わたしが行ったさびしい町 松浦寿輝著 新潮社

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わたしが行ったさびしい町

『わたしが行ったさびしい町』

著者
松浦 寿輝 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104717040
発売日
2021/02/25
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

わたしが行ったさびしい町 松浦寿輝著 新潮社

[レビュアー] 尾崎真理子(早稲田大学教授/読売新聞調査研究本部客員研究員)

 何年も、何十年も前に出かけた旅先で、ふと、深く刻み込まれた記憶が、誰しもあるだろう。

 それは、「さびしさ」を生(き)のまま体感した恩寵(おんちょう)の瞬間、極上の慰藉(いしゃ)ではなかったかと、控えめに著者は結論する。この短編集の目次に並ぶ20の地名は、いずれも何がしかの恩寵を作者に授けた、さびしい町々である。

 フランス留学最後の日、多幸感(ユーフォリア)に揺すられたパリ近郊「ヴィル=ダヴレー」の静謐(せいひつ)な家並み。40代で小説を発表し始めた頃、米・ボストンの「ドーチェスター」で感じた何の変哲もなさ、ゆえに体感した自分がそこに存在する奇蹟(きせき)。まだ人々が地図一枚であてずっぽうの旅をしていた頃、荒寥(こうりょう)とした「ナイアガラ・フォールズ」やモロッコの「アガディール」手前で、夫婦して見舞われた不運、復調。中国吉林省「長春」で盛り場の喧騒(けんそう)から一人逸(そ)れ、さびれた横道で剥(む)き出しの闇と向き合った夜もあった。

 <窓に/うす明りのつく/人の世の淋しき>

 西脇順三郎が『旅人かへらず』「二」に書いた「人の世」とは盛り場のことであり、うす明りは人間の生の営みそのものだと作者はとらえる。旅で通過する小さな町も、長年住んでいる町も結局はふつうの町で、ふつうの町はどれもこれもさびしく、<それはこのうつし世での生それじたいが本質的にさびしいからだろう>。

 上野と浅草の間に生まれ、界隈(かいわい)の裏小路に馴染(なじ)んだ幼少年期を述懐した「上野」から、全編に及ぶ何かがつながる。

 もはや細部はおぼつかない昔話だというが、脚色は過去への侮辱として排され、生(き)の作者が随所で姿を現わす。<こゆるぎして歩き出す>等、小粋な表現も自然で心地よく、いつしか読んでいる側の旅の記憶まで引き出される。

 随想とも小説とも読めるこうした短編を、かつて日本の作家たちは得意としていた。それを味わう私たちの時間も、久しく失われていたのを思い出した。

読売新聞
2021年4月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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