「忖度と責任回避に満ちた社会をルポで突破する」安田峰俊×三浦英之 対談 後編

対談・鼎談

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「忖度と責任回避に満ちた社会をルポで突破する」安田峰俊×三浦英之 対談 後編

[文] カドブン

■『「低度」外国人材』刊行――安田峰俊×三浦英之 対談

安田峰俊さんと三浦英之さんによる、『「低度」外国人材』刊行記念対談。前編では紙媒体とネットの違いから、現場取材が持つ意義について展開していきましたが、話は前編時の「匂い」以上に、お互いの具体的な取材方法から取材時の裏話まで、深く入り込み……。取材って何をしているのか? 何が文献調査とは違うのか? 『八九六四』を書いた安田さんは今後、中国取材はできるのか? 濃厚なメディア論ともなった後編です!
(編集部)

■報じないことで隠される「死」

安田:『五色の虹』を読ませていただいたことで、三浦さんは、満州建国大学の実情に強く興味を持っている方だ、という印象が最初にありました。私もアフリカで一週間ほど取材したことがあったので、『牙』にも興味がありました。そこで『白い土地』を読み、激しく面白いと思ったのは、三浦さんが組織人でありながらものすごく自由に取材されている、ということでした。その辺りは大丈夫なのですか(笑)。

三浦:実はそこまで自由ではないのですが……(笑)。僕も最初は古典的な事件記者で、夜討ち朝駆けの毎日でした。朝5時半に起きて、夜は1時半まで警察官の自宅を回る。警察官は現場の捜査員ほど早く、つまり朝6時頃に出勤し、7時に中堅が、8時に幹部が出勤します。帰りは逆。夜9時に幹部が、10時半に中堅が、午前1時半に現場の捜査員たちが帰宅します。家の前で彼らを捕まえ、捜査情報を入手するという古典的な取材方法です。

その後、東京地検特捜部を担当したのを機に、いかに権力が事件を作っていくのかという事実に直面しました。そこで、本当に嫌になってしまったのです。彼らが検察官として出世していくために、ある意味、事件が作られていく。政治家がからむ汚職事件は山ほど存在し、そのうちのどれを事件化していくかというのは東京地検特捜部が「政治的」に判断します。自民党なのか民主党なのかも含め、司法当局のさじ加減が大きく作用することに、僕は本当に嫌気がさしてしまったんです。

安田:なるほど。小なるは「群馬の兄貴」から、大は大物政治家まで。

三浦:まさに。そんなときに、僕の第二の原点となったのが、東日本大震災でした。足元に僕と同じくらいの大人や自分の娘ぐらいの子どもの遺体が散乱している。それなのに日本のメディアはその現実を伝えられない。現場にはカメラを持った人や新聞記者が大勢いるのに、誰もそれを伝えられない。否が応でも「ジャーナリズムとは何か」ということを考えさせられました。

安田:海外メディアはそのような映像も撮っています。

三浦:その通りです。海外メディアはそのような光景も映しますが、僕らはそれらを載せられない。でも本当にそれでいいのか。例えば、東日本大震災では海沿いに建てられていた多くの小学校や病院が被害に遭った。でも本当はこういう場所に学校や病院は建てちゃいけないんです。昭和三陸津波の経験を伝え続けてこなかったから、行政がそこに小学校や病院を造っちゃったんです。幾多もの死を報じないことによって、心に傷は残さないで済むかもしれない。でも伝えなきゃいけないものもある。原発事故も同じで、あの事故は東日本に住む5000万人が避難しなきゃいけなくなる可能性もあったのに、テレビも新聞もそれをリアルに伝えない。そうなると、同じようなことが繰り返されてしまう危険性があります。ならば、僕は権力からなるべく遠いところにいて、その実情を、現場の本当の姿を、自分の目で見たり耳で聞いたりしたことを伝えたいと思った。新聞記者としてそれが推奨されるかというと、あまり……(笑)。

安田:されない(笑)。

三浦:安田さんやフリーライターの方は命がけで取材しています。僕ら新聞社の記者は生活も保障され、ある意味で守られている存在です。命がけのフリーの人が飯も食えない中で書いているのを見るとき、今のメディアがいかに既得権益の中で胡座をかいているのかがわかります。

