【解説:池澤春菜】思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』恒川光太郎著【文庫巻末解説】

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滅びの園

『滅びの園』

著者
恒川 光太郎 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041112410
発売日
2021/05/21
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【解説:池澤春菜】思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』恒川光太郎著【文庫巻末解説】

[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』【文庫巻末解説】

■解説
池澤 春菜 

 白状します。わたし、本書を、寝かせ玄米ならぬ寝かせ小説させました。
 一章目を読んで、これは今すごいものを読み始めたのでは? とドキドキが止まらず、一気に読むのが惜しくなって数日、寝かせました。大好物のお菓子が詰まった箱をちらっと開けては閉めるように何度もゲラの束を覗き、ついに我慢できなくなって一気読み。
 今、感無量です。

 サラリーマンの鈴上誠一が迷い込んだ、不思議な街。まるで絵本のように平和でメルヘンチックなこの街から、誠一はどうしても出ることができません。
 そのままホラーの世界に入るかと思いきや、誠一の元に届いた一通の手紙をきっかけに物語は思わぬ展開へ。
 誠一があれだけ帰ろうとしていた元の世界は、今や〈未知なるもの〉、空を覆う〈未解明気象〉によって、ディストピアと化していました。「白い餅そっくりの不定形の生き物で、柔らかく、手足、目鼻はなく、内臓もないが、ゆっくりと動き、有機物をとりこんで己の栄養にする」プーニー。一見、姿形も名前もかわいいこの生物が人類を滅亡へと追いやっていきます。
 この絶望的な事態を解決できるのは、誠一のみ。誠一の意思一つに、世界の命運がかかっていました。

 物語は、両極を行き来しながら進みます。
〈未知なるもの〉の内と外。
 取り込まれること。取り込むこと。
 現実と夢。
 章によって視点がくるくると翻り、立場も、考え方も、善悪も変わっていく。
 内を守ろうと戦う誠一、外を守ろうと戦う相川聖子や野夏旋、大鹿理剣。それぞれがそれぞれの思いを抱え、物語を推し進めていきます。
 その均衡が崩れ、境を越えて外が内に侵蝕した時、物語は大きく裏返ります。ここからの怒濤の展開、そしてラストの衝撃たるや。それこそ、空の上からぽんと放り出されたような。
 あなたがこの物語を最後まで読んでいたとして、この結末は腑に落ちましたか? めでたしめでたし、ああ良かったと思えました? おそらく、わたしと同じように、割り切れない思いをどこかに抱えているのではないでしょうか。

滅びの園 著者 恒川 光太郎 定価: 792円(本体720円+税...
滅びの園 著者 恒川 光太郎 定価: 792円(本体720円+税…

 物語は、両極を行き来しながら進みます。
〈未知なるもの〉の内と外。
 取り込まれること。取り込むこと。
 現実と夢。
 章によって視点がくるくると翻り、立場も、考え方も、善悪も変わっていく。
 内を守ろうと戦う誠一、外を守ろうと戦う相川聖子や野夏旋、大鹿理剣。それぞれがそれぞれの思いを抱え、物語を推し進めていきます。
 その均衡が崩れ、境を越えて外が内に侵蝕した時、物語は大きく裏返ります。ここからの怒濤の展開、そしてラストの衝撃たるや。それこそ、空の上からぽんと放り出されたような。
 あなたがこの物語を最後まで読んでいたとして、この結末は腑に落ちましたか? めでたしめでたし、ああ良かったと思えました? おそらく、わたしと同じように、割り切れない思いをどこかに抱えているのではないでしょうか。

