牧師から「患者」となった著者が閉鎖病棟で見た光景

レビュー

7
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牧師、閉鎖病棟に入る。

『牧師、閉鎖病棟に入る。』

著者
沼田 和也 [著]
出版社
実業之日本社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784408339825
発売日
2021/05/31
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

牧師から「患者」となった著者が閉鎖病棟で見た光景

[レビュアー] キリスト新聞社

 いま、自分が「普通」で「当たり前」だと思っていることは、果たして本当に普通で、当たり前のことだろうか。「ありのままで生きる」とはどういうことだろう。

『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)は、読み手にそんな疑問を抱かせるエッセイである。著者は日本基督教団王子北教会の牧師・沼田和也さん。沼田さんは2015年に前任地でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院することになった。閉鎖病棟には、同室の16歳の少年・マレをはじめ、「ぬし」と呼ばれる彫り物のおじさん、50年以上入院しているタケノさん(いずれも仮名)など、年齢も境遇もさまざまな面々が入院中。日々患者と向き合い、奮闘する医師や看護師もいる。本書には、沼田さんが入院した3か月間の記録が、淡々とつづられている。

 あるとき、隣室の17歳の少年・キヨシが沼田さんにこんな問いかけをする。「なんでリストカットしたらいけないの?」

 自分を傷つけ、血のあたたかさを感じるとホッとするというキヨシは、『自分の体を大切にしなさい』と言う人はいても、なんでそれがいけないのかはだれも教えてくれない。煙草を吸うのと何が違うのかわからないと言うのだ。

 また、チャンネル争いの果てに妹を金づちで殴ってしまったというマレも、ぽつりと言う。「なんで人を殺したらいけないんでしょうね? ぼくには、いくら説明をされても分からないんです」

 沼田さんは、彼らの問いかけに何も答えることができなかったという。これまで牧師として神を信じ、「愛」を説いてきたにもかかわらず、「聖書にはこう書いてある」という言葉は、この場所においては無効だと認めざるを得なかったのだ。しかし、彼らが納得できる答えを持っている大人は、いったいどれだけいるのだろうか。

「少なくともわたしの小さな正義では、目の前のこの少年について、ひと言も語り得ないことだけは分かった」(第二章 少年たちより)

 6月5日、オンライン上で開催された公開インタビューで「好奇心をそそるような『暴露本』にはしたくなかったし、教会でひどい目にあった哀れな自分、という書き方もしたくなかった」と語ったように、沼田さんの彼らへのまなざしは単なる好奇ではない。この本で描かれているのは、わずかな期間ではありながら、閉鎖病棟での出会いや、エッセイを書くきっかけにもなった認知行動療法ノートを通して、自分自身と極限まで向き合い、徐々に変化していく沼田さん自身の姿だ。

 イベントに参加した同書の担当編集者・白戸翔さん(実業之日本社)は、印象に残っている箇所として、拘束された青年が強制的に眠らされている姿に十字架で磔(はりつけ)にされたイエス・キリストを重ねる場面を挙げ、「いまの社会的な背景を表している」と語った。

「彼がここに拘束されているから、世のなかは『まともな』人たちだけで独占していられるのだ。世のなかの『まともさ』を、彼が贖(あがな)っているのだ」(第三章 十字架より)

 退院後、沼田さんは主治医の言葉に背中を押されて復職し、いまも悩みながら、小さな教会で牧師を続けている。

「前任地で決定的に“やらかした”上で入院したので、新しい人生に希望は持てなかったし、また自分がトラブルを起こすかもしれないと怖かった。いまも自分自身が牧師には向いていないんじゃないかと思うことはありますが、(向き・不向きよりも)どんな人に『出会えるか』が重要じゃないかと思うんです。ただ、これまでの経験から『もう大丈夫だろう』と思っているとトラブルが起こるから、ここで気を緩めたらダメだと思っています」

 本書は決してハッピーエンドではなく、さまざまな疑問や迷いに対する明快な答えが示されているわけでもない。沼田さん自身の模索は、いまも現在進行形だ。ただ、「自分は普通じゃないかも」という生きづらさを抱える人、生きている意味がわからないと苦しむ人、「先生」と呼ばれる立場に置かれ重圧を感じている人、ひと昔前の「男性性」に縛られ苦しんでいる人たちにとって、なんらかのヒントになればと願う。(ライター 河西みのり)

キリスト新聞
2021年6月10日「日刊キリスト新聞クリスチャンプレス」 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

キリスト新聞社

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