それならば、自分もフリーランスになるという選択肢もありますが、組織の中にいることでできることもあると今は信じています。新聞配達をしたり、安倍(前総理)の記者会見に突っ込んだりする。いつも批判や抵抗があり、取材相手と社内への両面作戦が必要ですが、今、組織内で何かしようとしている人は、皆そうしていると思います。

安田:そうですよね。メディアの問題について、ものすごく皮肉なことを言います。いま指摘されていたような、震災で本当に悲惨な現場が流されなかった問題を考えていくと……。仮に原子爆弾が1945年8月ではなく現代の日本に投下されたとすれば、熱線を浴びて皮膚がめくれたり重い火傷をしたりした人の存在はほとんど報じられず、正確な被害実態がわからなくなってしまうのではないでしょうか。たとえピカドンで街がひとつ消し飛んでも、3年くらい経てば「花が咲く」のメロディとともに、なんとなく明るい復興ムードの話だけが表にあふれていく。原爆症も戦災孤児の存在も、誰も気にしなくなってしまう。

三浦:残念ながら、おそらくその通りだと思います。

■記者に増える「新二病」とは?

安田:もう一つ伺いたいことがあります。近頃の私の体験に基づくのですが、新聞社に入って3年目ぐらいの人から「自分はこのままでいいのだろうか」「ジャーナリズムとは」みたいな相談を受けることが複数回ありました。39年間の人生で会社員経験がたった5カ月しかない私に、就職活動の勝利者である大新聞の若手社員たちがそんな相談をするって、世の中はどうなっているんだと内心思うのですが(笑)。これ、自分の感覚では「中二病」の一種の変種みたいな感じも受けていて、新聞社の2年目社員が罹患する「新二病」という造語を作りたくなっています。

三浦:ははは……(笑)。「中二病」もネットスラングですね。

安田:「中二病」はゼロ年代に流行したネットスラングで、中学2年生くらいの年齢のオタクが青年誌向けのファンタジー漫画などに影響されて「実はオレには秘められた闇の力がある」といった痛々しい言動をとってしまいがちなことを指す言葉です。派生表現として、「今のヒットチャートは商業主義的で腐っている」などと高校2年生っぽい屈折した言動を繰り返す「高二病」、「昨日も徹夜で飲んでいたから寝てねえわ」などと大学2年生っぽい無頼自慢を行う「大二病」などもあります。

さておき、これらのように「新二病」もあるような気がするんです。「私のやっていることに意味はあるのか」「現代日本の新聞に存在する意味はあるのか」と、ある意味でステレオタイプな悩みを抱いたり、新聞社と違って自由度が高いウェブニュースメディアの編集部やフリーランスのライターがやたらにカッコ良く見え始めたり……。もっと自信を持てばいいのにと思うのですが、今の若い記者の方は、とても悩んでいる印象があります。

三浦:大きい新聞社の社員の平均年齢は40歳を超えていて、46歳の僕でも部署によってはまだ「若いほう」です。大きな溝が50歳ぐらいにあって、これより上の世代の人はSNSに触れていないし、ぶっちゃけ「逃げ切れる」世代なので、今後の新聞社のあり方についてもあまり真剣に考えていない人が多いような気がします。僕の下の30代ぐらいからはTwitterもFacebookも取材で頻繁に使うようになっており、例えば、上司から「将来どんな記者になりたい?」と聞かれた若手が、真顔で「自分は三浦さんみたいになりたいんです」と答えて火傷したりする。そもそも会社内でも、僕はある一定の年代の先輩たちには無名の存在です。この前、僕の書いた記事のゲラを読んだ先輩に、「お前、文章上手いから、本を書いてみたらどうだ」と真顔で言われました(笑)。

安田:それは「頑張ります」と言うしかないですね(笑)。

三浦:周りにいた人たちも、ちょっと笑っているわけです。つまり、新聞だけ読んでいる人やテレビだけ見ている人は、僕が何をしている人間かわかっていません。新聞社の中にそういう人たちが一定数いると、SNS利用が当たり前な若い人たちは「ここにいていいのか?」と考えてしまうと思う。SNSで瞬時に外国から情報を得られる世代と、そうでない上の世代が混在しているのが、今の新聞社です。

