『沢村栄治 裏切られたエース』
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『沢村栄治 裏切られたエース』太田俊明著 途切れた野球人生を読む
[レビュアー] 蔭山実(産経新聞編集長)
「戦争を生き延びていたら、戦後はどこかの球団の指導者になっていたかもしれない」。昭和初期、日本プロ野球の創世記に活躍し、“不世出の天才投手”といわれた沢村栄治。その27年間の生涯は戦争とともに消えたが、遺族の証言を読むと、これまで見聞してきた伝説を超えた沢村の世界が見えてくる。
足を高く上げる独特のフォームで、ベーブ・ルースら、来日した米大リーガーをきりきり舞いさせたといわれる。試合が行われた静岡草薙球場(静岡市駿河区)の入り口付近には、ルースにめがけて投球しようとする沢村の銅像がある。等身大には至らないものの、どれだけすごい投球だったか知りたくなる。
著作や資料も基になる事実は限られるが、著者が沢村の話を書くことになったのには理由があった。一つは8年間で63勝22敗という生涯記録。いまとは単純に比較できないが、「不世出と呼ばれる投手としてはまったく物足りない」のはその通りだろう。それでも「沢村賞」が重みを持つのはなぜか。その答えは明らかではなかった。
それまで写真だけだったが、実際に試合で投げている映像が見つかったことも“沢村再発見”につながった。最新技術で解析して球速などの特徴を推測することができ、沢村をめぐる新たな仮説が生まれた。
これらをきっかけに沢村を訪ねる旅が始まる。遺族に会い、草薙球場を訪ねた。太陽がまぶしくなければ、ルースは沢村を打てたのか。当時と同じ時期に打席位置から確認してみる。沢村はこの試合もそうだが、ドロップといわれた、縦に曲がって落ちる変化球を打たれる場面がよくでてくる。速球とドロップのほかにもう一つ別の球種を持っていればどうだったか。
3度の徴兵で戦地と往復する。慶大進学の希望を果たしていたら事情は違っていたかもしれない。「敵性スポーツ」といわれて野球が統制を受ける中で直面した非情な事態。「私は野球を憎んでいます」と書き残したことも本書のきっかけになったが、社会の高みへ上がれば、風当たりも強くなるだろう。戦争がなければ、それを沢村はどう乗り越えていただろうか。途切れた野球人生の先を思いながら読みたい。(文春新書・1155円)
評・蔭山実(文化部)