銃後の芸術家小説――『雪割草』【文庫巻末解説】

レビュー

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雪割草

『雪割草』

著者
横溝, 正史, 1902-1981
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041093009
価格
1,276円(税込)

書籍情報:openBD

銃後の芸術家小説――『雪割草』【文庫巻末解説】

[レビュアー] 山口直孝(二松学舎大学教授)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■銃後の芸術家小説――『雪割草』【文庫巻末解説】

解 説
山口 直孝

(五節以降は、『雪割草』の内容に触れています。未読の方は、ご注意ください)

■一、幻の長編を求めて

 横溝正史に埋もれた長編小説があることを、筆者が探偵小説研究家の浜田知明氏から聞いたのは、二松学舎大学所蔵の横溝正史旧蔵資料の整理を進めている過程においてであった。本資料の中核をなすものに、数千枚の草稿がある。これは、二〇〇六(平成十八)年六月に正史の長男横溝亮一氏が成城の自宅物置の段ボール箱にしまわれているのを発見したものである。執筆の際に下書きを作り、複数回の改稿もいとわなかった正史は、多くの草稿を生み出す書き手であり、一部が何らかの理由で残されていたと考えられる。草稿は、『本陣殺人事件』や『獄門島』などの代表作、『模造殺人事件』や『神の矢』などの中絶作、『人形佐七捕物帳』や『菊水兵談』などの時代物ほか多種多様であり、作品の生成過程を知る上で貴重な資料であるが、未整理であったため、仕分けをし、作品を特定する作業をしなければならなかった。二〇一〇(平成二十二)年四月から本格的に調査を始め、その中で『雪割草』の存在を意識させられることとなった。
 二松学舎大学所蔵の資料の中には、『雪割草』の草稿一一枚が含まれている。うち、五枚には冒頭に「雪割草」と題名が記されていた。「この『雪割草』は、まだ何に掲載されたのか、わかっていないんですよ」と浜田氏に教えられ、筆者の興味は募った。草稿には、「46」や「186」といった連載回数と思しき数字が付されている。新聞連載で一回の分量が一二〇〇字と仮定して、一八〇回以上となると、五〇〇枚を優に超える長編小説となる(実物はさらに長大であり、約八〇〇枚であった)。しかも「花につく虫」や「征馬」といった見出し、有爲子というヒロインらしき人物の名、断片的な記述から現代が舞台になっていることは明らかである。『雪割草』という題名は、探偵小説らしくなく、異色作である可能性が高い。草稿を判読しながら、関心はいよいよ強まった。
 その後、世田谷文学館所蔵の横溝正史資料にも『雪割草』草稿一五枚(「24」「25」)があるのを確認した。草稿から読み取ることのできた情報を整理し、研究誌『横溝正史研究 五』(戎光祥出版、二〇一三年三月二十九日)にコラム「幻の長編『雪割草』」を発表したが、残念ながら新たな情報が寄せられることはなかった。
 正史は本作について、一言も証言を残していない。手がかりはなきに等しいが、読みたいという気持ちは抑えがたく、調査を始める決心をした。まず手を着けたのは、『雪割草』という小説が出版されていないかどうかの調査。詩人で児童文学者の露木陽子に『雪割草』(淡海堂出版、一九四二年六月十五日初版〔未見〕、一九四二年九月十日第二版)という作品があることを知り、同時期であることから、もしや正史が変名で発表したのではと勘ぐったこともあった。むろん、そんなことはなく、古書店から届いたのは、戦争未亡人である担任教師をめぐって女学校四年生の主人公が級友と対立する少女小説であった。妄想は見事に外れたが、戦争期の女性の忍耐を象徴する記号として、雪割草のイメージが同時代的に共有されていたことがわかったのは収穫であった(敗戦後であるが、円地文子にも『雪割草』という少女小説がある〔大泉書店、一九四九年十二月二十日〕)。
 単行本化された様子がない以上、後は初出の媒体に当たるしかない。掲載されたのはほぼ確実に新聞である。草稿の正史の字は、横に広がっており、敗戦前の時期のものである(アジア太平洋戦争末期、正史は独習でペン字を学び、結果縦長の書体へと変化する)。「征馬」の戦争に関わる記述は、戦時色を感じさせる。一九四〇(昭和十五)年前後の地方紙を順番に見ていけばいつか巡りあえるのではないか。そう考え、国立国会図書館の新聞資料室に通うことを決心した。
 全都道府県の新聞、さらには植民地支配期ゆえに台湾、朝鮮、満州の日本語新聞も調査の対象となりうる。どこから始めるべきか。『雪割草』と題されているからには雪割草が登場するにちがいない、だとすれば、雪国の新聞である可能性が高いのではないか。安直な推理に従い、最初に長野県の『信濃毎日新聞』を選んだ。周知のように、一九三三(昭和八)年五月に喀血した正史は、七月から三か月、正木不如丘が院長を務める富士見高原療養所で過ごし、さらに翌年七月には転地療養のため正木の本宅のある上諏訪に移住している。ゆかりの地である長野であるだけに期待したが、これは空振り。続いて山梨県を調べたが、成果は得られなかった。
 次はどこにするか。少し迷ったが、雪国ということで正史との関わりはないが、新潟県に決め、『新潟日日新聞』をカウンターに請求した。手動の機械で一九四一(昭和十六)年八月分のマイクロリールを繰っていた時、眼に「雪割草 横溝正史 51」の文字が飛び込んできた。一瞬、マイクロリーダーのモニターに映し出された画像が受け止められなかった。探し求めていたにもかかわらず、予想外に早くに見つかったことが信じられなかったのである。一拍遅れて湧き上がってきたうれしさを嚙みしめながら、さっそく連載状況を調べ、かつ掲載面をコピーする作業を開始した。国会図書館に通い出して三回目のことであった。夜には浜田氏に一報を入れ、発見の喜びを分かち合った。
『新潟日日新聞』の連載は五一回目からになっている。これは、以下の事情による。『新潟日日新聞』は、『新潟新聞』と『新潟毎日新聞』とが合併してできた新聞である。『新潟毎日新聞』七月二十四日には、新潟日日新聞社名で「今回国策に順応し新潟毎日新聞、新潟新聞の二紙は七月三十一日限り廃刊し、新たに両社関係者によつて下記新聞社を創設、八月一日より「新潟日日新聞」を発刊いたすことゝなりました。」という社告が掲げられている。総力戦への協力の名目の下、地方紙の統合が奨励される中で、『新潟日日新聞』は生まれた。時勢に強いられ、慌ただしく一元化が進む中、連載小説は、前紙掲載のものが引き継がれたのであった。『雪割草』の連載が開始されたのは『新潟毎日新聞』であるが、当該紙は国立国会図書館には所蔵されていない。そこで新潟県立図書館に複写を依頼し、さらに連載状況ならびに連載予告の有無を確かめるため、新潟県立図書館に出向いて調査を行った。多少の時間を要したものの、すべての掲載回を揃えることができた。後に記すように、最終回に欠損部分があるのが残念であったが、『新潟毎日新聞』・『新潟日日新聞』の原紙の保存状況は必ずしもよいものではなく、経年劣化のほかに切り取り箇所や欠号もしばしば存在する。全掲載回を集められたことは恵まれていた、というのがマイクロフィルムを眺めた上での印象である。

