ひなびた温泉は“なすがまま”で楽しむべし! 秘湯・迷湯・名湯をえりすぐった日本初の温泉ガイド『日本百ひな泉』の著者・岩本薫さんに話を聞きました

インタビュー

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ひなびた温泉は“なすがまま”で楽しむべし! 秘湯・迷湯・名湯をえりすぐった日本初の温泉ガイド『日本百ひな泉』の著者・岩本薫さんに話を聞きました

[文] みらいパブリッシング


温泉研究家の岩本薫さん

温泉といえば、箱根や伊豆などの豪華な旅館に贅沢を尽くした食事を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

しかし、非常に奥が深い温泉の世界。泉質は良いのに、地元の人にしか知られていない、まさにお宝のような温泉があるのです。

そこには、まるで昭和やそれ以前の時代のまま時が止まったかのような独特な趣があり、その“ひなびた”雰囲気にハマってしまう人が続出しています。

今回はそんな泉質の良いひなびた温泉だけを集め、発売前から予約注文が殺到したビジュアルガイド『日本百ひな泉』の著者、岩本薫さんに話を伺いました。

こんな温泉ガイド、見たことない! ひなびた温泉を応援するためのプロジェクト

――日本初のひなびた温泉ガイド『日本百ひな泉』が完成しましたね! 温泉に浸かった時のお湯の様子や泉質、湯屋の雰囲気をここまでくわしく描写している本は見たことがありません。

そうなんです。自分でも欲しかった本がつくれたと思います。

そもそも、温泉のガイド本って本屋さんに行ってもそんなに数があるものじゃないんですよ。特に泉質を優先して書いた本ってなかなかないんです。たいてい、旅館や食事、近隣の観光スポットとセットで紹介してしまうもので。だから、僕みたいに泉質とか湯屋の佇まいとか来る人数とかを気にするマニアだと、普通の旅行ガイドに載っている温泉は玉石混交だなぁと思ってしまうんです。

この本に載っている温泉は、真の温泉マニアたちが選んだものなので、お湯の質は間違いないです。どれもすごい。どんな温泉好きの人も文句ないセレクトになっていると思います。


届いたばかりの本の現物をうれしそうに掲げる岩本さん

――この本をつくろうと思った理由を改めてお伺いできますか?

前回のインタビューでも触れたのだけど、この本は草の根から“ひなびた温泉”を盛り上げたいと思ってはじめたプロジェクトなんです。

ひなびた温泉って地元の人しか行かないようなところも多いから、経営的に厳しい状況にある温泉も多いんですよ。箱根にあったお気に入りのひなびた日帰り温泉宿が潰れてしまったことがあったんです。潰れる前、宿の方に「何とかできないか」と相談されて、その宿のために行政を動かしてプロモーションを仕掛けようと思っていたのですが、行政にもそんな予算はなくて、その宿を救えなかった。

その時に、全国のひなびた温泉を救うには、大衆居酒屋ブームのように、温泉を楽しむ利用者側から盛り上げていかなきゃと思ったんです。そのためには、まずは日本百名山の温泉版をつくったらいいんじゃないかと考えはじめたのが、この本をつくるきっかけです。

――なるほど…! ただの温泉ガイドではなく、実は「ひなびた温泉を救う」という大きな目的があったのですね。

そうなんですよ。でも結果として本当におすすめしたい、すごくいい温泉本ができました。この本に書いてある1位から100位までの温泉をすべて制覇したら、色々な泉質の温泉に浸かることができるし、誰よりも温泉に詳しくなれると思います(笑)

――本の制作過程で、大変だったことはありますか?

掲載する温泉の選定と、原稿をまとめる作業が想像以上に大変でした。

まず、この本に載っている温泉は、僕が運営する「ひなびた温泉研究所(通称:ひな研)」のメンバーに選んでもらいました。

みんなの投票によって温泉ランキングはすぐに完成したのですが、そのあとに問題が起きてしまったんです。というのも、自然災害やコロナ禍で社会も観光業も大変な時期だったものだから、100位内にランクインした途端に廃業してしまった温泉がいくつかあったんですよ。他の温泉を再度取材に行ったりしなくてはならなかったので、それが少し大変でした。

もう1つ大変だったのは、実は原稿をまとめる作業で。掲載する温泉は、「ひな研」のメンバー約50名に取材から原稿作成まで担当してもらいました。プロのライターではないから、さまざまなスタイルの原稿が集まってきて、それを統一感を出しつつ執筆者の持ち味を生かしながら校正する作業が大変でした。

現代の時間の外にある、ひなびた温泉の魅力とは

――そもそも“ひなびた温泉”って、どのような温泉のことを指すのでしょうか?

