香港動乱は天安門事件の有意味な反復だったのか? 答えを明確に記した書――『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』書評

レビュー

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八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ

『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』

著者
安田 峰俊 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784040823966
発売日
2021/05/10
価格
1,100円(税込)

書籍情報:openBD

香港動乱は天安門事件の有意味な反復だったのか? 答えを明確に記した書――『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』書評

[レビュアー] 大澤真幸(社会学者)

■『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』書評

■評者:大澤真幸

 本書は、一九八九年六月四日に起きた「天安門事件」に直接的・間接的にかかわった人々へのインタヴューを集めた前著『八九六四』(二〇一八年刊行)に、二〇一九年から二〇二〇年にかけての香港動乱に関するルポを加えて「完全版」としたものである。前著はすでに非常に完成度の高いノンフィクションだったが、本書は、「完全版」という自称にふさわしい充実した内容になっている。というのも、前著が出版された後に起きた香港での大規模なデモを目撃した我々はどうしても、この香港動乱は、前著の副題となっていた問い、つまり「『天安門事件』は再び起きるか」という問いへの答えなのか、と問わざるをえないからだ。香港動乱を、いわば「再び起きた天安門事件」、天安門事件の再来として解釈することができるだろうか。本書は、この疑問への回答になっている。

八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ 著者 安田 峰俊 定価...
八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ 著者 安田 峰俊 定価…

 マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で述べているように、ヘーゲルは、歴史における「反復」を重視した。なぜ反復が重要なのか。理念は、単発の出来事によっては決して現実にならないからだ。理念は、反復を通じてのみ現実になる。たとえば、フランスの二月革命(一八四八年)は、いわゆる「フランス革命」(一七八九~九九年)の反復である。どちらも、それ自体で単独で見れば、失敗した革命だ。共和政を目指していたのに、帝政をもたらしたからである。しかし今日から振り返ると、最終的に、フランスで共和政の理念が現実になるためには、失敗の「反復」が必要だったことがわかる。二月革命があったからこそ、ナポレオン三世の失脚後、フランスは共和国となったのだ。だから、「天安門事件」は再び起きるか、と問うことは、実に意味のあることだ。
 安田峰俊は、前著で――本書の新章以外の部分で――、天安門事件にさまざまなかたちで関係した多くの人々にインテンシヴなインタヴューを行っている。目次に名前があがっている者だけでも二五人もいる。王丹のような有名人もいれば、無名の労働者もいる。天安門事件のとき何をしていたのか。その後どう生きてきたのか。それぞれの複雑な人生が語られる。それらはみな、きわめて個人的な話なのだが、「天安門事件」は反復されるかという問いとも相関した世界史的な問題への答えに繋がっている。
 世界史的な問題とは、次のようなことだ。長い間、社会科学者も政治家も、資本主義と民主主義は車の両輪だと思ってきた。資本主義が成功するのは、民主的な政体の下でのみだ、と。ところが、中国の資本主義の今日の繁栄は、こうした社会科学の常識に反しているように見える。権威主義と資本主義とがセットになって成功することがあるのか。未だ社会科学者たちの意見は分かれている。一党独裁の下では、資本主義はいずれ行き詰まることになると予想する者もいれば、権威主義的な資本主義が成り立つと考え始めている者もいる。天安門事件のようなことが再び起きて、中国が民主化されるのならば、前者が(従来の常識が)正しく、二度と天安門事件のようなことが起きないのであれば、後者が有力になる。中国の人々の深い個人的な実感だけが、つまり本書のインタヴューが明らかにする個人的な真実だけが、どちらが正しいか、決着をつけてくれる。
 では、「天安門事件」は再び起きるのか。前著にも入っていた証言からは、「ノー」と答えざるをえない。天安門事件に参加した当時の大学生の多くは、あれは未熟な過ちだったとして、今ではビジネスで成功していたりする。民主化の運動に今でもかかわっている者は、つまらぬ派閥争いをしているか、空疎なスローガンだけを繰り返す。まれに、本気で天安門事件の反復を望んでいる者もいるが、それは、知識人重視の中国では影響力をもたない下層の労働者である。
 だがよく見ると、特異点のような場所がある。香港だ。香港は、世界の中で唯一、天安門事件を積極的に記憶してきた都市だ。毎年六月四日には集会がもたれてきた。その香港で動乱が起きたのだ。この動乱についての渾身のルポが、このたび加筆された新章である。この新章だけでも読む価値がある。動乱の背景には、「共産党当局vs民主化を望む市民」などという二項対立には還元できない、錯綜した対立があることがわかる。いずれにせよ、この動乱は、香港の自治や民主主義との関連では、失敗だった。
 問題はしかし、失敗だとしても、香港動乱は天安門事件の有意味な反復だったのか、である。二月革命がフランス革命との関係でそうであったような、成功へとつながりうる反復、成功のための失敗だったのか。それとも、香港動乱は、そんなロマンチックな思い入れを許さないただの悲劇、端的な失敗だったのか。本書は、この問いに明確な答えを出している。その答えは読めば明らかなので、このレヴューには書かないが。

■作品紹介

香港動乱は天安門事件の有意味な反復だったのか? 答えを明確に記した書――『...
香港動乱は天安門事件の有意味な反復だったのか? 答えを明確に記した書――『…

八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ
著者 安田 峰俊
定価: 1,100円(本体1,000円+税)

大宅賞、城山賞をダブル受賞した傑作ルポ! 現代中国最大のタブーに迫る。
第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞をダブル受賞した傑作ルポの完全版。
2019年香港デモと八九六四の連関を描く新章を収録!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000508/

KADOKAWA カドブン
2021年06月04日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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