■二、『新潟毎日新聞』と横溝正史

 改めて書誌的情報を確認しておくと、『雪割草』は、『新潟毎日新聞』・『新潟日日新聞』に一九四一(昭和十六)年六月十二日から十二月二十九日まで二〇〇回にわたって連載された長編小説である。挿絵は、時代小説や少年小説を多く手がけた矢島健三が担当した。『新潟毎日新聞』での前の連載小説は、下村悦夫『深夜の大陸』(一九四〇年十月二十七日~一九四一年六月十一日、全二二六回。挿絵/鷹村聯三郎)、『新潟日日新聞』での後の連載小説は、鶴見祐輔『七つの海』(一九四一年十二月三十日~一九四二年八月八日、全二二一回。挿絵/小林秀恒)である。当時地方紙の連載小説は、別の地方紙にも(別の時期に、場合によっては題名を変えて)転載されることがしばしばあった。『雪割草』にも転載の可能性があるが、現時点では確認作業を完了できておらず、今後の調査を俟ちたい。ただ、内容から言って一九四〇(昭和十五)年より前の連載は考えにくく、地域も限定されるであろう(追記参照)。
『新潟毎日新聞』は、新潟県立図書館、『新潟日日新聞』は、新潟県立図書館や国会図書館に所蔵されている。今回両館のマイクロフィルムを利用して、連載本文をほぼ集めることができたが、「177」(征馬 四)回の『新潟日日新聞』十二月六日の掲載面が欠けていた。新潟県立図書館に確認したところ、原紙は保管されており、マイクロ化の際に洩らしてしまったようだ、とのことであった。原紙の発見は、戎光祥出版の編集者小関秀彦さんのお手柄である。
 原紙からのコピーによって「177」も埋まり、すべての回を揃えることができた。ただ、最終回は、隣接している記事が切り取られた影響で、冒頭から二十八行分の上部数文字分が欠落していた。残念なことであるが、今回の調査では公共図書館でほかに当該号を所蔵しているところを見つけることができなかったため、最終回については、文脈を考慮して文字数に合った言葉を推測して埋め合わせる処理を行った。本作業については、正史の用字・言いまわしに精通している浜田知明氏の手を煩わせた。正史の表現を忠実に再現できたかどうかは心もとないが、完全な最終回が発見されるまでの経過措置としてご海容をいただきたい(追記参照)。
 原文は旧字旧かなである、読みやすさを考え、原則として新字新かなに改めた。当時の新聞の活字組には、行末の句読点は省略する習慣があったため、必要に応じて句読点を補ってある。原文はパラルビであるが、「染直しの晴着を友達の木實に手伝つてもらひながら、有爲子は半ば非難するやうに微笑してゐる。」(嫁ぐ日近く 一)のように恣意的に施されているため、難訓のものや固有名詞を除いて省いた。明らかな誤植は正してある。
『新潟毎日新聞』に横溝正史の連載小説が掲載されるに至った経緯は明らかでない。『新潟毎日新聞』六月十一日に掲載された予告「次回長編小説」における「横溝氏は最近売出しの奇才、その描くところ人生の断面を抉つて切々と迫るものあり従つて興味と啓示に富む、この度本社は嘗て無き努力を払ひこの傑作を得た」という文言からすれば、本作で初めて関わりが生じたのであろう。『新潟毎日新聞』は、文芸関係に力を入れた紙面作りに特徴があり、地元の文化人を登用する以外に中央で活躍する作家にも寄稿させている。連載小説では探偵小説の掲載にも意欲的で、甲賀三郎『顔のない顔』(一九三八年六月二十六日~十二月二十五日、全一八〇回。挿絵/伊勢良夫。『蟇屋敷の殺人』の初出)や小栗虫太郎『女人果』(一九三九年一月一日~八月八日、全二一九回。挿絵/中島喜美)を提供している。また、それらに先立ち、一九三七(昭和十二)年五月八日からは、正木不如丘『処女地帯』が連載されていた。連載予告では「本社ではかねて新聞小説の向上に心掛け新機軸を開かうと種々考慮中でありましたが、今回正木不如丘博士をわづらはして八日付昼刊より〝処女地帯〟を連載することになりました。(略)/本社が今回、新聞小説の選定態度を急角度に変更し、特に正木博士の登場を煩はした理由は、旧来の囚はれた連載ものの型を破つて、新聞小説に一新生面を開拓しようとする野心の大胆な表現に外なりません。」(五月七日)と謳われている。正史に白羽の矢が立ったのは、あるいは探偵作家の人脈をたどってのものであったのかもしれない。
 連載時に『雪割草』が読者にどのように受け止められていたかは、投稿欄がないため、具体的に知ることはできない。ただ、統合の際に連載が打ち切りにならなかったことから、それなりの反響はあったのではないかと思われる。『新潟毎日新聞』七月三十日には「読物に就て社告」があり(七月三十一日も)「従来両紙に連載中の読物に就て協議の結果新潟毎日新聞連載「磯畑伴蔵」は卅日限り、新潟新聞連載「開国髑髏船」は卅一日限り夫々大団円、新潟毎日新聞連載小説「雪割草」新潟新聞連載小説「生活の果実」は読者の要請により継続することに致しました。」と告げられていることは、一つの傍証となろう。掲載紙統合の余波で『雪割草』には打ち切りの危機もあったわけで、無事に連載が続けられたことは、今日の読者である私たちにとっても幸いであった。

