福島モノローグ いとうせいこう著
[レビュアー] 池田香代子(翻訳家)
◆他者の言葉で浮かぶ文学
被災地で話を伺っていると、語り手が不意に声をつまらせたり、目に涙を溜(た)めたりすることがある。よそ者は内心うろたえ、なにより申し訳ない気になる。けれど、思い返すのだ。よそ者が相手だから言えることもあり、日頃見せないように努めている涙を見せることもできるのではないか、と。
著者は人びとと対話を重ね、そこから自らの言葉を消し去って、一人語りの文体に仕立てた。宮本常一の「土佐源氏」を彷彿(ほうふつ)とさせるが、近年の研究が明かしたように、「土佐源氏」は創作文学であって聞き書きではない。そして、これとはまるで異なる意味で、本作は創作であり、紛れもない文学だ。
一般の小説と本作の違いは、劇映画とドキュメンタリー映画の違いに似ているだろう。制作者の構想がすべてである劇映画と異なり、ドキュメンタリーはどの現実をフォーカスしどう編集するかに創作の本質がある。他者の言葉を再構成する本作はこの意味で創作なのだが、記録文学を越えた普遍的な文学として成立しているのはなぜか。
遺棄された牛を救おうと奔走する人がいる。子どもたちとともに国内外に福島の声を届けようとする日本舞踊の師匠がいる。避難し、迷いながら最善を信じて、一歩また一歩と歩んだ母親たちがいる。
その声に、私たちは文字を通して耳を傾ける。まるでラジオだが、ラジオと違い文字は声音を伝えない。性別も年代もわからないこともある。その属性をなんとなく想定しながら読み進むうち、それが思い違いだったことに直面する。小さな衝撃が波紋となって読み手の心とテクストに広がる。心とテクストがさざなみ立ち、ともに一つの命を帯び、文学が立ち上がる。
かつて著者は、死者の思いはこうもあったろうかと、自らの言葉を解き放って『想像ラジオ』を書き、文学に鎮魂という役割を思い出させた。今回は無言を貫くことで、被災によって激変した人生を担う人間への感嘆を表現した。いずれも他者だからこそできた文学の営みだ。
(河出書房新社・1870円)
1961年生まれ。編集者を経て、88年の『ノーライフキング』で作家デビュー。
◆もう1冊
いとうせいこう著『想像ラジオ』(河出文庫)