戦国×本格×社会派が三位一体となった傑作ミステリ――『黒牢城』米澤穂信 著 書評

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黒牢城

『黒牢城』

著者
米澤 穂信 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041113936
発売日
2021/06/02
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

戦国×本格×社会派が三位一体となった傑作ミステリ――『黒牢城』米澤穂信 著 書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

■米澤穂信デビュー20周年の到達点――超弩級作『黒牢城』の深淵を覗きこむ!

■評者:末國善己/文芸評論家

 米澤穂信の『折れた竜骨』は、第64回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門を受賞するなど高く評価された。この作品は12世紀末のヨーロッパが舞台だが、魔法が実在しているので特殊設定ミステリに近かった。これに対し、織田信長に謀叛を起こした荒木村重が有岡城に籠城した史実を背景にした本書は、スーパーナチュラルの要素を排した正統的な時代ミステリになっている。
 まず驚かされるのは、初めて戦国時代を描いたとは思えない完成度の高さである。現代人は、戦国大名は独裁者と考えがちだが、実際は小さな国を持つ国衆の代表に過ぎなかった。国衆は起請文(誓約書)を交わし、人質を出して戦国大名と盟約を結び、領国の自治権を認めてもらう代わりに戦時には兵を出す約束をした。国衆は誓約を破ったり、より良い条件を出す戦国大名が現れたりすれば離反するので、国衆への気配りは欠かせなかったのである。
 作中では国衆が村重の謀叛を支持しているが、これは村重の軍略を聞き勝利できると確信したからにほかならない。ただ国衆は不利になれば寝返る危険があるので、村重は毎日のように軍議を開いて状況を報告しながら、裏切りの早期発見に努めている。宮仕えをしている読者なら、中間管理職的な苦労が多く、上に立つがゆえに相談相手が少なく、妻・千代保との会話に安らぎを感じる等身大の村重に共感するかもしれないが、これが最新の研究で見えてきた戦国大名のリアルなのである。
 また剣術が武士の嗜みになるのは、太平の世になった江戸時代以降のことで、戦国時代は確実に敵の鎧が貫ける鑓、弓、鉄砲が主要な武器だった。鑓も足軽が使う三間鑓(三間は約5.45メートル)と武将が馬上などで使う鑓は別物で、長く扱いが難しい三間鑓は、隊列を組んで上から叩きつけて敵陣を崩したり、鑓衾を作って敵の侵入を阻止する集団戦闘に使われていた。弓は鉄砲に取って代わられた印象も強いが、連射が簡単なので重宝されたようである。

黒牢城 著者 米澤 穂信 定価: 1,760円(本体1,600円+税)
黒牢城 著者 米澤 穂信 定価: 1,760円(本体1,600円+税)

