大人の視点が入り込まない もどかしくもやさしい彩りある少年の日常

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大人の視点が入り込まない もどかしくもやさしい彩りある少年の日常

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 時代は昭和四十五年。舞台は北海道の小樽。朝倉かすみ『ぼくは朝日』は、小学四年の西村朝日の日常を描いた六章から成る物語だ。

 母は朝日を産んだときに〈天国にとられて〉しまったが、信用金庫に勤める十歳上の姉・夕日と、バスの運転手である父との生活はそれなりににぎやかで楽しい。新品のカラーテレビをおかしな状態にしてしまってうろたえたり、そのテレビを速攻で直してくれた電気屋の主人を最高にカッコいいと思ったり、もらってきた仔猫を分身のように感じたり、朝日はいつも元気でやさしく健気だ。彼の毎日を彩るエピソードのひとつひとつが、いちいちいとおしい。

 北海道の言葉で交わされる会話に温もりが宿る。家族が「お茶の間」で楽しむテレビ番組が当時の空気を伝える。しかしこれは、ノスタルジックでほほえましいだけのお話ではない。朝日の五感がとらえるものが常に「朝日という子供」固有の心と肉体を通して書かれていて、大人の視点が決して入り込まないことに驚かされるのだ。〈言葉は、いつも、ちょっとずつきもちに間に合わない〉と朝日は感じているが、そのもどかしさは朝日のやさしさそのもの。もどかしさが最高潮に達する最終章は、一分一秒の時間が眼前に迫ってくるようだ。

「すねている」という意味の備後弁をタイトルにした中島京子『ハブテトル ハブテトラン』(ポプラ文庫)は、広島県福山市の学校に二学期だけ通うことになった小五の東京っ子、大輔の冒険記。土地の人々とのあたたかい交流、友情といった型通りの言葉から少しずつはみ出していく展開、予想を外す結末が不思議に気持ちいい。「読者の皆さん、この物語に巡り会えてよかったですね」という山中恒氏の解説に口元が緩む。

 椰月美智子『十二歳』(講談社文庫)は、突然〈自分との距離がひらいて〉しまったような感覚を「人間離れ」と名づけて思考する小六女子・さえの成長ストーリー。遠い場所に置いてきた「あの頃」の苛立ち、痛みが懐かしくよみがえってくる。

新潮社 週刊新潮
2021年4月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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