最強の「不倫小説」と最高の「音」 本屋大賞実行委員の高頭佐和子が紹介する2作品

レビュー

3
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血も涙もある

『血も涙もある』

著者
山田 詠美 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103668176
発売日
2021/02/25
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

その扉をたたく音

『その扉をたたく音』

著者
瀬尾 まいこ [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087717419
発売日
2021/02/26
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 恋愛・青春]『血も涙もある』山田詠美/『その扉をたたく音』瀬尾まいこ

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員・丸善丸の内本店勤務)

 既婚者の恋愛に風当たりが強くなっている中で、最強の「不倫小説」が刊行された。山田詠美『血も涙もある』(新潮社)には、自分の倫理に従って恋をしてきた三人の大人が語り手として登場する。人気料理研究家の喜久江、その年下の夫でイラストレーターの太郎、喜久江の助手で太郎の恋人でもある桃子。喜久江が作った弁当を、桃子が仕事中の太郎の元へ届けに行ったことがきっかけで、恋は始まる。二人はカジュアルに逢瀬を繰り返し、喜久江の手料理を平然と一緒に食べる。夫と助手の関係に喜久江は気づいている。やがて周囲の人々も怪しみ始める。……これはダメだろう。ネットニュースに上がったら、世間の皆様から集中砲火を浴びそうだ。ドロドロの不倫劇かと思いきや、著者はこの関係を、ちょっとしたおかしみと爽快さとスリルに満ちた味わい深い恋愛小説にしてしまうのだ。

「趣味は人の夫を寝盗ること」という強烈な言葉とともに登場する桃子は、友達にはしたくないタイプの女だが、感性の豊かさや自由な生き方が魅力的だ。喜久江を師としてこよなく尊敬しているが、そのことによって恋愛感情を抑えることも、加速させることもしない。できる妻のおかげで自由に暮らし、直感的な恋愛を繰り返してきた太郎だが、桃子には今までとは違う何かを感じている。喜久江は二人の魅力をよく知るゆえに、惹かれ合う理由が誰よりもわかってしまう。物分かりの良い大人の女を演じてきたはずが、夫の恋に動揺し葛藤する。グッとくる恋愛格言がちりばめられ、その全てが深く心に染み入る。それぞれの心境が変化する鮮やかなラストを堪能した後は、読み終えるのが惜しく、立ち上がって歓声を上げながらアンコールの拍手をしたい気持ちになった。

 瀬尾まいこ氏の『その扉をたたく音』(集英社)の主人公・宮路は、ミュージシャンを目指している29歳無職の男だ。ボランティアで演奏するために訪れた老人ホームで、サックスが天才的に上手い介護士・渡部に出会う。驚いたことに彼は、サックスは部活で経験しただけで、音楽にはあまり興味がないと言う。渡部と一緒にバンドをやりたい一心で、老人ホームに通うようになった宮路は、次第にクセのある入居者たちのペースに巻き込まれ、辛辣な言葉を投げかけられたり、買い物を命じられたり、ウクレレを教えたりするように……。

 幼い頃から祖母と二人暮らしで、夢を思い描くこともなく介護士としてひたすらに人の老いに関わってきた渡部と、プロになれないことはわかっているのに親の仕送りに頼る生活を続けてきた宮路。正反対の環境で生きてきた二人は影響しあい、人生の終盤にいる入居者たちの思いに後押しされて、次の一歩を踏み出そうとする。宮路が最後に出会う最高の音。その響きには、読者である私の心の中にある濁ったものも浄化する確かな力があった。

新潮社 小説新潮
2021年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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