『つまらない住宅地のすべての家』
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犯罪も裏切りも日々の暮らしの延長にある
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
フォークナーのヨクナパトーファ郡をはじめ、小説に登場する特別な土地は数々ある。
津村記久子が本作で描くのは、どこかの「つまらない住宅地」だ。造成されてそれなりの年月がたった、日本中どこにでもありそうな場所の一画が、名作の土地に負けない、忘れがたい磁場を形づくる。
本のはじめに、舞台となる一画の住宅地図が載っている。路地をはさんで十軒の住宅があり、名前と簡単な家族構成も書かれているが、とても一度には覚えられない。視点人物が代わるたび、「〇〇家の場所は……」と地図を確かめることになる。
動きのない湖面のようなこの場所に、二つ隣の県の刑務所から、横領犯の女性受刑者が逃げ出したというニュースが波紋を広げる。逃亡犯は地域にゆかりが深く、近隣に逃げ込むかもしれないということで、交代で見張りをすることをひとりが思いつく。彼の突飛な思いつきは意外にも賛同者を集め、それまで近所づきあいのなかった人たちのあいだに、ゆるやかな関係性が生まれる。
住民の中には逃亡犯の同級生や血縁者の同級生もいれば、まったく知らない人もいて、事件への距離感はさまざまだ。逃亡の理由は小説の柱のひとつになるが、住民たちがたがいに、自分では意識せず影響を与え合うようすがそれ以上に面白い。
「つまらない住宅地」に暮らす、一見平凡な住民は、当たり前だがそれぞれに背景があり、秘密や事情を抱えている。犯罪の一歩手前にいた男が危うく踏みとどまったりもするのだが、影響を与えた隣人は彼の心の揺れを知らないままだ。
犯罪も裏切りも、この作家らしい飄々とした筆致で描かれ、そうしたことも日々の暮らしの延長にあると、実感させられる。冒頭の簡素な住宅地図は、いつしか表情や声を持った人たちが賑やかに出入りする立体的なものに変換され、完璧に頭に入っていることに気づく。