これは奇書中の奇書である──『飼い喰い 三匹の豚とわたし』内澤旬子著

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飼い喰い : 三匹の豚とわたし

『飼い喰い : 三匹の豚とわたし』

著者
内澤, 旬子, 1967-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041109106
価格
880円(税込)

書籍情報:openBD

これは奇書中の奇書である──『飼い喰い 三匹の豚とわたし』内澤旬子著

[レビュアー] 高野秀行(作家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■『飼い喰い 三匹の豚とわたし』文庫巻末解説

高野 秀行(ノンフィクション作家)  

 内澤さんと知り合ったきっかけは『世界屠畜紀行』だった。面白かったから率直にそう書評を書き、最後に「私も屠畜をやってみればよかった」と述べたところ、内澤さんから対談のお誘いを受けた。
 なんでも三十ぐらいの書評で取り上げられたが、「タブーに切り込んだ」とか「命をいただくことの大切さ」みたいな切り口が多く、私のような「興味本位」の反応は珍しかったという。
「高野さんがいた村で牛や豚をつぶすとき、可哀想とか言う人はいました?」と言うので、「いるわけないでしょう。畑から大根引っこ抜いてくるようなもんなんだから」と答えたら、「やっぱりそうだよねえ!」と嬉しそうな顔になった。その辺から私たちは急激に親しみを感じ、友だちになっていった。つまり、私たちの仲は「屠畜」から始まったのだ。
 もっとも、私たちの共通点はそれだけではない。社会に物申すというようなシリアスなノンフィクションではなく、内澤さんの言葉を借りれば「現実は小説より奇怪で奇妙で面白いということをそのまま本にしたようなノンフィクション」を書いているうえ、「小説を書きたいけどノンフィクションのキャリアが邪魔してうまく書けない」という特殊な悩みも抱えていた。同じタイプのノンフィクションを書いており、やはり小説執筆に悩んでいる宮田珠己さん、さらには私たち全員の共通の担当編集者である本の雑誌社の杉江由次さんと、四人で定期的に会って飲み食いしながら小説を書いて発表し、それについてあーだこーだ批評する会を催すようになった。まるで高校の文芸部のようなので、「文芸部」と名づけ、小説の会合は「部活」と位置づけた。
 小説に悪戦苦闘しているうちに、内澤さんはいつの間にか本業のノンフィクションの方で、何かわけのわからないことを始めていた。「千葉に引っ越して豚を飼い、最後はつぶして肉にする」と言うのだ。屠畜のことはわかったけど、その前、つまり生きているときの豚のことがあまりにわからないので、農家に訊いたけど相手にされないから自分で豚飼いをやるとのこと。
 ──また始まったよ、本末転倒が……。
 と私たち文芸部の人間は思った。内澤さんはいつもこうなのだ。
 だいたい屠畜紀行を始めたきっかけは、実は「本の装丁」が目的だったのだ。装丁に惹かれ、特に革の装丁を自分でやってみたいといろいろ調べていたら、オリジナルの革を入手するには動物を殺さなければならないことがわかった。でもさまざまなハードルがそこにあり……と、屠畜のことを調べていったら、あんなに壮大なルポルタージュになってしまったわけだ。
 この辺で本来の目的である装丁に戻ればいいのに、そうならないどころかますます遠ざかっているのがジュンコ・ウチザワたる所以。豚を飼うって一体何だろう?
 ちなみに、私たちは内澤さんが何か変な思いつきを始めると、「やっぱ、ジュンコ・ウチザワだよね~」と外国語風の呼び方をする。宇宙人的な発想や行動力がパリのファッション・デザイナーみたいに思えるせいかもしれない。内澤さん自身はパリコレモデルのような美人だし。
 内澤さんはいったん始めると、ブレーキをかける機能がないので、どんどん話を進めていったらしい。ある日、「千葉に豚を飼える家を見つけて、今はそっちに住んでいる。広いから次の部活はそこでやりましょう」という連絡が入った。
 というわけで、私、宮田さん、杉江さんの三人で行ってみたのである。そこからの記憶がおかしい。私も杉江さんもでかくなった豚を見た記憶があるのだが、本書を読み直すと、私たちが訪れたのは「豚を飼う前」と書かれている。不思議に思って杉江さんと二人で調べてみると、私たちはなんとそこを二回訪れていた。一度は本書にあるように豚を飼う直前、二〇〇九年五月上旬、宮田さんと三人で行き、「部活」をちゃんと行っている(内澤さんは「タズケントの茶蓋係」という小説を書いて発表したと記録されているが、内容は誰も覚えていない)。そして、二回目は豚をつぶす直前の九月八日、九日だった。このときは宮田さんは同行せず、私と杉江さんだけだ。なぜ二人とも記憶が混濁しているのだろう? よくわからないが、おそらく時空がねじ曲がったような「魔境」のせいだと思われる。
