物語を通じて語りかけられる「連帯」 『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』 松田青子

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物語を通じて語りかけられる「連帯」 『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』

[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)

 目の前に山とある違和感の正体を暴いてくれる松田青子の小説は、痛快だ。国家や社会、それを作り上げてきた男たちの欺瞞をつつき、笑わせてくれるから。そのあとで深く考えさせられ、同時に、軽く絶望もする。そこに描かれているあらゆる理不尽が現実として長く居座り、いまも女性たちを息苦しくさせているから。だが、そんな中でも女性たちはもはや気づいていないふりはできないと目覚め始めている。こんな言われようや慣習はおかしいのだと、松田青子の言葉をたどりながら、首肯する。

 表題作では、女の子が社会の中で成長し、ジェンダー平等に目覚めていくさまを描いて、シスターフッド(連帯)をアジテートする。そのほか、ゼリーが娘に擬人化されて、身が固まる固まらないが一大事と思っていた夫婦の目線が変わる爆笑譚「ゼリーのエース(feat.「細雪」&「台所太平記」)や、ブルマという体操服がいかに女子学生たちを蹂躙し、大人になってもその影響で苦しみと怒りを背負わされるかを説く「許さない日」、女性自身も恥ずかしくて鬱陶しいものと思い込まされてきた生理や経血に対して、〈私の生理ってきれいだったんだ〉と新しい視点を投げかける女性賛歌「この世でいちばん退屈な赤」など。

 特に揺さぶられたのは、「誰のものでもない帽子」だ。まだ一歳半の娘を連れた女性のホテル暮らしの様子がスケッチされるが、背景に気づくと、実はとてもサスペンスフルな一篇だとわかる。いまいる場所で耐えるのではなく、そこから自分の心に沿うものを何か選び取れば変わる。過去にそうやって女性たちが変えてきた歴史の上に私たちは立っていて、私たちもまたそのバトンを渡す勇気を持て、と著者は語りかける。エールのような十一編だ。

光文社 小説宝石
2021年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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