21歳の娘を天に送った母のグリーフワークの記録

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21歳の娘を天に送った母のグリーフワークの記録

[レビュアー] 坂本直子(ライター)

 著者の中村佐知(なかむら・さち)さんは、アメリカ在住のキリスト教書翻訳者。次女の美穂さんは、スキルス胃がんを宣告されてからわずか11か月で天に召された。中村さん自身のブログやノートに綴った文章をまとめた『隣に座って スキルス胃がんと闘った娘との11か月』(いのちのことば社)の続編。今回は、美穂さんが亡くなってからの5年余りの心の軌跡を追い、その旅路に伴う神との関係に焦点を当てた手記となっている。

「いのちは主(神)のもの」と確信しながらも、実際に愛する我が子を失った中村さんの悲しみは、想像していたよりもはるかに深いものだった。「信仰も、神への信頼も、祈りも、我が子を失った悲しみをなかったことにはしてくれない。神のもとへ行ったのだから、もう痛みや苦しみのないところに行ったのだから、よかったね、などと簡単に言えるものではない。そんなことは百も承知で、それでも感じるこの心の痛みはどうしようもない」

 特に1年目は、慰めの言葉を拒んだり、2時間に1回ほど大声で叫びたくなるような衝動にかられたり、実際、運転中に美穂さんの名前を泣きながら呼んだりするなど、生々しい感情が包み隠さず綴られていく。

 印象的なのは、リビングの片隅に美穂さんを偲ぶためのテーブルを作り、そこに生前の思い出の品々を飾ったこと。中村さんは、キリスト教には、愛する人を失った人たちが、喪(も)やグリービング(悲嘆)の期間を過ごすためのシステムが少ないのではないかと述べ、仏教式の葬儀と比較する。確かに、故人は天国でイエス・キリストと共にいるのだから、悲しむことは信仰的でないという雰囲気がキリスト教にはある。しかし、神は悲しむことを禁じているわけではない。大切なのは、悲しんでいる自分に寄り添ってくださる神の存在を知ることだ。

 グリーフワークの中で中村さんは、さまざまな自問自答をする。その中で、疑問を持つことは間違いではないが、その答えが必ずしも真理に導くとは限らないと話す。そして、神の答えはたいてい、人間の問いの答えを超えたところにあるという。

 常に神と対話しながらも、美穂さんに会えない悲しみや不安が言葉となって示されるグリーフワークの1年目、特に前半は、中村さんにとって胸が張り裂けんばかりの辛い時期だったと思う。そんな中で、大きな支えとなったのは、美穂さんが友人たちに対して示した、コンパッションだったのではないだろうか。

 コンパッションとは、(特に苦しんでいる人に対する)あわれみ、同情、思いやりのことで、上から目線の「かわいそうに」ではなく、共に苦しむような強い共感を示すもの。神に愛されていることを信じて疑わなかった美穂さんに備わっていた類い稀な才能だ。それによってどのくらいの人が助けられたことだろう。それは、中村さんにとって大きな慰めであり、暗い闇に灯された希望だった。中村さんは、イエス・キリストに「自分もコンパッションのある者にしてほしい」と願う。まるで、神からの新たな招きに応じるかのように。

 同書のタイトル『まだ暗いうちに』には、2019年に急逝(せい)した37歳のアメリカ人著述家の葬儀で、牧師が語った説教(ヨハネによる福音書20章1節)から引用されたものだ。「あとがき」で中村さんは、その説教を思い起こしながら、暗闇に中にいるとき、そこで働いておられる神に自分を開いてくださる視力(ナイトヴィジョン)がほしいと語る。それは、今まさに暗闇の中にいる人たちへのコンパッションから生まれた言葉のように感じるのだ。(ライター 坂本直子)

キリスト新聞
2021年4月1日「日刊キリスト新聞クリスチャンプレス」 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

キリスト新聞社

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