 本当に、内澤さんもあの家もどうかしていた。本書にもあるが、まず駅前で待ち合わせていて、内澤さんが車で迎えに来てくれたとき、驚いたというか笑ったのなんの。運転がうまいとか下手とかいうレベルじゃない。何かおかしいのだ。道路の端っこの方をそろそろと蛇行しながら進み、止まりかけてはまた進む。まるで間違って白昼に出てきてしまった臆病な夜行性の小動物のようで、あんなに獣っぽい車は初めて見た。内澤さんは余人には決して越えられないボーダー(境界)をあっさり越えてしまう人だが、いきなり車に生命が宿っている。
 小動物の車に乗るのは怖いので(実際にその後、内澤さんは派手に事故っている)、宮田さんに運転してもらって内澤さん宅へ行って、また驚いた。十年前に放棄された居酒屋の廃屋なのだ。いや、それは話には聞いていたけど、実物は聞きしに勝る。
 物件は田んぼの外れにポツンとあった。広い土間にカウンターがあり、奥には広い座敷が四つ。客が三、四十人入れそうだ。その廃屋。空き家は無気味だが、それがボウリング場やゲームセンターだともっと気味悪い。それと同じ「遊興施設的廃屋」のホラー感が横溢していた。極力掃除はしているようだが、子供の落書きもあるし、荒廃は隠せない。
「内澤さん、こんなところに一人で住んでるの!?」とみんなして唖然。夜、寝ていたら、急に賑やかな居酒屋の物音が聞こえても不思議でない気がした。でも戸を開けると、誰もいないとか。地下室で幽霊のパーティが開催されていたという村上春樹の小説「レキシントンの幽霊」の千葉県場末の居酒屋版だ。
 庭先には何かを燃やしたあとが。内澤さんが家に残された粗大ゴミを燃やしたらしい。
「神棚や五月人形もあったよ」と平然と言うジュンコ。実際にこのあと、内澤さんはこの世のものでない物音を聞いたという。ううう。
 でも内澤さんはまるで頓着していない。ガランとした旧店のカウンターでパソコンを打って原稿を書いているらしい。それどころか、「修理のために、夜、屋根に登る」という。なんでも日焼けしてシミができるのがイヤだとか。今さらどうしてそんな些細なことを気にするんだろう。だいたい、暗くなってから屋根に登るなんて危険極まりない。というか、こんなところで夜、女性が屋根を這いずり回っていたら、そっちの方が霊現象だ。ジュンコ・ウチザワはほとんど妖怪である。
 前述したように、私たちの記憶は二回の訪問が混在している。なので、どれが一度目か二度目かわからないのだが、とにかく風呂の周りに囲いを作ったことは記憶している。
 そんな異常な家と住人の中で、不思議と唯一まともだったのが豚だった。
 人の居住空間はでたらめだが、豚小屋はわざわざ作ったものなので、新しくてきれい。きちんとしている。豚の方がよほど良い環境に暮らしている。豚もイカれた飼い主よりも普通な感じだ。
 普通、と書いたが、私は日本で飼われている豚を間近で見るのは初めてだった。ミャンマー奥地の村では放し飼いだったので、いつも見ていた(というより一緒に暮らしている感じだった)が、それとはもちろん全然ちがう。村の豚は人を怖がっていて、人が近づくと逃げていたものだが、ここの豚は近寄ってくる。
「中に入っても大丈夫だよ」とジュンコが言う。
 私は内澤さんから借りたつなぎを着たまま、中に入った。豚が嬉しそうに体をすり寄せてくる。なんだか犬みたいだ。私は犬好きなので、犬によくするように首に巻いていたタオルをぶらぶらさせると、本当に豚の一頭がそれに食いついて引っ張る。
「うちの犬、そっくりじゃん!」と驚きつつ、タオルの引っ張りっこをしたり、そのうち豚の背中に乗ったりした。犬は超大型犬でもさすがに上に乗ることはできないが、ここの豚は百キロ近い。五十数キロの私を乗せても平然としている。私は「豚に乗った少年だ~」とか言いながら、狭い豚舎内で豚たちと遊んだ。「この豚たちがあと数日で肉になる」なんて全く信じられずに。
 実際に、その月末に豚と再会したときには肉になっていた。といっても、料理になっているわけだし、「再会」という感じではない。人が多すぎて、一人あたりの量が少なく、なんだかわからないうちに終わってしまった。あの廃屋と豚は幻のようであった。

