恩田陸推薦!超巨大生物に乗って、いざ月へ!ちょんまげ犬も登場する第7巻――『新訳 ドリトル先生と月からの使い』【訳者あとがき】

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恩田陸推薦!超巨大生物に乗って、いざ月へ!ちょんまげ犬も登場する第7巻――『新訳 ドリトル先生と月からの使い』【訳者あとがき】

[レビュアー] 河合祥一郎(英文学者、東京大学大学院総合文化研究科教授)

文庫巻末に収録されている「訳者あとがき」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■『新訳 ドリトル先生と月からの使い』訳者あとがき

 本書は、『ドリトル先生のキャラバン』に続く、シリーズの第七巻である。
 原題を直訳すれば『ドリトル先生の庭』だが、本作を最初に邦訳した井伏鱒二が『ドリトル先生と月からの使い』としたのを踏襲させていただいた。これは、次の第八巻『ドリトル先生の月旅行』と第九巻『ドリトル先生月から帰る』と合わせて、「ドリトル先生の月旅行三部作」と捉えたうえでの命名である。
 本書の前半は、第五巻『ドリトル先生の動物園』の続きになっている。動物町に住む犬たちの物語が次々に語られ、トミーがそれを『雑種犬ホーム物語集』として書きとめるという形で展開する。それから、虫の話、チーチーの語る先史時代の画家オウソーの話と進み、第二部の終わりで「いきあたりばったりの旅」ゲームで月旅行が決まったところへ、先生の庭に月からの使いが到着し、ついに月に着陸するところで本書は終わる。続きは第八巻で語られる。
 宇宙服も着ないで宇宙旅行をするという、なんとも、のほほんとした書きっぷりに驚く読者もいるかもしれないが、本書が書かれたのは一九二七年であるという事実を踏まえておかなければならない。
 人類が宇宙船アポロ11号で初めて月へ行き、アメリカ人宇宙飛行士ニール・アームストロングが月の表面を歩いて、「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」と有名なことばを残したのは、一九六九年のことであり、本書が書かれた当時において、月はまだ人類が訪れたことのない未知の世界だったのである。
 また、それまで児童文学において月がどのようにイメージされてきたかという経緯も考慮するとよいだろう。一八三八年のアンデルセン童話『幸福の長靴』で、魔法の靴をはいて「月へ行ってみたい」と願うと月へ行ってしまう話が描かれるように、多くの場合、月とは、はるか遠くにあって「ふつうの人は決して行くことのできない夢のような世界」としてイメージされていた。児童文学ではないが、日本最古の物語と言われる『竹取物語』で月世界の人たちが地上人を遥かに凌駕する能力を持っていたり、エリザベス朝文学に影響を与えたアリオスト作『狂えるオルランド』(一五一六)において、月は地球で失くしたものが見つかる夢の世界として描かれたりするのも、月世界が地上では起こり得ないことが起こる「ありえない世界」としてイメージされていた証左であろう。ちなみに本書248ページに出てくる「熟成していないチーズでできた月」という表現も、英語独特の言いまわしにある「月は熟成していないチーズ(グリーン・チーズ)でできていると信じる」(「ばかげたことを信じる」という意味)に基づくものであり、「ありえない」という連想がここでも働く。
 日本では月にはウサギがいるとイメージされるが、イギリスでは、月には「月の男」がいると想像され、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の劇中劇でも「月の男」が背中に枝を背負って犬を連れて登場する。マザー・グースでも「月の男が大あわてでやってきて……冷たいプラム・ポリッジすすって口をやけどした」と歌われるが、冷たいポリッジでやけどするのも「ありえない」ことを表す一例だ。
 月にまつわる作品は多々あるが、シェイクスピアより二歳年上のイングランド国教会司教フランシス・ゴドウィン(一五六二~一六三三)の著した『月の男』(一六三八年刊行)という作品に、主人公ドミニゴ・ゴンザレスがまるでドリトル先生のように野生の白鳥の群れを組織して、白鳥たちに引っ張ってもらって月まで飛んでいくという話があるのは特筆に値しよう。一六二〇年代に書かれた作品だが、地球から離れるほど重力が弱まるといったことがすでに書かれており、国教会の牧師ジョン・ウィルキンズ(一六一四~七二)が著した『月世界の発見』(一六三八)という研究書には、月には大気があり海があるといったようなことが記されている。

新訳 ドリトル先生と月からの使い 著者 ヒュー・ロフティング訳 河合 祥...
新訳 ドリトル先生と月からの使い 著者 ヒュー・ロフティング訳 河合 祥…

 ゴドウィン──ちなみに『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフトの大伯父に当たる──の『月の男』は、フランスの剣術家で作家のシラノ・ド・ベルジュラック(エドモン・ロスタンの戯曲の主人公のモデル)が著した風刺小説『月世界旅行記』(一六五七)とともに、サイエンス・フィクションの先駆けとされている。ムルタ・マクダーモットというアイルランド人作家も巨大な大砲によってロケットを月へ撃ちこむ物語『月への旅』(一七二八)を書いているが、月をモチーフにした最初の本格的サイエンス・フィクションとしては、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』(二部作一八六五、七〇)を挙げるべきだろう。これらもまた、ロフティングの書いた本作と同様にアポロ月面着陸以前に書かれた作品である。
 本作はこうしたサイエンス・フィクションの流れよりは、むしろ本作とほぼ同時期に構想されたトールキンの『ローヴァランダム』(犬のローヴァーが月世界へ行く話)のようなファンタジーの流れに与している。動物たちと自由に会話をするファンタジーと同様に、月旅行も夢の夢であった時代に書かれた作品として理解すべきものであると言えよう。
 そして、作者ロフティングの究極の夢とは、生きとし生けるものが互いの命を尊重しあい、傷つけあうことなく平和に暮らす世界を打ち立てることだった。
 ロフティングは夢物語に託して、生きるものすべてが理解しあい、戦争をしない世界を夢見る。94~99ページに出てくる「バンカールーの戦い」──おそらくナポレオン軍がイギリスとプロイセンの連合軍に敗れた有名なウォータールーの戦いをもじったもの──の話でも、戦争なんておろかなことだと語られる。
 戦争のない平和な世界を築くには、理解しあうことが大切なのだとロフティングは主張している。たとえ相手がイエバエでもゴキブリでも話を聞こうとするドリトル先生の態度には、そうした作者の思いがこめられている。
 いがみあう前に、相手とじっくり話をすること。それがなによりも大切なのだが、相手に耳を傾ける時間をさけないほど忙しい現代において、ゆっくりと会話をして理解しあうことがどこまで可能か。それが問題だ。

■作品紹介

恩田陸推薦!超巨大生物に乗って、いざ月へ!ちょんまげ犬も登場する第7巻――...
恩田陸推薦!超巨大生物に乗って、いざ月へ!ちょんまげ犬も登場する第7巻――…

新訳 ドリトル先生と月からの使い
著者 ヒュー・ロフティング訳 河合 祥一郎
定価: 770円(本体700円+税)

恩田陸推薦!超巨大生物に乗って、いざ月へ!ちょんまげ犬も登場する第7巻
バージョンアップした『ドリトル先生』を世代を超えてご一緒に。――恩田 陸さん(作家)
超巨大生物に乗って、いざ月へ! ちょんまげ犬も登場する第7弾! 新訳&挿絵付
装画・挿絵:ももろ

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000745/

KADOKAWA カドブン
2021年05月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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