雪割草 著者 横溝 正史 定価: 1,276円(本体1,160円+税)
雪割草 著者 横溝 正史 定価: 1,276円(本体1,160円+税)

■三、戦時下に書かれた長編現代小説

『雪割草』は、横溝正史文芸において、複数の点で重要な意義を持っている。
 まず、戦時期の創作活動の空白が埋まったことが挙げられる。従来の年譜では、一九四一(昭和十六)年は浪人菊水兵馬を主人公にした連作時代小説『菊水兵談』(『講談雑誌』一月~十二月〔未見〕)が主な仕事として知られていた。『菊水兵談』は、『人形佐七捕物帳』に代わって連載されたもので、『人形佐七捕物帳』終了の事情を正史は次のように記している。

 昭和十四年の暮れ、私は東京へ引き揚げてきたものの、十五年ごろには探偵作家であるところの私にたいして、探偵小説の注文は皆無であった。私は辛うじて捕物帳で糊口をしのいでいたのだが、その捕物帳にも大きなショックが降ってきた。
 私の「人形佐七捕物帳」も昭和十三年の新年からはじまり、十四年、十五年と書きすすんでいくにしたがい、どうやらコツらしきものも会得し、お粂佐七のご両人、辰と豆六という愛嬌者にも、作者としての気脈がつうじてきたところへ、とつぜん執筆停止命令がきた。
 これはほんとうに情報局からの通達だったのか、それとも当時の博文館の館主大橋進一さんというひとは、ひどく軍や情報局の思惑を気にするひとだったので、一種の予防措置ではなかったかとも思われるのだが、要するに捕物帳が悪いというのではないが、「人形佐七」の場合、時局柄不謹慎であり不健全である。だから同じ捕物帳でも主人公を、もっと健全な人物にかえてもらえないか。……
 この話を持ってきたときの吉沢四郎君の、恐縮そうな態度や言葉を私はいまでもハッキリ憶えている。しかし、吉沢君がいかに恐縮してくれても、私の失望落胆はどうしようもなかった。それは収入を失うことに対する怖れではない。吉沢君はそれにかわる仕事をもってきてくれたのだから。おセンチな言葉を許してもらえるならば、佐七はそのころ私の骨肉となっており、その骨肉と訣別を強いられる悲哀と慟哭といったらひとは嗤うだろうか。こうしてとどろく足音は、何物をも踏みにじってやまなかった。(「続・途切れ途切れの記(七)」『定本人形佐七捕物帳全集 月報』第七号、一九七一年九月二十日)

 時局にそぐわないという理由で探偵小説が忌避され、依頼が途絶えたこと、書き続けることができていた捕物帳でも艶聞の要素は警戒されていたことなどがわかる。アジア太平洋戦争の泥沼化は、正史の創作を制約し、不自由なものにしていった。大西赤人との対談「探偵小説の阿修羅として」(『横溝正史の世界』〔徳間書店、一九七六年三月十日〕所収。初出『週刊ポスト』第八巻第一号、一九七六年一月一日)では、左翼運動のシンパと誤解されて特高警察に戦時中につきまとわれていたこと、慮溝橋事件や真珠湾攻撃の報道に接した時に嘔吐したことなどの挿話が回顧されている。探偵小説家としての自己を圧殺しようとする軍部や官権は、正史にとって嫌悪・反感の対象であった。しかし、生活のために筆を折ることはできず、正史は捕物帳、ユーモア小説、あるいは翻案小説など、さまざまな試みをしながら執筆を続けていく。『雪割草』は、当時の正史において、現代家族小説が選択肢の一つであったことを示すものである。窮境の中で、逆に正史は作品の幅を広げていたのであった。
『雪割草』は、長さの上でも雄編である。一回約一四〇〇字、四百字詰め原稿用紙で約八〇〇枚の分量は、敗戦前の作品では、『覆面の佳人』(『北海タイムス』夕刊一九二九年五月二十一日~十二月二十八日、全一七六回)や『呪いの塔』(新潮社、一九三二年八月二十七日)に匹敵、あるいはそれらを凌駕するもので、最長の部類に属する。江戸川乱歩との連名で発表され、翻案の可能性もある『覆面の佳人』のいささか生硬な展開に比べて、『雪割草』は結構が整い、筋の運びに無理がない。本作は、長編作家としての正史の成熟を表す一面を持っている。

■四、名探偵金田一耕助の原型

『雪割草』の内容に関わって、読者に驚きをもたらすことに、準主人公と言うべき賀川仁吾の造型がある。青年画家の賀川仁吾が最初に登場するのは、上諏訪の駅である。スキー帰りの五味美奈子たち一行に加わっていた仁吾は、主人公緒方有爲子が上京のために利用した列車に偶然乗り合わせ、運命的な出会いを果たす。仁吾の印象的な外見は、有爲子の目を通して、次のように描写されている。

 たいへん背の高い青年で、逞しい、がっしりとした体付きと、よく光る大きな眼と、吃るような口の利きかたが、有爲子にはなんだか恐ろしいように思われる。
 くちゃくちゃになったお釜帽の下からはみ出している、長い、もじゃもじゃとした蓬髪、短い釣鐘マントの下から覗いているよれよれの袴──そういう服装も、有爲子にはなんだか胡散くさく思われた。(茨の首途 二)