『飼い喰い 三匹の豚とわたし』 著者 内澤 旬子
『飼い喰い 三匹の豚とわたし』 著者 内澤 旬子

 あれから十一年の月日が流れた。単行本が出てからも八年が経過している。久しぶりに再読したのだが、記憶していた以上に凄い本だった。ジュンコ・ウチザワが出す本はほぼ全部が「奇書」だが、これは奇書中の奇書と言っていい。
 二十一世紀の日本で畜産農家でない一般人が豚を飼うこと自体が普通でないわけだが、しかも内澤さんは豚に名前をつけている。
 ダメだろう、それは。
 人と動物の関係性は曖昧とはいうものの、おおまかなボーダーは世界的に共通している。名前をつけるかつけないかだ。
 名前とは「人扱いする」という意味である。名前がついた動物はペットもしくは使役動物であり、屠畜されて食べられたりすることはない。逆に、屠畜される動物には名前などつけないのが普通だ。
 ところが、ジュンコ・ウチザワはあっさりとこのボーダーを越えてしまう。豚を犬や猫のように可愛がり、しまいには「お母さんは仕事があるから出かけてくるね」などと語りかけている。母と子なのだ。もし普通にペットだとしても、自分を「お母さん」とペットに呼びかけるのはこれまた一線を越えた感がある(他人が犬や猫の飼い主を「お母さん」とか「お父さん」と呼ぶのは珍しくないが)。
 さらに豚の一頭が他の豚にペニスをなでられて気持ちよさそうになっているのを発見し、自分でもその豚のペニスをさすってみる……。これはもはや動物性愛と近親相姦をダブルで越えかけているんじゃないか。そして、その子を殺して食べてしまうとなると、もう一体なんと呼べばいいか不明である。
 豚を屠畜してしまうと、急に話が肉に変わるのも異常だ。それまであれほど可愛がっていた豚の話は消え(死んでしまったのだから当然だが)肉の格付けなど、まるでグルメや流通のルポになってしまう。でも内澤さんが豹変したわけではない。その証拠に、自分の豚の肉が美味しいと言われるとすごく嬉しくなっている。まるで息子が名門大学に入学したときの母親みたいに誇らしげで、ジュンコ・ウチザワの中では「母と子」の関係が続いているのが見て取れる。肉を食べたら「帰ってきた」と思うのも究極の親の愛と考えられないこともない。
 本書を再読して、今思うのは「人と動物の関係とは一体何だろう?」ということだ。
 近年は「動物愛護」「動物福祉」という概念が普及し、家畜も可能な限り幸せで豊かな一生を送る権利があり、人間にはそれを実現する義務があると考えられるようになってきた。一方では「それは偽善だ。本当に動物を幸せにしたいなら肉を食べるのをやめるべき」と主張する人も増えてきている。
 しかし、話はそう単純ではない。例えば豚。私は前述のようにミャンマー奥地の村で暮らしていた。豚は放し飼いであったから、屋外にいれば常に視界のどこかに豚がいたし、屋内にいてもブヒブヒ言う声が聞こえた。彼らの生態を目にしてとても驚いたのは、「人の手のかかったものしか食べない」ということだった。
 飼い主は毎日、バナナの幹を切って煮込みを作ったり残飯を与えていた。また、内澤さんの豚は好まなかったようだが、ミャンマーの豚は人糞が大好物だった。村にはトイレがなかったので誰もが村はずれの茂みで用を足しており私も同様だったが、どんなにこっそり行っても豚が瞬時にかぎつけて後をついてきて、私の尻の真横で待機する。そして、ブツが地面に落ちるや否や猛ダッシュしてパクつく。複数の豚がいるときは争奪戦であり、私は自分がえらく人気者になったかのような錯覚にとらえられたときもあった。
 それだけではない。私は一度村でマラリアにかかったのだが、高熱の他に激しい下痢と嘔吐に苦しんだ。それらは突然襲ってくるので茂みに行く余裕などなく、軒下で放出するしかなかったが、これまたあっという間に豚さんたちが走ってきて処理してくれるので、本当に助かった。
 何が言いたいかというと、豚は「人間依存動物」なのである。人間がいないと生きていけないのだ。もし人間が豚肉を食べるのをやめたら、豚は種として絶滅してしまうだろう。それが豚にとって幸せとは思えない。それもやはり人間のエゴだろう。どこまで行っても、人間と家畜の関係は正解がないのである。