それはよく聞かれるんだけど、僕はよく「現代の時間の外にある温泉」だって説明しています。時が止まっているイメージと言ったらいいのかな。建物にも湯船にも、それまで積み重ねてきた時間がしみ込んでいて、味わい深いものがあるんですよ。昭和っぽい建物とか、温泉の析出物が積もったお風呂の床とか、ああいうひなびた感じは、人の手では絶対つくりだせないです。

例えばね、こんな風に鹿の口からザバザバとお湯があふれ出ている温泉っておもしろいでしょ? この鹿、もともとは立派な角がついていたんだけど、とれちゃったそうで、何度修理してもとれちゃう。だからもうあきらめて、鹿っていうよりは牛みたいになっている。温泉成分で白ヒゲみたいなのが生えてるところもいい味出しているしね。


左下の温泉に注目! 鹿なのか、牛なのか…。シュールな光景が広がっております

こういうのがあるからひなびた温泉は面白い。つまり天然なんですよね。何が起きるか分からない。これが天然の良いところであり、面白いところで、計算されたマーケティングでは絶対生まれないような世界なんですよ。

――なるほど。岩本さんは、どうしてひなびた温泉にハマったのですか?

大きなきっかけは、漫画家のつげ義春さんと静岡県にある平山温泉龍泉荘ですね。

子どもの頃から漫画家のつげ義春さんの世界観が好きで、つげさんの書いたひなびた温泉をめぐる紀行文や写真にも触れていました。大人になって自分でひなびた温泉に行くようになって、「これがつげ義春の世界か」と感動して、ハマっていきました。

もう1つのきっかけが、仕事でお茶の取材をしに静岡へ行ったときに立ち寄った平山温泉龍泉荘。地元のタクシーの運転手も知らないようなひなびた温泉なんだけど、たまたま地元の人に教えてもらって、訪れてみたんです。

その時に見た光景が桃源郷の様でね。おっちゃんがぐでーっと気持ちよさそうにお湯に浸かっていたり、畳の休憩室でお茶農家のおっちゃんおばちゃんたちが、昼間からどんちゃん騒ぎをしていたりして(笑) こんな時間からこんなふうな楽しそうなゆるい時間があるんだなぁって。

僕は本業が広告のコピーライターですけど、この業界って、やたらとカタカナ言葉を使って気を張って生きていかないといけない世界なんですよ。もともとつげ義春みたいな世界が好きなのに、それってなんか違う、自分はなんか無理しているなぁなと思いはじめたころ、ひなびた温泉の世界に出会って、なんて幸せな世界なんだろうって思ったんです。そこから段々とひなびた温泉を好きになって、のめりこむようになりました。

湧き出る温泉は、何十万年と続く地質の壮大な物語

――今ハマっている温泉はありますか?

好みはコロコロ変わるんですけど、今は油のにおいのするお湯がいいなと思ってます。油はね、ハマりますよ。

――お湯に油が入っているんですか?

そうそう。ひどいところになるとね、お湯に油膜が浮いてます(笑)

――お湯に油膜が浮いてる! えええー(笑)! 石油かなにかの成分が入っているということですか?

そうなの。ようはね、温泉っていうのは「地質の壮大な物語」なんですよ。例えば、箱根の温泉は50年前のお湯なんです。50年前に雨水が地面にしみこんで、地底に行って、マグマの熱で温められて、温泉として出てきている。一方で、有馬温泉は20万年前の水なんですよ。もう意味が分からないでしょう(笑)

温泉ってそれくらい振り幅のあるものなんです。さっきお話しした油のにおいのする温泉は、かつて油田のあった秋田や新潟に多い温泉ですね。温泉もね、くさやみたいに癖の強い味わいのものがあって、結構ハマるのよ。

――各地の地質が泉質に影響しているんですね。知れば知るほど、面白い…。

そうでしょう。あと余談だけど、北海道は気候が寒すぎて、地表の有機物を分解できないんですね。だから、一風変わった温泉が多いんですよ。分解できなかった有機物の間を水が通ってくるから。アンモニア臭が強い温泉とか。そしてそこに小便小僧がいたりね(笑) これも結構ハマります。


頭に載せているのは「ひな研」のオリジナル温泉タオル

――本当にいろいろな温泉をご存じなんですね…! 普通に観光していたら出会えないような温泉ばかりですが、岩本さんはどのように探し出しているのですか?