 くちゃくちゃのお釜帽、もじゃもじゃの髪、よれよれの袴──、仁吾の風貌は、正史の読者におなじみの名探偵金田一耕助のそれにほかならない。「例によってよれよれの袴をはき、袷の襟足など、いかにも独身者の無精らしく垢じんでいる。」(師弟 一)とあるように、身なりを構わないのが常態であることも同じである。「ど、どうしたんです。」(茨の首途 二)、「な、なにか僕に用ですか」(師弟 一)のような「いくらか吃音のある」(茨の首途 二)仁吾の喋り方も、金田一を髣髴とさせる。長身である点が、中肉中背よりも小柄な金田一と異なっているが、仁吾の姿は後の名探偵の姿と酷似する。初登場の仁吾の姿をとらえた矢島健三の挿絵も、金田一耕助らしい雰囲気を帯びている(もじゃもじゃの蓬髪がはっきり確認できないのが残念であるが)。
 金田一耕助は、敗戦後本格探偵小説一本で行こうと決意した正史が新たに創造したキャラクターである。戦前のシリーズ・キャラクターであった行動型の由利麟太郎と対照的な人物像は、正史の作風の転換を鮮やかに告げるものであった。金田一耕助は、敗戦後を象徴する存在である。しかし、『雪割草』の仁吾は、金田一の原型が戦中にすでに生み出されていたことを物語る。金田一耕助の成り立ちについて、以前の創作との関連が明らかになったことは画期的と言えよう。
 正史は、エッセイ「金田一耕助誕生記」(『名探偵金田一耕助の事件簿 三』〔ベストブック社、一九七六年四月五日〕所収)において、金田一耕助を生み出すに当たって、ミルン『赤い家の殺人』の素人探偵アントニー・ギリンガムを念頭に置き、劇作家の菊田一夫の風貌や言語学者金田一京助の名前を参考にしたと証言している。正史はまた、小島政二郎『花咲く樹』の挿絵が金田一造型のヒントになったことを明かしている。『花咲く樹』は、『東京朝日新聞』・『大阪朝日新聞』に一九三四(昭和九)年三月二十三日から八月二十日まで一五〇回にわたって連載され、大きな反響を呼んだ長編小説である。本作の成功によって、小島は「地位も上がり、原稿料も上がり、「新進大家」と云ふ不思議な名称で呼ばれるやうになつた」と言う(小島政二郎「あとがき」『小島政二郎全集 芸術小説篇第七巻 花咲く樹』〔地平社、一九四九年二月二十五日〕所収)。『花咲く樹』は、滝田樗陰を連想させる敏腕雑誌編集者柴篤三を中心に、総合雑誌『インテリ』に関わる文学者や編集者の生態を、同時代の先端風俗を織り込みながら描いた作品である。正史は、同作を新聞連載で読み、岩田専太郎の挿絵と共に『花咲く樹』の物語を印象に留めたらしい。
「小島政二郎の「花咲く樹」が新聞に連載されたのは、昭和何年ごろのことであろうか。そのなかに新宿かどこかのレビュー劇場の座付き作者が出てくるのである。挿絵は岩田専太郎が描いていた。「花咲く樹」がどういう小説だったかすっかり忘れているにもかかわらず、岩田専太郎描くところのその座付き作者の姿だけは、いまでもハッキリ憶えている。その座付き作者が和服に袴といういでたちなのだが、そのイメージが菊田一夫にダブっていったのである。」と正史は記している。正史の指摘に該当する人物は、新進作家の牧山啓一であろう。牧山は、編集者の七條なみ子に惹かれながら、思いを伝える機会に恵まれず、自棄酒でしたたかに酔いつぶれる(花敷かまし 七)。その場面で岩田専太郎の筆が描き出しているのは、まぎれもなく後の金田一耕助の風采をした男の姿である(吃音の癖を持っていることも、金田一耕助との繫がりを感じさせる)。『花咲く樹』の連載は、正史が結核療養のために上諏訪に移住する時期と重なっている。順境でない状況での読書が、さえない牧山への共感を、あるいは強めたのかもしれない。正史の目に焼き付けられた牧山啓一の風采は、賀川仁吾に受け継がれ、そこからさらに金田一耕助へと伝えられていくことになる。二つの新聞小説が名探偵の成り立ちに関わっていることは、偶然とはいえ、面白い事実であろう。
 さまざまな人物を複合的に組み合わせて金田一耕助は作り上げられているが、作者自身が投影されている部分もあった。正史の長男横溝亮一氏は、「金田一のキャラクターは、ある程度、父が自分をモチーフにしたもののようです」、「「金田一」を読むと、父の散歩する姿が思い浮かびます」という感想を洩らしている(横溝亮一「〈巻末インタビュー〉父・横溝正史に金田一の影を見た」『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』宝島社、二〇〇七年一月五日)。亮一氏の見立ては、最も身近で正史と接してきた家族の証言であるだけに重みがある。金田一の物の見方やふるまいには、作者を想起させるものがあるのであろう。
『雪割草』の仁吾は、正史の似姿と言ってよい。後でも触れるが、戦時下に養わなければいけない家族を抱え、また、結核の療養で不如意な状態である中で、創作をどのように行えばよいのか思い迷う仁吾の苦悩は、正史自身のそれにほかならない。芸術家としての煩悶を作者と共有する仁吾が金田一耕助とも重なることは、正史と金田一との同質性を説明する上で有力な材料である。賀川仁吾という媒介項が見出されたことで名探偵の形象が作者その人に根ざしたことが確実になったと考えられる。
 金田一耕助の意外な趣味として、絵画鑑賞がある。『仮面舞踏会』には、「金田一耕助はわりに絵を見るのが好きなようである。大きな展覧会はたいてい見のがさないし、またひまがあり、ついでがあると、よく銀座裏に散在する画廊などをのぞいて歩くことがある。」(第五章 マッチのパズル)と説明されている。横溝正史が美術愛好家であっただけに、分身たる金田一が同じ趣味を持っていても不思議ではない。金田一が画家賀川仁吾の後進であることからすれば、絵画に惹かれるのはむしろ当然であろう。

