子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。――『あの夏、二人のルカ』【文庫巻末解説】

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あの夏、二人のルカ

『あの夏、二人のルカ』

著者
誉田 哲也 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041112427
発売日
2021/04/23
価格
792円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。――『あの夏、二人のルカ』【文庫巻末解説】

[レビュアー] タカザワケンジ(書評家、ライター)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。――『あの夏、二人のルカ』【文庫巻末解説】

解説
タカザワケンジ

 あなたの“あの夏”はいつだろう。
 人生にそう何度も訪れることのない特別な夏、それを“あの夏”と呼ぼう。あなたがまだ若く、そんな夏をまだ経験していなかったとしても、これからきっと訪れる。この物語のような忘れられない夏が。
『あの夏、二人のルカ』には三人の語り手が登場する。一人目は、離婚して名古屋から日暮里へと帰ってきた「私」。三十二歳の女性だ。亡くなった母が住んでいた谷中の部屋へ向かう道すがら、「ルーカス・ギタークラフト」という看板に目を留める。楽器の修理工房がなぜこんなところに?
 二人目はクミ。女子校に通う高校二年生だ。夏休み明けの教室でギターケースを目にした彼女は、その持ち主を待ちかまえ、バンドを結成するきっかけをつかむ。彼女は五歳の頃からドラムを叩いていて、バンドをやりたくてうずうずしていたのだ。
 三人目は乾滉一。三十代後半独身だ。「ルーカス・ギタークラフト」の店主である。プロのミュージシャンをめざしていたが、限界を感じてリペアマンに転じた。ご近所からの日用品の修理依頼を受け付けてしまうお人好しでもある。そんな彼の前に「季節外れの雪女みたいな」女性が現れる。
 一人目の「私」と三人目の「俺」こと滉一の世界は同じ時間、同じ場所に設定されている。つまり「私」が真夏に現れた「雪女みたいな」女性なのである。しかし、二人目のクミの世界はどうだろう。読者はまずこの二つの世界がどのように関係してくるかを考えながら、夏から始まった二つの物語を読み進めることになる。
「私」は少し世間とズレたところがある人物だ。いまは無職ということもあり、世捨て人のようでもある。滉一は職人らしいこだわりがある一方で、人の話をちゃんと聞くし、デリカシーもある。だからこそ「私」に接近できるのだが、かといって恋愛関係に進むわけでもない。しかも二人の過去には何か接点がありそうなのだ。
 高校生のクミは「私」とは対照的に元気いっぱいだ。父親がレンタルスタジオを経営しているので、大人たちに囲まれて音楽漬けの毎日を送っている。夢はプロのドラマーになること。バンド結成もそのための手段だ。実にわかりやすい。
 二つの世界の進み方は語り口も、時間の流れも違う。「私」と滉一の時間はひと夏をゆっくりと流れていくが、クミの日々は矢のように過ぎていく。そのスピードの変化が心地いい。転調する楽曲のようでもあり、一枚のアルバムのなかでバラードと激しいビートの曲が並んでいるようでもある。
 高校三年になったクミの前に、真嶋瑠香という同級生が現れる。楽器はできないけれど、ロックやバンドが大好きだから手伝いたい。仲間に入れて欲しいという。「二人のルカ」のうち、一人はどうやら彼女のようだ。
 瑠香は積極的にバンドを手伝い、森久ヨウというボーカル候補まで連れてくる。ヨウの登場で、クミのバンドは大きく変わることになる。クミの印象はこうだ。
「ヨウはまるで、敵を威嚇するような目つきで唄う。髪を振り乱し、闘志を剥き出しにし、かと思うと、冷徹に銃弾を撃ち込む、スナイパーの目で睨みつける。」
 ヨウが誰に教わることもなくつくった曲を聴いて、さらにクミは圧倒される。
「ヨウの表現しようとしている世界観、その一端を垣間見ただけで、あたしの脳味噌はブッ飛ばされていた。」
 こうして彼女たちの“あの夏”──高校三年の夏が始まるのだ。

