殺人犯の父を、許せるか?警察小説の旗手が、家族の限界を描くサスペンス!──『砂の家』 堂場瞬一著【文庫巻末解説】

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砂の家

『砂の家』

著者
堂場, 瞬一, 1963-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041108857
価格
880円(税込)

書籍情報:openBD

殺人犯の父を、許せるか?警察小説の旗手が、家族の限界を描くサスペンス!──『砂の家』 堂場瞬一著【文庫巻末解説】

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■『砂の家』文庫巻末解説

解説
吉田 大助 

 本書をタイトルに惹かれて手に取った、という人は少なくないのではないだろうか。『砂の家』。元ネタとなった言葉は、一九六一年に刊行された松本清張の代表作『砂の器』だ。同作は、ネタバレすれすれの書き方を許してもらえるならば、父と息子の物語だ。捨ててきた過去の人生の象徴である故郷の父が、成功した息子の前に現れ死神のような存在として目に映り、息子を(結果的に)追い詰めてしまう。清張の小説の中に砂の器という単語や、それを暗喩するようなシーンは登場していない。しかし、傑作と名高い一九七四年の映画版では、少年が海辺で砂の器を作るものの、海風にさらされあっという間に壊れてしまう様子が冒頭にインサートされている。砂の器の「脆く儚いもの」というイメージが、過去を捨て偽りの身分を手に入れて成功した男の崩壊、という「宿命」(=映画版の準備稿段階の仮タイトル)とリンクしている。
 本書『砂の家』は、タイトルだけでなく物語の面でも、『砂の器』とへその緒で繋がっている。
 物語は、「21年前」のとある光景から始まる。小学三年生の「僕」は父の怒声に怯えながら、家の一階にある工場の片隅で幼い弟を庇護している。続く「現在」の章は、東京・新橋に本社を持つ外食産業AZフーズの会社員、三〇歳の浅野健人(「俺」)が弁護士の鈴井と再会するシーンから幕を開ける。かつて父の裁判で弁護を担当した鈴井は、二〇年前に刑務所に入った父が出所し、今は長崎の実家に身を寄せていると告げる。「一番心配していたのが、残されたあなたと弟さんのことです。謝罪したい、あなたたちに対して罪を償いたいと当時も言っていましたし、今でも同じように考えていてもおかしくないですね」。
 何か大きな出来事が過去に起きている、そして今新たに起こりつつあるのだけれども、それが何かは明確にはわからない。冒頭の十数ページでサスペンスの興奮がたちまち巻き起こる物語は、ページをめくるたびに少しずつ現れる情報を読み手自身が積み上げ、読み取っていく楽しさがある。まだ本編は未読だという方に、事実関係の一部をここでまとめて提示することは忍びないのだが、少しだけ。
 過去の「僕」は、現在の「俺」だ。二〇年前に起きていたのは、父が家で母と妹を殺害し、弟も手にかけようとした事件だった。外出していた主人公だけは無傷で終わったが、心に大きな傷を負うこととなった。その傷は完治することが難しく、時間をかけて癒してもかさぶたは一瞬で剥がされて痛みが復活してしまう。例えば、他者から投げつけられる「人殺しの子ども」という言葉によって。そうした経験が積み重なった結果、浅野の中には自傷的な衝動が宿っている。きっと自分は「悪の遺伝子」を受け継いでいるんだ、と。そうした衝動の元凶である父が目の前に現れたら、今自分が手にしているものはすべて、脆くも崩れ去ってしまうのではないか? 理屈ではなく感情で、主人公はそう思ってしまう。
 つまり、松本清張の小説の主人公が感じていた怯えが、本作の主人公にかたちを変えて乗り移っている。そのうえ「絶縁」したはずの弟・正俊の存在も、主人公にとっては畏怖の対象だ。これまでも弟の側からの接近により幾度かの再会を余儀なくされてきたが、そのたびに人生を傷つけられてきたのだから。物語は過去と現在の語りをスイッチさせながら、単純計算で『砂の器』の二倍の質量(父&弟)を持つ「家族という呪い」が、ついに爆発を起こす瞬間に向けてひたひたと進んでいく。
 一方で、現在の「俺」が見舞われるもうひとつのサスペンスは、会社を揺るがすトラブルだ。AZフーズを一代で築き上げたワンマン社長の竹内に宛てて、脅迫文がメールで届く。竹内は過去にうずくまっていた自分を掬い上げてくれた恩人であり、父親替わりの存在だ。竹内もまた、浅野のことを「家族」のように感じている。竹内は浅野に、脅迫状の調査と犯人サイドとのやりとりを一任する。脅迫メールは一通にとどまらず、竹内の過去のスキャンダルを糾弾するものへと変わっていくが、それでも「息子」は「父」を救おうと試みる。自分の人生の、すべてを懸けて。なぜか? 掛け替えのない「家族」だからだ。先に挙げた「家族という呪い」が、さらなる質量(父&弟&擬似的な父)を帯びていく。
 著者の堂場瞬一は、現役新聞記者だった二〇〇一年のデビュー以来、警察小説の雄として精力的な執筆活動を続けてきた。が、本作の探偵役は刑事ではなく、イチ会社員だ。浅野がその任を担うことになった理由は、脅迫メールの内容が「警察に通報できない」という性質にある。その結果、彼は警察組織に頼ることなく、シロウトながら独自に推理し、独自の捜査を進める。俗に「刑事は足で捜査する」と言われるが、シロウト探偵の彼もよく歩き、関係者から話を聞いて、事件の背景を浮かび上がらせようと尽力する。その過程で、東京に限らず、日本全国のさまざまな風景が記録されることとなる。文章を追いかけながら、こちらも初めての駅に降り立って街を散策し旅する気持ちになることは、本作の魅力の一つとなっている。と同時にこの物語が、そこに記されている人間ドラマが、家族関係の絆は弱まり隣人恐怖が常態化した「東京砂漠」だけで起こるものではないということ、どんな土地でも起こり得るものだということを伝えようとしている気がしてならない。

