覚悟を見た気がする。

 もうひとつの「年間ベスト級」は、砂原浩太朗の時代小説『高瀬庄左衛門御留書』(講談社)だ。二〇一六年に『いのちがけ 加賀百万石の礎』で第二回決戦!小説大賞を受賞し、小説の単行本としてはこれが二作目となる。

 主人公は五十路を迎えたところで息子を亡くした郡方の役人、高瀬庄左衛門。一度は息子に譲ったお役目に再び就くこといなった。実家に帰した息子の妻や彼女の弟も高瀬家に顔を出し、静かに暮らしていたのだが、ある私闘の場に出会したあたりから、彼の周囲に波風が立ち始める。そして彼の担当する農村で強訴の噂が立ち、庄左衛門は藩の政争に巻き込まれていく……という物語だ。

 ストーリーもさることながら、私が何より圧倒されたのはこの高瀬庄左衛門の清廉にして清冽な生き方と、それを描写する著者の筆力である。庄左衛門の中には後悔がある。寂寥がある。後悔と寂寥を抱えて、当時で言えば老年に差し掛かる年齢まで生きてきた。だがその後悔も寂寥もまごうことなく自分の一部であることを認め、受け入れ、それを抱えたまま凛として立っている。その様子を、著者は抑制された筆致で淡々と描く。静かな分、気づかないうちに読者の心に染み渡っていく。

 人物もいい。庄左衛門はもちろんだが、脇を固める人物も皆ひとりひとりに血肉があり、思いがあり、背景があるのが透けて見える。彼らが座敷で語り合う場面など、それぞれの顔や表情が浮かんでくるようだ。

 今書いていて気づいたが、後悔を抱えて生きるというこの物語のテーマは、『擬傷の鳥はつかまらない』と共通するかもしれない。『擬傷~の』が過去を消したい人を通して描いているのに対し、こちらは過去を受け入れた姿を描いている。まったく違うジャンルの、テイストも人物造形も文章のスタイルもまったく違う二冊が、まったく違うアプローチを通して、はからずも同じことを描いている。その二冊を同時期に読めるというのは、これもまた読書の面白さだ。

 ということで今回は、新人のデビュー作と二作目に焦点を当ててお薦めを紹介していこう。

 五十嵐律人『不可逆少年』(講談社)はデビュー作『法廷遊戯』が青春ミステリとしてもリーガルミステリとしても高く評価された著者の二作目である。

 世を震撼させた猟奇殺人事件の犯人は十三歳の少女 ──刑法上いかなる行為も処罰されないと定められている「刑事未成年者」だった。彼女が殺したのは姉の同級生ふたりの親と担任教師。被害者はいずれも自分の子を虐ぎ待したり教え子を自死に追いやったりしており、殺されたことで救われた者もいた。だがそれは次の事件の始まりだった……。

 意外な展開やサプライズというミステリの醍醐味がたっぷり味わえる。だが同時に印象に残ったのは、更生不可能な人格障害を持つ少女を通して少年法の限界を描きつつ、その一方で、本人の意志があれば人は変われるということを描くその対比だ。そのために不可欠なのは大人の助けだが、本書では、辛い目に遭ってきたとある少女が「私たちの周りにまともな大人はいなかった」「そんな大人を、どうすれば信用できるの?」と述懐する場面がある。大人のひとりとして胸が引き裂かれるようだった。

 榊林銘『あと十五秒で死ぬ』(東京創元社)は、二〇一五年に第十二回ミステリーズ!新人賞佳作となった「十五秒」を含む、著者のデビュー短編集だ。収録されている四編すべて、十五秒という時間が物語の核になる。「十五秒」は銃撃された薬剤師が、死神から与えられた十五秒の余命で犯人を特定しダイイングメッセージを残そうとする物語。「首が取れても死なない僕らの首無殺人事件」は、首と体が離れても十五秒以内にくっつければ元どおりになるという人々の中で起きた殺人事件。よくもまあそんなこと考えつくなあ、と感心するが、そのルールに則った上できっちりと論理的解決を見せてくる手腕はさすが。特に「不眠症」の皮肉なラストが印象深い。

 新川帆立の第十九回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作『元彼の遺言状』(宝島社)は遺言書を巡るミステリだ。大手製薬会社の御曹司が「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」という遺言状を残して亡くなった。だが死因はインフルエンザで「犯人」はいないはず。弁護士の剣持麗子は依頼人を「犯人」に仕立て上げて莫大な手数料を狙う。

 この出だしからして奇妙極まりない上、怪しい遺族はしこたまいるし殺人事件は起きるしで、まったく飽きさせない。また、コミカルに進みながらも著者が弁護士ということでしっかりした法知識に裏打ちされているのも高ポイントだ。

 何より魅力的なのはヒロインの麗子である。とにかくお金が好きで、恋人からのプロポーズも「百万円以下の指輪なんて欲しくない」と断るほど。普通なら嫌な女に見えるはずが、こだわる金額が桁違い過ぎて逆に笑ってしまう。さらにこの麗子、高慢ちきではあるのだけれど、信頼できると思った人には心を開くし骨惜しみせずに働く。いいとこあるんじゃん、と思ったあとで終盤に用意された麗子自身のエピソードを読

むと、もう「麗子、可愛い!」という気持ちになってしまうのだ。この人物造形の見せ方には感心した。

 人気脚本家の伴一彦が初めて書いた長編ミステリが『人生脚本』(光文社)だ。息子の事故死を機に、夫婦仲がうまくいかなくなってしまった早紀。夫とは会話もないすれ違いの生活を続けていたが、ある日、転覆事故を起こした列車に夫が乗っていたらしいという連絡が入る。遺品や遺体は確認したものの、そもそもなぜ夫がその列車に乗っていたのかがわからない。夫の親友で早紀の旧友でもあるライターの篠山が調べ始めると、思いもよらぬ事実が出てきて……。

 夫は本当に死んだのか、死んでないならなぜ名乗り出ないのか、というのがメインの謎だ。二転三転する展開に翻弄され、終盤近くなってもまったく予断を許さない。まさにジェットコースターサスペンスである。

 だが本書のキモは「思い通りにいかない人生」というテーマにある。こんな人生でありたいという脚本を思い描いたとしても、他者がその脚本通りに動いてくれるはずもない。だが本書には、自分の思惑通りにことが進まないのを他人のせいにし、他人を変えようとする人物が何人も登場する。その浅ましさ。本書ではそういった人々が暴走し、事件を大きくしていくが、似たような感情は大なり小なり誰しも抱くことがあるのではと思うと恐ろしくなる。 ピチピチの新人から別ジャンルで名をなした書き手の新たな挑戦、新人賞受賞者の気持ちのこもった第二作。いずれも意欲の伝わる作品ばかりだ。この一年、引きこもって大人しくしているしかない生活だったが、それでも次代を担う作家たちはこうしてどんどんと羽ばたいている。なんとも元気づけられることではないか。

 春は、近い。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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