メルトダウンした原発の「音によるドキュメンタリー」

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メルトダウンした原発の「音によるドキュメンタリー」

[レビュアー] 都築響一(編集者)


『選別と解釈と饒舌さの共生』
開沼博[著](Letter To The Future)

 東日本大震災から10年になる今年3月11日には真剣な検証記事や番組からお涙ちょうだいの感動ポルノ系まで、ありとあらゆる「記念プログラム」がメディアに氾濫したが、そのなかでひときわ異彩を放ち、予想外の角度からこころに突き刺さったのが『選別と解釈と饒舌さの共生』と題された一枚のCDブック。福島第一原子力発電所に通い続けてきた社会学者・開沼博によるフィールドレコーディング、つまりメルトダウンした「フクイチ」の「音によるドキュメンタリー」である。音楽ではなく音そのもの――通奏低音のような機械の作動音、突然鳴り出すアラーム、予備知識がなければごく普通の会話にしか聞こえない言葉のやりとりまで――が描き出す、恐怖のランドスケープ。すぐそこにある現実の。

 実は作業関係者以外に年間2万人規模のひとが訪れるという福島第一原発の取材において、カメラ撮影にはテロ対策などで厳しい制約が課せられているが、著者によれば音の収録は「基本的に完全スルー」だという。

 このCDブックには原発への通勤バス、三号機使用済み燃料プール、休憩所や食堂まで「フクイチ」を取り巻く音場=音の環境が幅広く収録されていて、それが写真家・大森克己によるこれまで未公開だったエリアを含む36ページのブックレットと組み合わさって、ワンパターンの取材記事や番組とも、ラジオのような音声による解説ともまったく別種のリアリティを僕らに差し出す。福島出身の古川日出男によるレクイエムのような文章と、中原昌也による暴力的なリミックス・トラックを付されている。

 そこにある音そのものによってなにかを伝えようとすること――それは福島第一原子力発電所を報道する側の指向性からも、東京電力による徹底した情報管理からも解放された、つまりはあらかじめ定められた「選別と解釈と饒舌さ」から逃れ出た場所からの挑発的な報告なのだ。

新潮社 週刊新潮
2021年4月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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