• 石を放つとき
  • 雨と短銃
  • にらみ
  • 風巻 伊豆春嵐譜
  • 沙林 偽りの王国

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縄田一男「私が選んだベスト5」

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

『石を放つとき』は、久々に読むマット・スカダーもの。最新作である表題作と短篇集『夜と音楽と』を合本にした日本独自の編集であるとのこと。新作ばかりか、ズラリ並んだ極上の短篇にただただ酔いしれるばかり。“訳者あとがき”に触れて、本来ならスカダーもそんなに齢を取ったのかと感慨もひとしお。

『雨と短銃』は、幕末の京都を舞台に、薩長協約を揺るがしかねない不可能犯罪を追って、坂本龍馬から協力を求められた尾張藩・鹿野師光が活躍する。今年読んだ国内ミステリー長篇でいちばんの面白さ。先に刊行された『刀と傘 明治京洛推理帖』の前日譚。

『にらみ』は、『教場』で知られる作者の傑作短篇集全七作を収録しているが、一つとして同工異曲のものなし。長岡弘樹の短篇作家としての技巧をとことん知らしめた一巻。『雨と短銃』が長篇のベストなら、私が読んだ国内短篇集のベストはこちら。

『風巻 伊豆春嵐譜』は、明治七年、南伊豆入間村沖で起きたフランス船ニール号沈没事件を題材にした野心的歴史長篇。漁師・達吉が命がけで救けたイギリス人トム・ブラウンをめぐって、大義と友情、個人と国家等、さまざまな思惑が交錯する。さて、結末やいかに!?

 今回、ラストにこれだけ紙幅を残しておいたのは、詳しく触れたい作品、『沙林 偽りの王国』があったからだ。

 作品は、オウム真理教事件の全貌に迫ろうとした大作で、和歌山カレー事件を題材にした『悲素』と同じく、九州大学の医師・沢井教授が事件を追及する主人公として再び登場する。全篇を貫くものは、作者のおごそかな怒りともいうべきもので、ここに作品がノンフィクションやドキュメントとしてではなく、小説として成立しなければならなかった意味がある。

 作者がこの作品で心がけているのは、この事件の渦中で無念の涙を呑んだ人々の思いをくみとることであった。特に松本サリン事件の第一通報者でありながら犯人と疑われた会社員が、どれだけの苦汁をなめたことか―。そして遠くはなればなれに埋められた坂本弁護士一家の遺体が一つに集うまで実に五年十ヶ月。

 だが、悪夢は終わっていないと作者は記す。オウムが使っていた毒ガスVXを用いたマレーシアの空港での金正男の暗殺。そして全容解明に至らぬまま、政治的判断によって行われた死刑執行まで――。

 この大部の一巻は、私たちがオウム真理教事件から何を学び、何を学ばなかったかを明らかにした、たましいの巨篇である。

 一人でも多くの人に、この作品を読んでもらいたい。私は、心の底からそう思われてならない。

新潮社 週刊新潮
2021年5月6・13日ゴールデンウィーク特大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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