分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議 河合香織著 岩波書店

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分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議

『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』

著者
河合 香織 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784000614665
発売日
2021/04/08
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議 河合香織著 岩波書店

[レビュアー] 仲野徹(生命科学者・大阪大教授)

 「我々は政府に嫌われてもなお、

ルビコン川を渡ろうと思った」

 尾身茂の言葉だ。昨年2月、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が独自の会見に踏み切った時の決意である。その引き金をひいたのは、感染症についてはほぼ素人という医療社会学の専門家、東京大学医科学研究所の教授、武藤香織。ダイバーシティーが奏功した格好の例だ。

 官僚制度には「無謬(むびゅう)性の原則」があり、専門家会議から政府への提言が市民に届くまでに時間がかかり、内容が薄まってしまう。それを防ぐには専門家会議の名で発信すべきだと、武藤は勇気を振り絞って提案した。座長の国立感染症研究所所長の脇田隆字(たかじ)は所轄官庁である厚労省との関係よりも市民が大事だと協力を即断する。

 厚労省でのもたつきに「こういう時に忖度(そんたく)は起こるんだ」と語気を強める尾身に武藤は言う。

 「いまこそ我々の分水嶺(れい)ですね」

 2人で文章を推敲(すいこう)しながら、尾身は「あなたの勇気のおかげでこういうことができた」とねぎらう。尾身先生、意外と(?)ロマンチストやん。

 東北大学教授・押谷仁の独創的着想から設置されたクラスター対策班の涙ぐましい奮闘もむなしく感染は拡大し、一回目の緊急事態宣言へ。権限がないのに専門家会議が方針を決定しているなどとの誤解から、国民のいらつきは専門家にもぶつけられた。さらに、専門家会議は御用学者ではないかと誹(そし)る向きもあった。この本を読むと、決してそうではなかったことがわかる。

 専門家会議は「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」と題した「卒業論文」を残し、7月初めに解散・改組された。分水嶺を越えた流れは決しておだやかでなかったが、その川の水は正しい方角の海へと注がれていった。

 尾身は、雑誌連載を本にまとめたいと打診する作者の河合香織に「時の経過に耐える作品が残ることを期待しています」と返信した。その願いに十二分に応えた緊張感あふれる1冊だ。

読売新聞
2021年5月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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