ネットもSNSもない時代は、アナログで情報を集めていました。取材に行った先で、地元の人に「ここら辺にいい温泉ないですか」って聞くと、地元の人しか知らない共同浴場とかを教えてもらえるんです。

今は主にネットで情報を集めています。全国各地の温泉マニアの方たちがね、マニアックな温泉を訪ねたブログを書いてるんですよ。そういうものをブックマークして、各都道府県ごとにフォルダをつくって、データを蓄積しているんです。あのデータが消えたら、もう仕事していけない! というほど貴重な情報です。あと、最近は「ひなびた温泉パラダイス」というFacebookグループをつくったので、そこに情報が集まってきています。

ひなびた温泉は、「なすがまま」でその空間を丸ごと楽しむべし!

――『日本百ひな泉』を読んで、現地に行ってみようと思い立つ人もいるかと思います。ひなびた温泉を楽しむポイントは何かありますか?

特別なポイントは何もないです。たぶんね、行けば驚きます。それで自然にハマっていきます。

ひなびた温泉は地元の人のものだから、挨拶をしたり、かけ湯をして湯船にはいるとか、当たり前のマナーを守っていれば大丈夫。あたたかく迎え入れてくれます。お湯の良さとかも、いろいろなところに行ってみればだんだん分かってくるし、徐々にハマっていきますから。

そうしたら、自然とまだ入ったことのない温泉に行ってみたいという欲が際限なく出てくるはずです。まずはこの本を片手に色んな温泉に行ってみてほしいです。

――ちなみに、岩本さんがひなびた温泉を巡るとき、いつも意識していることなどありますか?

いや、特に意識していることはないです。いろいろな取材で聞かれるんだけど、みんな温泉を楽しむための特別なルーティンがあるはずだと思うのかな。

でもね、ひなびた温泉という天然の空間を楽しむには、なすがままが一番なんです。ただその空間に入っていき、身をささげる。Let・it・be。そうすると、いろいろなものが見えてきます。

温泉の成分が濃すぎて、とげとげした析出物が床をコーティングしているとか、このお湯は長湯できるやつだとかね。そういうのって、ルーティンで感じるのではなくて、その場に行って、五感で体感しないと分からない。無心で浸かるからこそ、分かることがあると思っています。

――なるほど。温泉を楽しむために、意識や準備が必要なのかと思っていたのですが、なすがままに感じ取って楽しめばいいのですね。

そうです。旅行もね、そういう楽しみ方でいいと思うんですよ。地元の人と会話してもいいし、会話が無くてもいい。ちょっと立ち寄った居酒屋で、地元の人が話に花を咲かせているのを「面白いなあ」って異邦人として眺めるのもいい。それも旅の楽しみで、それができたらどこに行っても楽しめます。「旅は人との出会いです」とか言ってるのはまだ甘い(笑)! 地元のおばあちゃんが1人で切り盛りしてるような食堂にふらっと立ち寄って、地元の家庭の味を安いな、美味かったなって堪能する。そういう旅の楽しさをもっと伝えたいなぁ。

――しみじみと心に残る旅の楽しみ方ができたら、人生がもっと豊かになりそうです。今日は貴重なお話をありがとうございました!

〈おまけの質問〉

Q.ここだけの話を教えてください

ひな研の第2弾プロジェクトとして、僕がウクレレで作詞作曲した「ひなびた温泉の歌」をつくりました。これの振付を考えて、ひな研のメンバーが躍った動画をつなぎ合わせて、プロモーションビデオみたいなものをつくれたらたのしいだろうなぁと。本のあとは歌とダンスで、ひなびた温泉を民衆から盛り上げてく。そんなことができたらなぁと。

***

話を聞いた人:岩本薫(いわもとかおる)さん

ひなびた温泉研究所ショチョー/コピーライター

1963年東京生まれ。本業のコピーライターのかたわら、webマガジン「ひなびた温泉研究所」を運営。日本全国のひなびた温泉をめぐって取材し、執筆活動をしている。普通の温泉に飽きたらなくなってしまい、マニアックな温泉ばかりを巡っているので、珍湯、奇湯、迷湯など、ユニークな温泉ネタに事欠かない。

ウェブサイト https://hina-ken.com/

Facebookページ「ひなびた温泉パラダイス」https://www.facebook.com/groups/hinaonclub/

取材・文 市岡光子

みらいパブリッシング
2021年5月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

みらいパブリッシング

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