■五、通俗小説としての面白さ

『雪割草』は、横溝正史が初めて挑んだ通俗小説である。戦局が悪化した後は、現代を舞台とした作品の発表が難しくなり、また敗戦後は正史が本格探偵小説に創作の方向を定めたため、同種の小説を正史が手がけることは二度となかった。『雪割草』は、正史における一回限りの、稀有な試みである。
 近代の新しい出版メディアである新聞は、読者獲得の有力な手段として、小説に目を付ける。教育の義務化に伴って出現した大衆層を取り込むため、各社は魅力的な作品の掲載に努めた。当初、「家庭小説」という名称が与えられていたことからわかるように、新聞連載小説は、複数の家族間の葛藤を描き、物語の面白さで魅せると同時に家父長制の維持を訴えるところに特徴があった。時代が下ると、現代の都市風俗を紹介する要素も強まり、純文学畑からも書き手が加わることも相まって、通俗小説はさらに発展していくことになる。『雪割草』は、敗戦前、最終盤に出現した通俗小説と位置づけられる。
 通俗小説は、起伏に富んだストーリーが求められる。そのために多くの人物を登場させ、複数の対立軸を作るなどの工夫が必要である。また、劇的な場面や新たな展開を生み出すために偶然が多用される傾向にある。正史の場合、由利麟太郎を主人公とする波瀾の連続である探偵小説を書き継いでおり、通俗小説に乗り出していく下地はあったと言える。それでも謎やサスペンスを興味の中心とするわけにはいかないゆえに、苦労はあったであろう。
 物語を作るに当たって、正史はまず、緒方有爲子という魅力的なヒロインを創造した。長編小説の主人公に女性を選んだことがすでに異例であり、新しい領域に挑む正史の意欲がうかがえる。「蔓草のように頼りなげな哀れさのなかに、どこか風雪にもめげぬ強さをもっている」(墓地にて 一)有爲子は、『獄門島』の鬼頭早苗や『八つ墓村』の里村典子に先立つ、理想的女性像として注目される。
 物語は、友人の木實の助けを借りながら、晴れ着の支度をしている有爲子の姿を描くところから始まる。舞台は、正史が転地療養で一九三四(昭和九)年から三九年まで過ごした上諏訪である。「信州の夜は、更けるに従ってしんしんと、肌を刺すような寒さである。どこかで、コツコツと氷を砕いている音も侘しい。」(嫁ぐ日近く 六)や「まだ冬の厳しさがたゆとうていながら、一歩日だまりへ出ると、帽子なしには歩けないほど太陽の光の強い、そういう早春の気候が、この信州の高原では、いちばん人々にとっては嬉しい季節だった。」(征馬 一)のように、実体験に基づいた信州のローカル・カラーが随所に織り込まれ、物語に興趣を添えている。
 諏訪の有力者緒方順造の一人娘である二十二歳の有爲子は、旅館鶴屋の一人息子雄司に見初められ、熱心な申し入れに嫁ぐことを決意する。しかし、式直前になって、婚約は鶴屋の使者によって一方的に破棄されてしまう。理由は、有爲子が順造の実の娘ではなく、亡き母お咲と別の男との間に生まれた子であるからであった。縁談取り消しの申し入れに憤激した順造は、興奮で倒れ人事不省になり、小学校教師山崎に後を託してこの世を去る。順造の葬儀が終わった後、山崎から本当の父親が別にいることを知らされた有爲子は、秘密の鍵を握る賀川俊六なる人物を訪ねるべく、上京を決意する。
 清純な娘が幸福の絶頂からいきなり奈落の底へと突き落とされる。天涯孤独になっただけでなく、出自さえ不明となってしまう。ヒロインが突如窮境に陥ることは、通俗小説の開幕として申し分ない。読者は、冒頭からの急展開に惹き込まれ、無垢な主人公に感情移入をせずにはいられなくなる。本当の父親とは誰なのか、という魅力的な謎を提示しながら、舞台は東京へと移っていく。
 諏訪から乗り込んだ汽車の中で有爲子が賀川仁吾や五味美奈子と遭遇する場面があることは、前節で既に触れた。金田一耕助の原型が登場することは別にして、物語の上でもこの場面が持つ意義は大きい。スキー旅行の帰りである一行の中には、美奈子の男友だちである蓮見邦彦も含まれており、恋愛感情をめぐって葛藤する六人の男女(有爲子・木實・山崎・仁吾・美奈子・邦彦)がここで出揃うことになる。主要登場人物がすべて序盤で配置されていることは、正史の非凡な構成力を表す一つの例であろう。主人公の身の上の変化に伴い、舞台や登場人物が新たに付け加えられていく進み方も通俗小説ではありえるが、『雪割草』は求心的な展開によって緊張感を持続させる手法が選択されている。
 互いを知らないまま、有爲子と仁吾とは運命的な出会いを果たす。仁吾の口から洩れた「賀川俊六」の名前に有爲子は驚き、仁吾も彼女を印象に留める。けれども、慎み深い性格が災いして、有爲子は声を掛けそびれてしまう。以後繰り返されるすれ違いの発端として、汽車での出会いと別れとは印象的である。
 上京して順造がかつて世話をした恩田勝五郎・お常夫婦の下に身を寄せた有爲子であるが、賀川俊六が既に亡くなっていることを知り、途方に暮れる。一方、恩田夫婦は、有爲子の財産を狙い、また彼女に未練を残す雄司の意向を受けて強引に引き合わせることを画策する。『雪割草』においては、善悪の構図が明快であり、恩田夫婦や鶴屋一家の卑劣さはあざといほどに強調されている。それだけにヒロインの貞操の危機への読者の関心は高まらざるをえず、仁吾とのすれ違いに焦燥感を募らせることになる。多元視点を用いて、同時並行の記述を随時織り込みながら伏線を張り、見せ場を矢継ぎ早に繰り出していく作者の手腕は見事である。
 通俗小説の文法を熟知しているかのように、正史は自在に物語を進めている。しかし、主人公の純潔の行方や敵役のいやがらせの反復によって読み手の興味を引いていくメロドラマの常道を持続させることはできなかった。言うまでもなく、総力戦体制への移行によって、時局にそぐわない話柄の使用が憚られたからである。スキー旅行に興じ、西洋風の自室でピアノを弾き、邦彦に自動車で送迎される美奈子の序盤の印象は、有爲子と好対照をなしており、本作が都市中上流層の生活を描く風俗小説の一面を持っていたことを示している。しかし、中盤からは様相が変わり、戦争遂行の大義の前に奢侈は慎まれ、個我の主張も抑えられるようになっていく。作品世界の転調を如実に告げているのは、婦人洋品店ミネルバである。上京した有爲子が就職の際に訪れた時には、趣味のよい服を作る店として繁盛している。経営者の葛野京子は、時局を意識し、婦人服を「趣味のよい健実なものにしたい」(花につく虫 六)という熱意で仕事に臨んでいる。しかし、やがて京子は、「いちいち政府の鼻息を窺うような消極的な態度は捨てて、商売のうえでも、何かしら積極的に国策に協力したくなったの。」(日蔭の家 五)と店の大改造を考えるようになり、最後は店を人手に渡して、出征軍人の家族を集めて被服廠に納める衣類を縫製する事業を始めるに至るのである。
 脱線になるが、「ほら、あなたも御存じでしょう、七・七禁令という──あれ」(日蔭の家 五)という京子の発言から作品内の時間を確認しておきたい。「七・七禁令」は、一九四〇(昭和十五)年七月七日に施行された「奢侈品等製造販売制限規則」の一般的呼称である。規則は、国家総動員法に基づき、贅沢品の製造販売を制限するもので、宝飾品は全面的に禁止、スーツ・ワイシャツ・時計などは定められた価格以上のものが許されなくなった。京子の言及は、有爲子と喫茶店で談話をしている年の瀬が一九四〇年であることを告げている。美奈子と邦彦が靖国神社を訪れ、「二千六百年の奉祝歌のメロディー」(秋の旋律 五)を聞く記述は、同じ年の秋である。冒頭では年次が明示されていないが、これらの情報を参考にすると、『雪割草』は、一九四〇年の三月後半から始まっていることがわかる。「生活の罠」の章から年が改まり、作品内現在は、連載時と同じ一九四一(昭和十六)年になる。結末ではさらに時が流れており、一九四三(昭和十八)年の春のことが描かれている。連載中に現実の時間を追い越した『雪割草』が、結果的に近未来小説になっていることは面白い。
 正史が時局を踏まえていたことは、連載第一回で「この間の岡村の婚礼なんか、お婿さんは国防服、お嫁さんはもんぺ姿で、それでいてとても立派だったって、あんなに感心していらしたくせに」(嫁ぐ日近く 一)という有爲子の発言からも明らかである。しかし、状勢の悪化の早さは作者の予想を超えていたようで、作品には戦争の影が色濃く現われていくようになる。当初の構想がまったく変わることはなかったにせよ、話の進め方で軌道修正を余儀なくされたことは想像に難くない。悪事はおろか、私情に拘ることさえ憚られる時勢が到来していた。憎しみや嫉妬はもはや物語の動力たりえず、代わりに改心と和解とが展開の主軸となっていく。敵役として配置されていた登場人物たちが一様に善人になっていくなりゆきは、いささかご都合主義的でもあるが、伏線が張られているため唐突な印象を受けることはない。現実の浸蝕を受けながら、結構を損なうことなく執筆を続け、決められた回数丁度で大団円を迎える正史の技量は、卓越したものと評価できるであろう。

