物語の意義
[レビュアー] 関俊介(作家)
多くの物語に救われてきました。
そこには現実と異なる空間が広がっていて、特有の匂いがたちこめていて、悪いやつもいたけれどそれ以上に格好いいヒトたちが生きていて、居心地がとてもよくて、いつまでも浸っていたいと思ったものです。
幼い頃も、幼くはないけれど未熟だった頃も、娯楽作品に求めていた要素は共通していました。現実を忘れて楽しめるもの。今もそう。これは私にとって現在も揺らぐことのない「娯楽とはなんぞや」の答えになっています。
新作『精密と凶暴』の第一稿を書きあげたのは二〇一九年十二月。執筆を始めたのが二〇一六年四月だから、まあ時間がかかりすぎたよなと反省しつつも原稿を送って人心地がついた直後の二〇二〇年、新型コロナウイルスなるものが発生。あれよあれよというまに広まって、世界は変容しました。
今こそ娯楽だ。現実を忘れて楽しめるものが必要だ。自分にどこまでできるかはわからないが、こんな時代だからこそ物語で楽しませたい。そう鼻息を荒くしている自分がいます。
一方、変容前に書いていた物語が変容後の世界でようやく出版されるという状況に、我ながら流れに乗っていないなとあきれてもいます。閉塞(へいそく)感に満ちた現代にあって血が飛び散り、銃弾も飛び交い、憎悪と悪意があふれる物語に需要なんぞあるのかよ、と。でも新しく担当になっていただいた編集氏と何度も原稿をやり取りして(感染対策でいまだに会えていないというね)、読んでは書きなおして、そのたびにやっぱりこれおもろいぞ、と自画自賛をしていたのも事実でして。
というわけで出します。シノビです。活劇です。誰もマスクをつけていません。手指の消毒もしません。顔をつき合わせてコウベビーフをほおばります。これでもかと暴れます。ぜひ、あらゆる憂(う)さを晴らしてください。現実を忘れて楽しんでください。それでは物語の世界でお会いしましょう。