 トロッコ問題という古典的な命題があります。
 トロッコが故障し、制御不能となった。あなたは線路の分岐点の側にいる。このままトロッコが進めば、線路上にいる五人が死ぬ。だけど、あなたが分岐を操作すれば、死ぬのはもう片方にいる一人だけで済む。五人を救うために一人をひき殺すか。それとも運命に介入することを拒み、そもそも死ぬ運命にある五人をそのままにするか。
 もしくは、あなたはそのトロッコに乗っている。このまま進めば線路上にいる五人をひき殺す。だが進路を変えれば、トロッコは崖から落ち、五人は助かるがあなたは死ぬ。
 五人を救うために一人を犠牲にするのは、表向き、正しいように思えます。でも、もしその一人が大科学者で、人類に恩恵をもたらす素晴らしい発明を数多くなしていたら? 五人が生きている価値もないような悪人だったら? あなたのトロッコに、あなたが愛する人が一緒に乗っていたら?
 この問題をSF的に描いた名作が、アーシュラ・K・ル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」です。誰もが幸せに暮らす街、オメラス。ここに住む人々は美しく、高い知性と理念を持ち、平和と繁栄を謳歌していました。だけど、オメラスの地下には、一人の子供がいます。その子が不幸であること、非人道的な境遇にいる限り、オメラスは繁栄を続けることができます。この街に暮らす人々は、ある一定の年齢になると、この地下牢を訪れ、子供の存在を知り、その上で今まで通りの幸せな生活を送るのか考えることになります。
 一人の不幸の上に成り立つ、大多数の幸福。
 たった11ページの短編ながら、読んだ人の胸に忘れられない印象を残す短編です。
 もしくは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』。16歳の誕生日、両親からプレゼントされた小型宇宙船を改造し、一人で宇宙へ飛び出したコーティー。彼女が道中で拾ったメッセージパイプには、シロベーンと名乗る心優しき生命体が付着していました。はからずも彼女の脳に寄生したシロベーンと大の仲良しになったコーティー。でも、事故によって親から引き離され、宿主との共存方法を学ぶことができなかったシロベーンは、本能を抑える術を知りません。このまま基地に戻れば、やがてシロベーンは繁殖期を迎え、胞子をばらまき、全ての人間が寄生されてしまいます。そして、本能のままに生きるシロベーンの子供たちによって、脳を食い荒らされることに。コーティーとシロベーンがとった「たったひとつの冴えたやりかた」とは。
 あるいは、トム・ゴドウィン『冷たい方程式』。
 八島游舷『Final Anchors』。
 個人的には、この問題には答えを出してはいけないと思っています。幸・不幸はグラデーションで、どこかで線を引くことはできない。大勢のために一人を犠牲にすることも、一人のために大勢が犠牲になることも、きっと、どちらも等しく正しく、等しく間違っている。
 それぞれの心の中にオメラスを置き、考えること。その問題に向き合い続けるしか、道はないと思うのです。
 だからこそ、SFです。
 SFはサイエンス・フィクションであり、またスペキュレイティヴ・フィクション、思弁小説でもあります。様々な設定で現実とは異なる世界を描き、推測を深める、いわば小説で行う実験。今、現実にある問題を、IFで捉え直し、その先を問う。SFだからこそ、SFでなければ描けないことがある。
 本作『滅びの園』は、そんな思弁SFの系譜に連なる、新たな名作になるでしょう。

 作者の恒川光太郎さんのことを少し。
 恒川さんは1973年東京生まれ。2005年、妖怪たちが集まる夜市で、弟と引き換えに野球の才能を買った少年の話『夜市』で第12回日本ホラー小説大賞を受賞してデビュー。
 異世界に飛ばされ、10個の願いを叶える力を得た主人公が望むものを描いた『スタープレイヤー』。謎めいた金色様という存在を軸に世界の興亡を描く江戸を舞台とするファンタジー『金色機械』で、第67回日本推理作家協会賞を受賞。
 少し不思議(これも〝SF〟ですね)で、精緻な白昼夢のような、ファンタジーとホラーの境界にあるユニークな作品を数多く書かれています。
 第9回山田風太郎賞の候補にもなった今作にもその恒川カラーは色濃く満ちています(ちなみにこの回の受賞は、真藤順丈『宝島』。こちらは第160回直木三十五賞も受賞しているので、相手にとって不足なし、と言った感ですね)。

「滅びの園」とは、誠一のいた想念の世界のことだったのか。それとも、聖子たちのいる地球のことだったのか。
 滅びる園なのか。滅ぼす園なのか。
 異なる価値観全てを吞み込み、物語はラストに向けて疾駆します。読んだ人の心に、ざらりとした読後感と、それぞれの「滅びの園」を残して。
 物語に取り残されたわたしたちは、この園を心の内に抱え、自分だったらどうするか、考えながら、生きていきましょう。

■作品紹介

【解説:池澤春菜】思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』恒川光...
【解説:池澤春菜】思弁SFの系譜に連なる、新たな名作――『滅びの園』恒川光…

滅びの園
著者 恒川 光太郎
定価: 792円(本体720円+税)

わたしの絶望は、誰かの希望。
ある日、上空に現れた異次元の存在、<未知なるもの>。
それに呼応して、白く有害な不定形生物<プーニー>が出現、無尽蔵に増殖して地球を呑み込もうとする。
少女、相川聖子は、着実に滅亡へと近づく世界を見つめながら、特異体質を活かして人命救助を続けていた。
だが、最大規模の危機に直面し、人々を救うため、最後の賭けに出ることを決意する。
世界の終わりを巡り、いくつもの思いが交錯する。壮大で美しい幻想群像劇。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322012000508/
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KADOKAWA カドブン
2021年06月02日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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