アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む 佐藤通雅編著 NHK出版

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アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む

『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』

著者
佐藤 通雅 [著]
出版社
NHK出版
ジャンル
文学/日本文学詩歌
ISBN
9784140162804
発売日
2021/02/20
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む 佐藤通雅編著 NHK出版

[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)

 宮沢賢治の文学的出発は短歌だった。盛岡中学校在学中に書きはじめた歌稿は900余首も残っており、その歌数は歌集2冊分に相当するという。本書は、従来注目されることが少なかった賢治の短歌を今活躍中の歌人達が鑑賞し、編者による長編論考を付した一冊である。

 たとえばこんな1首、「ちばしれる/ゆみはりの月/わが窓に/まよなかきたりて口をゆがむる」。声に出してみてちょっと怖くなる。中学卒業直後、鼻炎の手術のために入院したさいの作だというが、病室の窓を覗(のぞ)き込む月の表情が不気味すぎる。

 他にも、丘が怒っている歌や、語り手の背後から湖がにらむ歌がある。なま若い不安の表現が短歌の伝統的な約束事を食い破り、定型の陰に隠れようとする感情を引きずり出すのだ。

 あるいは、清書版の歌稿からなぜか外された10首の連作「青びとのながれ」から、「溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり」。ダンテの地獄編かと思わせる、すさまじい場面だ。

 鑑賞者はこの幻想に、「この地に辿(たど)り着いた先住民と土地を奪う民族との戦いや、負けて北上川を流れてゆく多くの死者の口惜しさ、悲しみ」を読みとる。賢治という個人の不安を水源とするこの短歌は、土地の歴史を呼び寄せ、人々の怒りを押し流すことばの大河となって、広大無辺な詩の海に通じている。

 本書の編者は、解読上の謎が多く残る賢治の短歌を、近代短歌の「最後の秘境」と呼ぶ。9人の鑑賞者はその秘境へ分け入り、テクストの内的な動きを追い、伝記と照合し、社会背景を読み込んでいく。表現の拙さや曖昧な箇所が指摘され、童話や詩との響き合いが見出(みいだ)されていく読みの現場はスリリングである。

 編者は、「〈私〉の輪郭不明、不在」が目立つ現代人の心を賢治の短歌が先取りしていたと見て、その独自な様態を「賢治短歌」と名づける。最後にひとつ、昨日生まれたとしか思えない、さわやかな1首――「雲はいまネオ夏型にひかりして桐の花桐の花やまひ癒えたり」。

読売新聞
2021年5月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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