バブル景気下 東京の片隅で暮らす若者を描く
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「上京」です
***
時は、バブル景気が始まってまもない1987年。長崎から上京した大学生の一年間を描いたのが、吉田修一の『横道世之介』だ。
世之介が新宿駅東口に降り立つ場面から小説は始まる。鞄の中には高校の卒業アルバムと着古した学校ジャージ、そして実家で使っていた置き時計。
見上げればアルタの大画面があり、広場のステージでは漫画雑誌のグラビアに出ている女の子がガムの宣伝をしている。
こんな近くにアイドルがいること、それなのに誰も騒がないことに世之介は驚く。80~90年代に地方から上京した人なら、似たような経験をしているのではないか。
フォルクスでステーキを食べ、サーファー御用達のディスコに迷い込み、BMWを「ベンベー」と発音することを知り……。どこか抜けたところのある世之介は、素朴さを残したまま、東京の片隅で、ごく普通に生きて行く。
本文中で何度か16年後の友人たちの生活が描写されるが、そのとき世之介はこの世にいない。いつ、どうして世之介は死んでしまったのか。最後にそれが明かされるとき、読者は現実に起きたひとつの事件を思い出すことになる。主人公が若くして死んでしまうにもかかわらず読後感はさわやかで、もう一度最初から読み返したくなる。
ありふれていたのに、振り返ればなぜかまぶしく感じる若かった日々。自分の青春時代がいとおしく思えてくる小説である。