『邂逅』
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『邂逅』小杉健治 刊行記念エッセイ 取材地、函館への想い
[レビュアー] 小杉健治(作家)
函館にて
鶴見京介(つるみきょうすけ)シリーズは『邂逅』で十二作目になる。年一回の刊行なので、十二年に亙(わた)って書いてきたことになる。
本シリーズは執筆に当たり、取材旅行をし、訪れた場所で物語の構想を練るという形をとってきた。
第一作では和歌山県南紀白浜(なんきしらはま)と熊野古道(くまのこどう)に、第二作では熊本県山鹿(やまが)市に、以降は京都、大阪、神戸などを経て、最近では兵庫県朝来(あさご)市、岐阜県郡上八幡(ぐじょうはちまん)、四国の香川県と続いた。
小説の構想が先にあって、その取材のために出かけるのではないので、行く先は基本的には行ってみたい場所になる。
たとえば、第二作の舞台となった熊本県山鹿市は、金灯籠(かなどうろう)を頭に載せた浴衣姿の女性たちが踊る山鹿灯籠まつりの千人灯籠踊りの映像をテレビのCMで見て選んだ。兵庫県朝来市は、天空の城の竹田城のポスターに魅せられた。
知らない土地を歩き、おいしい料理に舌鼓(したつづみ)を打ち、なおかつ小説の構想が浮かぶ。これこそ、取材旅行の醍醐味だ。
ところが去年、毎年行っていた取材旅行がコロナ禍で行けるかどうかのピンチを迎えた。十二作目にしてはじめて取材旅行なしでの執筆になるのかと心細く思っていたところ、感染者も少なく、安全を見込める場所ということで、編集者のI氏から函館(はこだて)という提案を受けた。
四十九年前の二十五歳のとき、私は勤めていた会社を辞め、ひとりで北海道一周の旅に出た。
当時は有明(ありあけ)埠頭から釧路(くしろ)行きのフェリーが出ていた。フェリーで釧路まで行き、そこから北海道の旅がはじまった。
根室(ねむろ)半島、網走(あばしり)、紋別(もんべつ)、稚内(わっかない)、利尻島(りしりとう)、礼文島(れぶんとう)から道(どう)の中央に向かい、四十日間掛けて道内の隅々までまわった。
移動は基本は鈍行列車に乗った。三十分あとに出る特急より、二時間あとに出る鈍行に乗る。目的地までが十キロ以内ならバスに乗らずに歩く。こうして道内をまわって最後に着いたのが函館である。
湯の川温泉にあったユースホステルに泊まったが、同宿のひとたちと函館山に行き、夜景を見た記憶がある。
いよいよ北海道を去る日、青函連絡船のデッキから遠ざかる函館山をいつまでも見ていた。そして、函館が視界から消えたとき、虚脱感に襲われたことを今でも覚えている。
北海道の旅は私を変えた。会社での悩みがいかにちっぽけなものだったかを北海道の大地が教えてくれた。北海道は私にとって人生の師でもあった。
その函館に、取材旅行に行くことになったのだ。函館空港に降り立ったときには、感慨深いものがあった。
函館滞在中の三日間、天気はよく、柔らかい陽射しを浴び、二十五歳当時のことを蘇らせながら、三十二歳の鶴見京介の気持ちになって、函館市内をまわった。
立待岬(たちまちみさき)に行き、津軽(つがる)海峡を眺めた。下北半島が望め、陽が暮れると海にイカ釣り船が出てきた。二十五歳の自分がどんな思いでこの断崖の岬に立ったかはまったく覚えていない。そして、今の私は鶴見京介の立場になって海を眺めながら、東京で弁護士として活躍している鶴見京介を立待岬にこさせるにはどうしたらいいか考えていた。
函館山の山麓には函館聖ヨハネ教会、函館ハリストス正教会、カトリック元町教会などの教会があり、異国情緒たっぷりだ。夜はライトアップされて、荘厳な姿を見せる。
教会では結婚式が挙げられる。鶴見京介が函館にやって来る理由は友人の結婚式という設定が頭に浮かんだ。
まさに函館には人生の門出を祝うかのような明るさがあった。しかし、あえて、明ではなく暗の部分に鶴見京介を置こうとした。
鶴見京介が函館にやってきたのは、結婚式ではなく、友人の離婚式に出席するためだ。 なぜ、離婚式をしなければならないのか。そのことが作品の重要な要素になる。そんな物語を創ろうと決めた。
思い入れのある函館を舞台にしたせいか、いつになく熱い思いで仕上げた。タイトルの『邂逅(かいこう)』は、私にとっては二十五歳の自分との再会を意味していたようだった。
小杉健治
こすぎ・けんじ●作家。
1947年東京都生まれ。83年、データベース会社に勤務の傍ら執筆した「原島弁護士の処置」で第22回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。著書に『絆』(日本推理作家協会賞)『土俵を走る殺意』(吉川英治文学新人賞)他、ミステリ、時代小説含め多数。