 人と家畜の関係性だけでなく「家畜とペットの位置づけ」もどんどん移り変わっている。
 私が暮らしていた一九九〇年代のミャンマーの村や七〇年代の千葉県ではおそらく、ペットにしても家畜にしても待遇にさして差がなかったのではないか。両方とも半分以上放し飼いであり、特別大事にされないかわりにキチキチと管理されてもいなかったはずだ。むしろ、肉として売れる(食べられる)家畜の方が犬猫より大事にされていたかもしれない。
 ところが現在ではペットはもはや家族の一員となり、家畜は経済動物としてひじょうに厳格に管理されるようになった。かたや「人間」、かたや「商品」となった感がある。でも、豚や牛やヤギも飼えばすごく可愛いと飼い主の人たちは言う。頭がいいし、なつくし、人の言葉も理解するという。
 動物を可愛がりたいというのと、美味しくて安全な肉を食べたいという二つの本能的な欲求が年々強化され、結果的に人間による動物への接し方は分裂の度合いを広げている。私たちはその二つの相反する欲求(言ってみればダブルスタンダード)をファジーにして暮らしている。ところが、そのファジー機能が壊れてしまっているのがジュンコ・ウチザワなのである。
 商品のはずの豚をわが子のように飼う。すると、最後には豚に手ずからキャベツをあげてトラックの荷台にのせ、また屠場ではバナナで豚を誘導するという、畜産農家の人や屠場の人も驚くような光景が出現する。そして商品となったわが子を愛でる。本書はどこを読んでもぼかしやモザイクはかかっておらず、全てのシーンの解像度が最高レベルに高い。だから、ふだんは一般人の目には触れない、あるいはニュースとして届かない豚のペニスの形状(なんとワインオープナーに似てる!)だとか生まれたばかりの豚の子の生死の境目(こちらの方が屠畜より衝撃的だ)などの細部もくっきりと伝わってくる。
 ジュンコ・ウチザワにとっては、メインと細部の区別などないのだ。すべてを知りたい、伝えたいというのがこの人の本能であり、だからこそ“本末転倒”がすぐに起こるのだろう。
「文庫版あとがき」にも書かれているが、内澤さんはその後、小豆島に移住。草刈りをするのが面倒くさいという理由でヤギを飼いだしたらそのヤギが雑草を食べず、結局内澤さんが別の所から毎日わざわざ草を刈ってあげるはめになった。しかもまたもや溺愛したうえ、交配させて、数も五匹に増えている。いっぽう、内澤さんは狩猟を覚え、自前の屠場も作って鹿肉や猪肉の出荷も始めたところ、持ち込まれたうり坊(猪の子)に情が移ってしまい、これまた可愛がっているようだ。
 ジュンコ・ウチザワの本末転倒ぶりは衰え知らずで、革の装丁本作製は一体いつになるのか神のみぞ知るという状況だが、そのおかげで私たち読者は内澤さんが自ら創造する「現実は小説より奇怪で奇妙」を味わい続けることができるのである。

■作品紹介

これは奇書中の奇書である──『飼い喰い 三匹の豚とわたし』内澤旬子著
これは奇書中の奇書である──『飼い喰い 三匹の豚とわたし』内澤旬子著

飼い喰い 三匹の豚とわたし
著者 内澤 旬子
定価: 880円(本体800円+税)

自分で豚を飼って、つぶして、食べてみたい――。前人未踏の体験ルポ
「記憶していた以上に凄い本だった。これは奇書中の奇書と言っていい」
解説の高野秀行氏も驚嘆! 
前人未踏の養豚体験ルポルタージュ。
ロングセラーの名著『世界屠畜紀行』の著者による、もう一つの屠畜ルポの傑作。
生きものが肉になるまで、その全過程!

https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000231/

KADOKAWA カドブン
2021年04月02日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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