定年間近の記者がなぜ山に登ったのか

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ぶらっとヒマラヤ

『ぶらっとヒマラヤ』

著者
藤原章生 [著]
出版社
毎日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784620326696
発売日
2021/02/27
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

定年間近の記者がなぜ山に登ったのか

[レビュアー] 篠原知存(ライター)

「ぶらり」とか「ふらっと」とかが大好き。計画より衝動。思いつきで行動して、気がついたら考えもしなかった場所にいるなんて最高だ。とはいってもだいたい週末の散歩とか、近場の温泉レベルの話。それがまさかのヒマラヤ!? スケールがケタ違いで素敵すぎる。タイトル買いして一気に読んだ。

 毎日新聞の名記者が、ぶらっと登りに行ったのはダウラギリI峰(8167m)。そのために退職する覚悟までしたけれど、2カ月の休暇が取れたので(なんていい会社!)辞めずに挑戦。その準備から帰国後の心身の変化に至るまでを、自身のこれまでの登山体験などと重ね合わせながら記していく。

 ただ足を進めるだけでも大変な超高所登山。定年間近の〈一般男性〉には過酷だったことが随所に窺えるが、シェルパ(登山ガイド)が食事の用意やテントの設営、ルート作りまで担ってくれることを〈これじゃあ、名門幼稚園の遠足だ〉と自嘲するなど、視点はジャーナリスティック。文章は軽妙かつ臨場感抜群。ぐいぐい引き込まれる。

 そして行く手にあの問いが浮かび上がる。「なぜ山に登るのか」。ヒマラヤの高峰とはいえ、すでに何百人も登頂していて世間的な評価は期待できない。「8000」の魅惑に浸りつつ、それは〈自分ひとりで完結する自分の中の栄光、ナルシシズム、自己満足にすぎない〉と書く。

 しかも〈私はもともとはとても臆病な性格だ。怖がり、弱虫、泣き虫である〉。なのにロシアンルーレットに例えられるような雪崩の頻発地帯を、どうして歩いたりしているのか。思索は深まっていく。人はなぜ冒険的行為に身を投じるのか。恐怖とは何か、勇気とは……。

 ばかげた行為だと否定するのはたやすい。だけど理性や常識が邪魔をして見えていないものだってある。人間味あふれるヒマラヤ紀行が、凝った肩と頭をほぐしてくれた。

新潮社 週刊新潮
2021年4月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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