■六、芸術家の孤独と女性、家族への思い

『雪割草』が時局迎合的な作品であることは疑いえない。邦彦は、「僕はいま、何んだかじっとしていることの出来ないものを身内に感じます。」(秋の旋律 五)と言い放ち、美奈子への恋情を断ち切って中国で仕事をすることを決意する。有爲子の小学校時代の恩師である山崎もまた、「自分の進むべき途」(湖凍る 十)との信念から、北満の信濃分村で教育に携わることに踏み切るのである。兵役を免れている若者たちが挙って外地へと向かい、総力戦を支えようとする。日本に留まる者も、私情を殺して戦争の遂行に協力することを厭わない。終盤に登場する農夫儀作は、出征した三人の息子のうち二人を戦闘で喪いながら、悲しみをこらえている。農作業用の馬すら供出を命ぜられて苦労は増すばかりであるが、「これもお国のためとあれば喜んで困りますだ」(征馬 十三)と気丈にふるまう。国のために身を挺しようとする人々の決意が何度も語られることは、本作が大きな時流に吞み込まれていることを端的に示している。
 とは言え、『雪割草』が戦争遂行を積極的に支持する作品であるという見方は間違いであろう。作中には、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」など、戦争を正当化するために用いられていた声高なスローガンの類は出てこない。登場人物の中に職業軍人は存在せず、兵士の姿が描かれることも稀である。わずかな例外と言えるのは、美奈子と邦彦とが興亜祭の日に都心を歩いた際に目にした戦没者の遺影や白衣の傷病兵たちである。「勇士たちの中には、片眼に繃帯をあてたのもある。軽くびっこをひいているものもある。しかし、誰も彼も若々しく、元気で、子供のように嬉々として木の間を遊び戯れている。」(秋の旋律 五)のように美化された記述になっているにせよ、戦えない兵だけが取り上げられていることは注目に値する。傷つき、あるいは落命した者たちだけにまなざしを向ける『雪割草』から、好戦的な情調を読み取ることはできない。
 戦時下に発表された横溝正史の現代小説は、『沙漠の呼声』(『譚海』一九四二年三月〔未見〕)や『焰の漂流船』(『譚海』一九四二年五月〔未見〕)のように海外でのできごとを扱ったものと、『慰問文』(『新青年』第二三巻第六号、一九四二年六月一日)や『玄米食夫人』(『新青年』第二四巻第一号、一九四三年一月一日)のように日本を舞台としたものとに大別される。発表媒体を意識して、冒険譚と情話とを書き分けている節がうかがえるが、いずれも「プロパガンダではありながら、国家の〝大義〟ではなく、戦時下に生きる〝個人〟の心情をあくまでも基軸に据え」(浜田知明「解説」『横溝正史探偵小説コレクション② 深夜の魔術師』〔出版芸術社、二〇〇四年十月二十日〕所収)ているところは共通する。『雪割草』は、後者、総力戦体制下の日本を描いた作品の系譜に連なる。物語が展開するのは、戦争を遂行するために国民としての勤労奉仕が求められる銃後の空間である。そこでは、一見日常と変わらない生活が営まれているようで、しかし、大きなひずみが生じている。壮年の男性は召集されて不在であり、残された老人、女性、子ども、傷病者は労働力の不足を埋めることを強いられる。短編では点景であった時代の圧力が『雪割草』では顕在化し、作品のモチーフとも密接に関わっていることは見逃せない。
『雪割草』には、女性の属性やあるべき姿をめぐる発言が頻出する。「女って弱いものだから、こうしてみんなで扶けあって生きていくのね。」(花につく虫 七)は、面接に訪れた有爲子に対する京子の励ましである。同じ言葉が、有爲子が木實に山崎との結婚を促す際に「人間というものは弱いものよ、ことに女というものは弱いものだわ。」(一粒の麦 二)と反復される。女性は弱く、「いろいろ取越し苦労があ」(日蔭の家 八)り、「とかく愚痴が多くて困」(征馬 十三)る存在である。時代の制約があるとは言え、女性をめぐる言説が紋切型であることは否みがたい。しかし、状況は、女性が押しつけられてきた役割に甘んじることを許さない。
 恩田夫婦とうた屋とに嵌められ、雄司に無理やり引き合わされた有爲子は、「負けるもんか、こんな男に負けてたまるもんか」(交叉点 五)と思う。有爲子の反撥心は、直接には出生の秘密に伴う運命に対してのものであるが、仁吾との結婚後も男勝りの心情を保持することが求められる。たとえ、「女と云うものは結婚すると、却々家をあけるわけにはいか」ず(日蔭の家 五)、「日本じゃ、女は針を持つすべが第一」(一粒の麦 一)であっても、仁吾の病身が、さらには国内の人手不足が、女性の変化を促していく。「男でもちょっと出来そうにない芸当」(再生 六)や「女には見られない強さと決断」(再生 九)と形容されるような行動に、彼女たちは踏み切っていくのである。『雪割草』の女性登場人物たちの形象における女性性の強調とそこからの逸脱とは、いずれも国家権力に回収されてしまう限界を持っている。けれども、先述したように、軍人不在で声高なスローガンも聞かれない作品世界にあって、女性たちのひたむきさは、男性たちの弱さをこそ浮かび上がらせる。『雪割草』は、時局に順応しようとする女性を描きつつ、兵力も物資も乏しい国内事情を明け透けに伝える一面をも備えている。
 賀川仁吾は、雄々しくない男性の最たる者である。日本画家の大家五味楓香の愛弟子で将来を嘱望されていた仁吾は、有爲子を生涯の伴侶たる存在と信じて求婚する。しかし、所帯を構えてからの道行は苦難の連続であった。美奈子と娶せたいという楓香の期待に背いた仁吾は、楓香の妻梨江の不興も買っており、五味家に顔を出せなくなる。秋の展覧会で落選した仁吾は、失意の中で挿絵の仕事で家計を維持しようとするが収入は十分でなく、画商観月堂の誘いに乗って楓香の贋作を描いてしまう。悪事に手を染めたことを悔いた仁吾は、自首して罪を償うが、服役中に結核を患い、出獄後も長い療養生活を余儀なくされる。『雪割草』の後半は、仁吾との家庭を守ろうとする有爲子の苦労が話の中心であるが、仕事を全うできず、家族に負担をかけ続ける仁吾は、期待される男性像とは程遠い。当時の表現を用いるならば、「非国民」と謗られてもおかしくはない存在である。
