弱者に寄り添う、爽快で愛おしいエンタテインメント 『武士とジェントルマン』榎田ユウリ著

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弱者に寄り添う、爽快で愛おしいエンタテインメント 『武士とジェントルマン』榎田ユウリ著

[レビュアー] 溝口彰子(クィア・ビジュアル・カルチャー理論家、大学非常勤講師)

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■『武士とジェントルマン』書評

評者:溝口彰子 (クィア・ビジュアル・カルチャー理論家、大学非常勤講師)

 榎田さんがデビュー20周年、しかも20周年記念作品の装画は漫画家・萩尾望都さん! いやー、すごいことですよ、これは。……と、いきなり、書評らしからぬパーソナルな調子ですみません。榎田さんとは私、「ほぼ同期」なので思い入れがひとしおなのです。(この先は「ですます」調ではなくなります。)
 私がBL(ボーイズラブ)に研究者兼愛好家として取り組み始めた1998年後半は、榎田が雑誌『JUNE』で、彼女のデビュー作である「魚住くん」シリーズの連載を再開してまもなくの時だった。『JUNE』は1978年創刊の商業雑誌だが投稿誌でもあり、広義のBL史において重要な位置を占める。榎田はその誌上で中島梓(小説家としては栗本薫名義)が主宰していた「小説道場」の最終回で「魚住くん」シリーズの第一話である短編「夏の塩」(文庫版で40ページほどのボリューム)が採り上げられて雑誌デビュー。連載開始。投稿誌ならではの自由さで休止していた約2年間があったのが、1998年に再開。主人公の魚住は、美形だけど苛烈な生い立ちからくる心の傷に向き合わずにすむように、感覚をある程度マヒさせて薄目だけ開けて生きているような、茫洋とした、けれど免疫研究者としてはすこぶる優秀な青年。そんな魚住が、一般的な営業マンである久留米との恋愛や、個性的な脇キャラたちとの、誰もがそれぞれの主体性を尊重して決めつけや押し付けを決してしない関係性のなかで、いつも死の近くにいながらも回復していく物語の鮮烈さにびっくり仰天し、この作者ってどういう人なんだろう? と思ったことをよく覚えている。その「魚住」シリーズが単行本になったのが2000年で、今年はそこから数えて(コロナを引いて)デビュー20周年ということなのだろう。「魚住」シリーズは今では一般文芸の文庫として流通していて、帯にひっそりと「BLの伝説的名作」と記されているらしい。つい数週間前にも学生から「最近『魚住くん』シリーズを読んでハマったんです」という話を聞いたばかりだ。20年たっても現在進行形で新しい読者を獲得し続けているのだ。素晴らしい。
 1998年後半から現在まで、榎田の小説を読みながら研究や生活をしてきた私は、誇張でもなんでもなく「榎田作品とともに生きてきた」と感じる。年に数冊、榎田というひとりの作家が小説のなかで再編成して提示する世界を受け止め、自分自身の価値観に反映させたりもしつつ、人生を生きて行くということ。榎田の作品の多くに共通するテーマは、かつて「JUNEテイスト」とも呼ばれた「傷ついた子供が愛によって癒される」ということであり、また、これはご本人の言葉だけれど、「差別されている弱者がいて、それを護ろうとする人がいる、という構図」「差別の問題への意識」もある。それらを、仕事で疲れた後の息抜きとして楽しく読めるエンタテインメント小説として20年(以上)、提供し続けてきたのが榎田ユウリ/尤利なのだ。(榎田尤利はBL作家としての名義である。広義のBLの祖先である『JUNE』からデビューしたBL作家が一般文芸に進出した時に、ペンネームの音は変えずに表記のみ変えたというのは、BL読者にも一般読者にも嫌味のないやり方だったと思う)

武士とジェントルマン 著者 榎田 ユウリ 定価: 1,650円(本体1...
武士とジェントルマン 著者 榎田 ユウリ 定価: 1,650円(本体1…

 さて、今作『武士とジェントルマン』である。日本の大学で講師をつとめるために来日した英国紳士を空港で出迎えた下宿先の主人であるH.INO氏は、キモノにカタナ、チョンマゲの武士だった……!「伝統文化の保持ならびに地域防犯への奉仕を目的とする新しい武士制度」が存在するパラレル現代日本で始まる27歳の伊能長左衛門隼人・通称ハヤトと、40歳のチベット仏教美術研究者アンソニー・ハワードとの不思議な同居生活。
 日本語がやけに堪能な、だけれども初来日の英国紳士と、パラレル現代日本で武士として生きる青年の邂逅によってもたらされるエンタテインメントというのは、榎田作品ではもちろん初めてだし、小説界全体を見ても珍しいかもしれない。また、物語のしめくくりに次世代へのバトンタッチとして子供が登場するというのではなく、ほぼ最初から小学生世代から老人世代までが揃っているというのも新規軸だ。だからずっと榎田作品を読んできた私にとっても、本作はとても新鮮で、楽しくぐいぐい読んだ。いや、それどころか、なにしろ装画が萩尾望都である。表紙のハヤトとアンソニーだけでなく、見開き扉では8人もの主な登場人物が描かれており、視点人物であるアンソニーに導かれながら、脳内で萩尾の絵のキャラクターたちが動きまわり、クスリとしたりジーンときたりの、なんとも贅沢な読書体験となった。
 そして本作は、いかにも榎田らしい作品でもある。キャラクターの年齢にかかわらず「傷ついた子供が“愛”によって癒され」「弱者を護ろうとする人がいる構図」の物語である。そして、大人が真剣に子供に謝ったり、いくら親しくても他人が踏み込むのではなくあくまでも本人の主体性を尊重し、世間一般の「常識」とやらは知ってはいても肝腎要な場面での判断は個々人が主体的にすべきとするところ、だけれども市井のひとびとの善意を否定するわけではなくふんわりと受け止めるところなど、まさに「魚住」シリーズ以来、多くの榎田作品で描かれてきたことである。なんというのか、死が近くにあるとか、あるいは、人は悪意がなくても悪をなせることを知っているからこその絶望があって、でも、だからこそ、その反対の希望が湧いてくる、そんな感じ。それが本作ではより一層の覚悟をもって提示されている、と感じる。
 最後にもうひとつだけ。ネタバラシはできないので書き方が難しいのだが、書籍版書き下ろしの最終章にはびっくりした! いやー、私が大学のセクシュアリティ論の授業で、「みなさんが『えっ』って抵抗感を抱いても、それについて罪悪感をもつ必要はありません。たしかにびっくりしますよね。でも、国際的にはこういう流れがあるんです。日本の特例法が時代錯誤だと言われるゆえんです」などと、おずおずと述べるまさにそれが、こんなにいきいきとエンタメ小説で描かれるとは! いや、たくさんの読者が娯楽として手に取るエンタメ小説だからこそ、これを、主人公たちの素直な受け止め方も含めて2021年に描くという判断が素晴らしい。榎田尤利/ユウリの作品とともに生きてきたこの20年余りの幸運と、さらに下の世代への影響力を思うと 「ムネアツ」である。次の20年もその先も、よろしくお願いいたす!

KADOKAWA カドブン
2021年05月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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