砂の家 著者 堂場 瞬一 定価: 880円(本体800円+税)
砂の家 著者 堂場 瞬一 定価: 880円(本体800円+税)

 ここから先は、結末部まで踏み込んで本作の特質を記していきたい。
 物語における主人公は、「正しい」選択を行うヒーローである必要はない。むしろ主人公が明らかに「間違った」選択をすることで、読み手に反面教師的な、学びの感情を引き起こす場合もある。本作における主人公は、そちらだ。だが……主人公が最後に辿り着いた場所にあるものは、単なる絶望だったろうか。
 実は、本作のタイトル『砂の家』の元ネタとなったであろう言葉は、もうひとつある。いわゆる「砂上の楼閣」、「砂の城」(英語の「sandcastle」)だ。この慣用表現もまた「脆く儚いもの」というイメージを意味するのだが、実のところ、砂で作った城は意外と堅牢だ。砂と水だけで作る彫刻芸術「サンドアート」は、城をモチーフにするケースがよく知られているが、仕上げに定着剤を振りかければ風雨もしのぐ。数年前にネットニュースでちょっと話題になったが、ブラジルのリオデジャネイロのビーチには、DIYで作った砂の城(室内は縦横三メートルの平屋なので事実上は「砂の家」)に二〇年以上住んでいる男性もいる。この言葉のイメージを、さらに拡張してみよう。城≒家が砂でできている以上は、自然環境に耐えきれずいつかは壊れる。だが、その時はまた作り直せばいい。木や石やコンクリートで建造する場合と比べると、砂ならば簡便に再構築ができる。
 つまり砂の城、ひいては砂の器、砂の家を「脆く儚いもの」と捉えることは、言葉の意味の一側面に過ぎないのではないか。その一側面も保持しつつ、「意外なほど堅牢」あるいは「(脆く儚いものだけれども)再構築可能」というイメージを付け加えることによって、言葉が持つ本来の奥行きを手に入れることができるのではないだろうか。
 その視点に立ったところから今一度、本作を眺め渡してみよう。本作において「家」の一語は、「家族」を意味する。主人公にとってのそれは(1)二〇年前の事件であっという間に崩れ去ったという意味で、「脆く儚いもの」である。とはいえ、(2)縁を切ったと思っていたにもかかわらず再会によりあっという間に蘇ったという意味で、「意外なほど堅牢」なものである。と同時にそれは、(3)「(脆く儚いものだけれども)再構築可能」なものでもあるのだ。主人公はこの物語の最後で、生まれ育った家族との関係ばかりか、社長や恋人との間に構築された擬似的な家族関係をも失いつつある。彼は二重の意味で、再構築に失敗してしまった。しかし、再構築のトライアルに回数制限などないのだ。意志さえあれば、何度でもエントリーできる。本作のラスト二行には、その意志が漲っている。
 ぜひ冒頭から丁寧に読み進めていき、ラスト二行を噛み締めてみてほしい。

■作品紹介

殺人犯の父を、許せるか?警察小説の旗手が、家族の限界を描くサスペンス!──...
殺人犯の父を、許せるか?警察小説の旗手が、家族の限界を描くサスペンス!──…

砂の家
著者 堂場 瞬一
定価: 880円(本体800円+税)

殺人犯の父を、許せるか?警察小説の旗手が、家族の限界を描くサスペンス!
大手企業「AZフーズ」で働く浅野健人に、知らない弁護士から電話が。「お父さんが出所しました」健人が10歳のとき、父親が母と妹を刺し殺して逮捕された。以来「殺人犯の子」として絶望的な日々を過ごしてきたのだ。もういないものと、必死で忘れてきたのに。父の動向を気にする健人だが、同じ頃AZフーズ社長・竹内に、社長個人の秘密を暴露する脅迫メールが届く。竹内から息子のように信頼される健人は解決役を任されるが……。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000152/

KADOKAWA カドブン
2021年04月06日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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