 本書は、知っているようで知らない戦国時代の武器や防具、合戦の作法、首実検や論功行賞の実態、前線で戦う武士の心理などを丁寧に掘り下げながら、村重の配下が有岡城に潜入した織田の手の者と戦ったり、村重が敵陣を少人数で夜襲する作戦を指揮したりする迫真の活劇が何度も描かれる。著者は学園ミステリや日常の謎を得意としているのでアクションは珍しいが、本書ではこの分野でも確かな実力がうかがえ、新たな魅力も発見できるはずだ。
 そのため本書は歴史小説ファンが読んでも満足できるが、著者は、織田軍の包囲で出入りが難しくなった有岡城をクローズド・サークルにし、村重を説得するため有岡城に入った小寺官兵衛(後の黒田孝高。黒田官兵衛の通称、黒田如水の法号が有名)が捕らえられ土牢に入れられた史実をベースに、村重から奇怪な事件の話を聞いただけで真相を看破する官兵衛を安楽椅子探偵にするなど、緻密な時代考証を、不可能犯罪を成立させてその謎を論理的に解明するためにも使っており、歴史小説とミステリの融合も鮮やかである。
 第一章「雪夜灯籠」は、密室殺人が描かれる。
 高槻城の高山右近、茨木城の中川瀬兵衛が相次いで織田に寝返り、安部二右衛門が大和田城を開城した。二右衛門の一子・自念を人質にしていた村重だが、処刑せず牢に繋ぐことにした。ところが、牢が完成するまで納戸に閉じ込めていた自念が、矢傷を負った死体で発見される。納戸は厳重に監視され、雪が積もった庭に足跡はなく、凶器の矢が消えるなど現場周辺は密室状態になっていたのだ。村重が、庭の春日灯籠の笠に雪が積もっていたことから、犯人が灯籠に飛び移って侵入した可能性を排除するところは、岡本綺堂『半七捕物帳』の一編「石灯籠」へのオマージュだろう。
 村重が、後世に名を残す名誉の死を願う武士が多かった時代に、不可解な死の真相を調べる展開は、普遍的な生の価値、死の意味の追究に繋がっており、これは本書を貫くテーマにもなっている。
 第二章「花影手柄」は、変則的な犯人当てである。
 村重は、右近の父で息子の寝返りを批判する高山大慮が束ねる高槻衆と鉄砲名人ばかりの雑賀衆を率い、織田の陣を夜襲した。作戦は成功し兜首四つをあげるが、そのうちの一つが敵将の大津伝十郎のものと判明する。伝十郎は実在の武将で、村重の謀叛では右近の内応に成功し、高槻城で病死したとされる。不名誉な死に方をした武士は病死とされることもあるので、著者は史実の隙間にフィクションを織り込んだといえる。村重は、高槻衆の兜首二つと、雑賀衆の兜首二つのうち、どれが伝十郎かを推理していく。高槻衆は少数派の南蛮宗(キリスト教)、雑賀衆は多数派の一向宗(浄土真宗)であり、宗教対立が起きないよう村重が慎重に調査するところは、現代とも共通する多文化共生のあり方を問い掛けており示唆に富む。
 第三章「遠雷念仏」では、明智光秀を介した和平交渉を進める村重が、廻国の僧・無辺に密書と茶壺の名器〈寅申〉を託すも、無辺が殺され〈寅申〉が奪われてしまう。秘密が漏れないよう動いていた村重は、無辺が密書と〈寅申〉の両方を持っていると家臣に悟られないようにしており、これを突破口に犯人を絞り込んでいく。
 村重が謀叛を起こした理由には諸説あるため、これまでも遠藤周作『反逆』、火坂雅志の短編「うずくまる」、安部龍太郎『天下布武』などが、この謎に挑んできた。敗色が濃厚になるなか村重が狙撃犯を捜す第四章「落日孤影」は、土牢に幽閉された官兵衛が謎解きに協力した意外な理由が明かされるだけでなく、周到に配置された伏線を回収しながら、独自の解釈で村重が信長に叛いた動機も浮き彫りになるので、歴史ミステリとしても秀逸である。
 敵を殺し領土を拡張した武将が生き残り、命令に従って武功をあげれば名も無き足軽も出世ができた戦国時代は、弱肉強食のルールで動いていた。戦乱が日常で不可能犯罪が続く本書は殺伐とした世界が描かれているが、村重が信長に叛いた理由が判明するラストにはささやかな救いも用意されている。過度な競争社会になり、高収入や出世のためであれば、平然と他人を蹴落しても、組織の命令であれば多少の不正に手を染めても構わないという風潮が広がる現代は、戦国時代に似てはいないだろうか。千代保の言葉や名もなき家臣、領民の声なき声に耳を傾けた村重が最後に下した決断は、弱者を切り捨てる社会であっていいのか、個人の倫理を押し殺し組織に従属するのが果たして正しいことなのかを突き付けてくるだけに、本書のメッセージは真摯に受け止める必要がある。

KADOKAWA カドブン
2021年06月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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