デヴィッド・ボウイ 無(ナシング)を歌った男 田中純著 岩波書店

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デヴィッド・ボウイ 無を歌った男

『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』

著者
田中 純 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
芸術・生活/音楽・舞踊
ISBN
9784000240611
発売日
2021/02/19
価格
5,390円(税込)

書籍情報:openBD

デヴィッド・ボウイ 無(ナシング)を歌った男 田中純著 岩波書店

[レビュアー] 柴崎友香(作家)

 10代でその音楽に出会って以来ファンであり続けた著者が綴(つづ)る、デヴィッド・ボウイの作家論である。初期から最後のアルバムまで、音そのものが与える効果、歌詞の意味、言葉の響きなどを詳細に取り上げていく。英語の歌を日本語話者の著者が読み解くにあたり、意味と発音の両方向から迫ることで、イメージが描くものとカタカナで強調された音の印象が相乗的に浮かび上がる。言語に距離があるからこそ可能なアプローチでもある。読書中、ボウイの歌を聴き返さずにはいられず、その度に解像度が上がって個性的な声と歌唱の魅力を再認識した。

 同時代のミュージシャンらとの関係、ニーチェや三島由紀夫など哲学や文学作品の参照、さらにアートワークや舞台演出における美術や建築との関わりまで丹念に考察していく過程は、これほど重層的に要素が織り込まれているのかと驚嘆すると同時に、変化する時代の中での芸術表現の歴史としても興味深い。

 1960年代のロックの熱狂が終わったあとに活動を始めたボウイは「スター」像を創り出しつつも、分身であるそれを外から眺め、解体する視点が常にある。SFやディストピアの世界像を用い、虚と実、生と死、未来と過去、セクシャリティなど、境界を攪乱(かくらん)し、転換させてきた。重要なフレーズとして本書で語られるのは、「無(ナシング)」。「そこにはなにもない」を「そこには『無』がある」のように肯定的に読みかえ可能な歌詞が繰り返し現れる。

 ビジュアルも強い印象を刻んだ70年代の楽曲について充実しているのは無論、低迷や体調不良を経た2000年代以降の老いや生と死をモチーフにしたアルバムの丹念な論考によって、より一層ボウイの表現への想像が深化する。二段組で500ページを超えるこの本を通じて、50年にわたって様々な事柄から影響を受けつつ、作品を創造し続けた一人のアーティストの凄(すさ)まじくも豊かな深遠を体感できる。

読売新聞
2021年5月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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