あの夏、二人のルカ 著者 誉田 哲也 定価: 792円(本体72...
あの夏、二人のルカ 著者 誉田 哲也 定価: 792円(本体72…

 まだ読んでいない方は、ここまで読んで、ああ、この小説は高校生たちがバンドを組んで成功するサクセスストーリーなのね、と思われるかもしれない。あるいは栄光と挫折の物語なのかな、と。たしかにその要素もある。しかし、この小説の舞台になっているもう一つの“夏”、「私」と滉一の出会いが、彼女たちの物語に新たな視点を付け加え、世界を広げるところにこの作品の真価がある。
 その真価について書く前に、作者の誉田哲也について少し。姫川玲子シリーズや『ジウ』シリーズ、『ドルチェ』などの警察小説、『武士道シックスティーン』から始まる“武士道”四部作などの青春小説ほか多数のヒット作があるが、異彩を放つのが音楽小説である。作家になる前にはプロのミュージシャンをめざしていたというだけあり、楽器や演奏についての描写が細かく書き込まれ、リアリティがハンパない。しかも書き手がその描写を楽しんでいることが伝わってくるのだ。
 ほかにも誉田の音楽小説には特徴がある。必ず天才が登場することだ。『疾風ガール』『ガール・ミーツ・ガール』の柏木夏美、『レイジ』の三田村礼二がそうだ。どちらの作品も、彼女、彼がどのように才能を開花させ、プロとして成功するか(あるいは失敗するか)が物語の推進力になっている。誉田がミュージシャン時代に書いた歌詞から生まれたという寓話的な短篇「最後の街」(『あなたの本』に収録)も、やはり成功したミュージシャンが主人公である。これらの作品からは、天才ミュージシャンは音楽を人に聴かせて初めて存在価値がある。てっぺんをめざして当然。そんな誉田の哲学がうかがえる。
 しかし『あの夏、二人のルカ』に登場する天才は少し違う。ヨウは音楽的才能に恵まれているが、自分の才能を生かそうという気持ちがまるでない。プロになりたい、大勢の人に自分の曲を聴かせたいと思っていないのだ。ヨウは自分の才能を認めてくれた音楽プロデューサーにこう言い放つ。
「私は、このバンドが、このバンドのメンバーが、好きなんで。このバンド以外で、唄うつもりはありません」
 傲慢にも聞こえる言葉だが、ヨウは言葉通り、このメンバーで唄いたいだけ。プロという枠組みも、お金も承認欲求も必要ない。それほどヨウにとって、初めて組んだバンドで音楽に熱中した“あの夏”は特別だったのである。それは同時に「大人に支配されるのが、嫌だってこと」でもある。
 大人なんて嫌いだ──十代の頃に、そう思ったことがある人は多いはずだ。とくにロックという反抗の象徴のような音楽にハマった人にとって、既存の大人は嫌悪すべき存在、唾棄すべき社会の代弁者である。
 しかし、当然のことだが人はいつかは大人になる。そこで、「私」と滉一のパートががぜん存在感を発揮してくる。三十代の二人はもう大人だ。しかし、どこかに十代の頃の面影を残している。彼らは大人だろうか、子供だろうか。そもそも大人とはどんな存在なのだろうか。私たちも、登場人物たちとともに、「大人って何だろう?」という問いへの答えを探し始めるのだ。
 大人なんて嫌いだと、かつて思っていたあなた。いままさにそう感じているあなた。“あの夏”は、十代でしか経験できない特別な夏はたしかに存在する。しかし、大人になったら、また別の特別な夏がやってくるかもしれない。
『あの夏、二人のルカ』の真価はここにある。“あの夏”は遠い昔の郷愁ではない。子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。そこに仲間たちがいる限り。

■作品紹介

子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。――『あの夏、二人のルカ』...
子供には子供の、大人には大人の“あの夏”がある。――『あの夏、二人のルカ』…

あの夏、二人のルカ
著者 誉田 哲也
定価: 792円(本体720円+税)

大人って何なんだろう。誉田哲也が贈る、痛みと希望に満ちた青春群像劇。
あの夏からずっと、大人って何か、考え続けてる――。

離婚し、東京・谷中に戻ってきた沢口遥は、近所に『ルーカス・ギタークラフト』という店を見つける。
店主の乾は、ギターだけでなく日用品の修理も行う変わり者。
彼と交流するうち、遥の脳裏に、蓋をしていたある記憶が甦る。

大人になりたい少女、大人になりたくない少女、大人になってしまった少女。
それぞれの悩みと思いが交錯する。青春の葛藤と刹那の眩しさに溢れた群像劇。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322012000509/

KADOKAWA カドブン
2021年05月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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