 思うような仕事ができないでいる仁吾の失意は、執筆時における正史の心情そのものであったろう。風貌や病歴などの類似に止まらず、創造する者の苦悩を共有している本質において、仁吾は作者の分身にほかならない。表現の自由が狭められていく中でどのような活動がありうるのかが、本作では模索されている。正史において芸術家が小説で取り上げられる例は、以前からあったものの、彼らはおおむねモダニストとして、ユーモア小説や探偵小説における一つの駒以上の意味を与えられていなかった。それに対して、『雪割草』では、収入の確保と創作動機の維持との両立の難しさという、職業作家の抱える問題が真正面から取り上げられている。探偵小説の執筆を断念せざるをえなかった厳しい状況は、逆に正史に自らを問う機会を与えた。『雪割草』は、銃後を舞台に正史が自己のありようを凝視した芸術家小説なのである。
 自信を喪い、無気力であった仁吾は、征一を載せたあをが儀作に曳かれていく情景に感動を覚え、絵筆を再び手に取る。創作意欲を取り戻した仁吾を描くことで、『雪割草』は大団円を迎えるのである。仁吾の回心は、儀作の無私の精神に触れたことによってもたらされたと言える。そのことは、「お国のために召されてゆく征馬の姿、それが忽然として、冷えきっていた良人の画家魂を呼び起したのだ。いやいや、三人の愛児を皇国に捧げ、いままた笑って愛馬をゆかせようとする、儀作爺さんの魂が、声あって良人を?咤し、鞭撻してくれたのかもしれない。」(われ世と共に 四)という有爲子の受け止め、あるいは「儀作爺さんが、あのあをを牽いて立っているのを見た刹那、私は何んとも云えない強い力に打たれた。そこに人間の大きな犠牲と忍苦の姿がある。笑って、甘んじて国家に奉仕しようとする強い魂がある。」(われ世と共に 五)という仁吾の吐露からしても間違いない。けれども、仁吾が描出しようとしたものは、二人の言葉によって尽くされているわけではない。一人息子の征一が写されている絵は、仁吾にとって何よりもまず家族の肖像を意味している。有爲子・仁吾の二人共がわが子のことを言い落としているのは、私的な思いを抑えたゆえと解することができる。
 市ケ谷薬王寺の小さな家で新婚生活を始める際に、仁吾は、有爲子に対して「僕は画業を終生の仕事ときめている男だ」(途ひと筋 五)と宣言し、「脇目もふらず、ほかのことは一切考えないで、こいつと取っ組んでいくつもりだ。だから勢い家のことはお留守になる。そのことは予めよく知っていてくれ給え」と心構えを説いている。仁吾の発言は、独創的なものを生み出すために全力を尽くさなければならない芸術家としての、衒いのない訴えであろう。仕事に精魂を傾けるがゆえに、生活が顧みられなくなる。仁吾が体現しているのは、日常の営みを家族に託し、制作に打ち込む芸術家の姿であり、それは、師である五味楓香の生き方を反復するものであった。
 楓香は、「製作をはじめると、どんな話も耳に入ら」ず、「家庭のことに無関心」(赤い信号 四)である。そのような夫に付き添い、一家を切り盛りしていた夫人の梨江の労苦は相当なものであったろう。仁吾の贋絵作りが発覚した際、梨江は「画家の妻というものは、それは難しいものよ。あたしなど、画家の家にうまれ、画家を良人として今日まで暮して来たが、そのためどんなに苦労をしたか知れやしません。画家というものを、ほかの職業の方と一緒にしちゃ困りますよ。」(生活の罠 九)と畳みかけて有爲子を詰るが、発言からは楓香を支えてきた自負も読み取れる。「仁吾さんは子供よ。大きな子供よ。駄々っ児よ。あの人には保護者がいるの。お母さまみたいなお姉さまみたいな人が必要なのよ。」(途ひと筋 四)と評される仁吾を伴侶に選んだ有爲子は、梨江と同様の、あるいはそれ以上の困難を経験していく。仁吾の立ち直りは、創作への専念を可能にする家族の協力が自覚されたこと、そして家族が創作の対象となりうることが発見されたことにも拠っていよう。「有爲子、僕はいま改めてお前に礼をいわねばならぬ。お前の親切は何んの役にも立たなかったといったが、その親切その辛抱さがあったからこそ、僕はこの再生の歓喜を味うことが出来たのだからね。」(われ世と共に 六)という仁吾の表白は、率直に回心の内実を伝えている。
 有爲子に対する仁吾の感謝は、妻に対する作者の偽らざる心情であった。次女野本瑠美氏は、父正史を「仕事以外のことにはまるで頓着しない人」であり、正史が小説家として活躍できたのは、母孝子の献身に拠るところが大きいと述懐している(野本瑠美「〈インタビュー〉横溝正史と横溝孝子──次女から見た父と母」『横溝正史研究6』〔戎光祥出版、二〇一七年三月二十八日〕)。「健康状態に不安を抱え、そのためにわがままで、偏屈なところもあった父を、母はすべて受け容れ、耐え抜いてきた。だからこそ、父は執筆に専念できたのです。」、「母は、父にとって妻であり、母親でもあり、看護婦でもあり、医者でもあり、秘書でもあった。」と野本氏は言う。孝子がかけがえのない存在であることは、十分承知されていたであろうが、含羞の人であった正史は、感謝を直接伝えたり、書き記したりすることはあまりなかった。『雪割草』は、家族に対する作者の真情が小説に仮託して綴られた作品であると見なすことができる。
 戦時下の特殊な状況は、横溝正史に通俗小説の筆を執らせた。それは、始発においては本意の仕事ではなかったかもしれない。しかし、与えられた条件の中で作者は最善を尽くし、読んで面白く、かつ、芸術家のありようを問う作品を完成させるに至った。『雪割草』は、例外的な環境が生んだ異色作であるが、創作家としての苦悩が主題に選ばれていることからすれば、横溝正史文芸の核心に関わる作品であるととらえることがふさわしい。正史らしからぬ、同時に正史ならではの佳編として、本作が多くの読者の目に触れれば、と思う。
(二〇一八年二月)

