『レッドネック』――自分の日常を検証させる、警鐘的な一冊である

レビュー

3
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レッドネック

『レッドネック』

著者
相場 英雄 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413770
発売日
2021/05/14
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

自分の日常を検証させる、警鐘的な一冊である

[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)

自分の日常を検証させる、警鐘的な一冊である

 読了後には、ネットを開く時にふと躊躇が生まれるかもしれない。相場英雄の新作『レッドネック』は架空の日本を舞台にしたエンターテインメントだが、同じことが今、世界中で現在進行形で秘密裡に行われていると思えるからだ。

 半年前に米系大手代理店・オメガエージェントに転職した矢吹蛍子はたいした実績をあげられずにいたが、突然上司から大型極秘プロジェクトの担当に任命される。だが、クライアント名もプロジェクト内容も教えてもらえない。訳が分からぬままバンクーバーに飛んで謎のデータサイエンティスト、ケビン坂田に60億円もの報酬で契約を取り付け、日本にやってきた彼の秘書として業務にあたるが、不遜な態度のケビンは矢吹を邪魔者扱い。彼は矢吹が滞在先として提案した洒落た町の高級マンションを拒絶、高田馬場の商業地にある古いビルの一室を作業場兼住居に選び、理工系の学生の若者たち数人をスタッフとして雇い、日がなパソコンに向かうように。

 同時進行するのは、一人で幼い娘を育てるヘルパーの工藤美佐江、トラック運転手の高橋昭雄、漫画家のアシスタントの田辺洋樹といった、過酷な状況下で仕事に従事し、経済的に苦しい市民の日常だ。工藤の同僚のミソノが田辺の恋人だったりと、彼らの間には緩い繋がりがあるが、はっきりとした共通点もある。彼らはみな、疾風舎というバンドのファン、通称“舎弟”なのだ。やがて、矢吹はケビンに命じられ、意図も分からぬまま疾風舎と大手中古車情報専門誌とのタイアップ企画を取り付ける。

 極秘プロジェクトと疾風舎、そして経済的困難にあえぐファン層の接点はどこにあるのか。ケビンは矢吹に何も語らないが、ひとつだけある単語を漏らす。プロジェクト名は「レッドネック」だというのだ。それはアメリカでは差別的な意味合いの言葉だ。南北戦争時、北部の白人をヤンキーと呼んだのに対し、強い日差しのもと屋外で働き首が日焼けした南部の白人労働者をレッドネックと呼んだという。現在では無教養で貧困にあえぐ白人労働者層を指す言葉で、アメリカでは放送禁止用語のひとつとなっているが、大統領選挙でトランプを支持した人々の多くもこの層に属していたといわれている。本書では近々都知事選が行われるという情報が随所に盛り込まれているため、読者はケビンたちのプロジェクトが選挙に関することだとすぐ勘付くはずだ。だが、矢吹はなかなか気づかない。正直、レッドネックというヒントを知っても自分で深く調べようともせずケビンにくってかかってばかりの彼女に次第に苛立ってくるのだが、一人の記者が近づいてきたことから、彼女も少しずつ、プロジェクトの内容とケビンの意図を把握していく。全貌を知った時、彼女はどう判断し、行動するのか。

 都知事選の有力候補で現知事の名前が大池ゆかり、米国の現大統領スペンサーが実業家出身の保守派など、実在の人物を彷彿させる人間が多数出てきて時に噴き出させるのだが、それだけ、ここで書かれる出来事が現実に起こりうる、もしくは起きている、といえるだろう。

 ネットとデータを駆使すれば、人々の心情や行動を操ることができる。それはすでに知られたことだ。では具体的にどのようなことが行われ、どのように人々の行動が変容していくのか。その手段が具体的に描かれていく過程がスリリング。SNSはもちろん単なるネット検索に至るまで、ケビンのように徹底的に自分の痕跡を残さずに生活できる人はまずいない。多少の行動や趣味嗜好がビッグデータに吸い取られることはもう仕方ないと思っている人も多いだろう。だが、それによって自分の思考が操られていると自覚している人間はほとんどいないのではないか。作為的に表示される広告を受け入れ、応援している著名人の言葉を検証せずに100%鵜呑みにし、自分の発信が拡散されることに快感をおぼえる。そんな人間はケビンみたいな熟達者の手にかかったらイチコロだ。その対象は決して、“無教養な貧困層”に限ったことではないのである。自分は大丈夫だと思っている人間ほど危険だ、ということをこの作品は知らしめる。逃れられない網のなかで、どう生きるか。一気に読ませながらも、本を閉じた瞬間から自分の日常を検証させる、警鐘的な一冊である。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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