〔追記〕単行本『雪割草』の刊行後、探偵小説研究家の沢田安史氏の調査で、本作が『新潟毎日新聞』・『新潟日日新聞』以前に『京都日日新聞』に連載されていたことが判明した(一九四〇年六月十一日~十二月三十一日)。『京都日日新聞』の後継連載小説は、小栗虫太郎『美しき暁』(一九四一年一月一日~六月三十日〔未完〕、別題『亜細亜の旗』)である。
 先行紙の確認によって、『雪割草』が社会の動向と密接に関わる現代小説であることが、より鮮明となった。沢田氏はまた、『九州日日新聞』(一九四〇年十月七日~一九四一年七月十五日)、『徳島毎日新聞』(一九四一年一月十一日?〔マイクロフィルム欠号による推定〕~八月二日)にも掲載されていることを突き止められた。『九州日日新聞』での作品名は、『愛馬召さるゝ日』となっている。別題は、終盤を含む全体の構想が早くから作者にあったことを示すものであろう。
 本文庫版は、『新潟日日新聞』最終回の欠落部分を『京都日日新聞』のそれで補っている。本文の空白を埋められたのは、喜ばしい。それ以外の箇所についても、浜田知明氏に校合をお願いし、適宜修正を行った。本文庫版『雪割草』の本文は、現在における決定版である。
(二〇二一年三月)

■作品紹介

銃後の芸術家小説――『雪割草』【文庫巻末解説】
銃後の芸術家小説――『雪割草』【文庫巻末解説】

雪割草
著者 横溝 正史
定価: 1,276円(本体1,160円+税)

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KADOKAWA カドブン
2021年05月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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