安田:確かに年配の方で、その辺のリテラシーがないため、Twitterの「クソリプ」やYahoo!ニュースのコメントのような、いい加減な「ご意見」を本気で受け取ってしまう方は結構いますね。ネット右翼的な政治カルトが垂れ流している陰謀論や、ルサンチマンに溢れた暇人が書き込んでいる呪詛みたいなものを、これが世論の動向でございと受け止めてしまう。

三浦:昔、新聞社では1通の投書の背後には1000人の声がある、それくらい投書は大きな声だから、もらったらきちんと反省するなり喜ぶなりしろ、と教育されました。でも今は、原発について批判的な記事を書くとすぐに「反日」にされてしまい、ものすごい数の「クソリプ」がネット上に溢れます。そのような意見ですらないものをまともに受けとめてはダメなのに、それを「リスクだ」と受け取ってしまう管理職が新聞社内にも少なからずいます。結果、「リスクコントロール」という名の下に現場から排除されてしまう記者もいて、若い人の中にはそんな現実を見て絶望し、安田さんの言う「新二病」になる人がいるのかもしれません。

安田:「新二病」患者が負けずに新聞社に残ってくれればいいんですが、不満を持ってウェブメディアなどに転職してしまうわけです。仮にもジャーナリズムをやりたい考えがあるなら、まともな取材能力が育っていない状態で新天地に飛び出してもいいことはないと思うんですけどね。悩むのはむしろ優秀な人で、悩みながらその中で鍛えられ、花を咲かせて行った人が、少なくとも少し前までは実際いたと思います。今は中途半端な状態で飛び出てしまい、記者の仕事の継承が途絶えることもあるのかな、とまったく外からですが感じてしまっていまして……。

■組織ジャーナリズムに向くテーマと個人に向くテーマがある

三浦:組織ジャーナリズムに向くテーマ、というのがあります。政治とは元来、とても多面的で複合的なものです。1つの事案にも複数の人が関係しているので、その多面性を描くには10~20人の記者が同時に取材してまとめる、つまり組織ジャーナリズムに非常に適したテーマだと思います。一方で、例えば「尊厳死」や今回の福島の問題など、そうではないテーマがあります。個人が斬り込むことで問題のコアな部分が見えることがある。

今後、メディアはどんどんbyline(署名記事)の時代になっていくと思います。つまり誰が書いたのか、が重要になるということです。朝日新聞を信頼するのではなく、三浦英之が書いた記事を読む、文春オンラインの記事でも安田峰俊が書くものなら読む、というように、ライターに信頼性なり価値なり、読む動機付けがついてくる時代。より個人としての実力が判断されるようになる。そのときに必要なのは、取材力と文章力です。今までの新聞社は、取材したものをデスクが手直ししてある程度のクオリティに仕上げていました。それが多メディア化していく中で、ネタだけ取ってくる人の存在感が薄らいできた。

安田:書けない記者というのは、辛くなる一方でしょうね。そもそも、語義矛盾ですが。

三浦:自分の言語能力や表現力を駆使して、情報を商品として提示できる人が求められるようになってきた。さらに、少し本質からはそれるのですが、自らがSNSを使いこなし、それを拡散していける能力も求められるようになってきた。そうなると、今までの新聞社固有のシステムが魅力的に映らなくなり、フリーランスのほうがいい、ネットメディアは露出が高いからいい、と思われるかもしれません。でも実は、僕は必ずしもそれが正しいとは思っていません。

ライターという職業は、プロ野球選手やサッカー選手よりもピークがずっと後ろにあり、たぶん40代が一番仕事を残せる時期だと思います。経験が蓄積され、感性も鋭く、行動力もまだ十分にある時期だからです。作家と違って、ライターには行動力が求められる。その行動力が50~60代になるとどうしても落ちてきてしまう。その点、20~30代で組織を飛び出ると、ピークを40代に持っていけるかという心配が若干あります。これまでのノンフィクション作品で優れたものは、作家が40代の頃に書かれた作品が多く、ノンフィクションを志すのであれば「40代に何を書いたか」が一つの判断基準にもなってきます。だから安田さんはこれからいいものが残せそうで羨ましいですが、自分も46歳ですので、さらに負荷をかけて、できるだけいい作品を残していきたいと考えているところです。

■取材の大前提は人間臭さ

安田:そうですね。それから取材のしやすさも年齢にはありますね。40代頃になると、年配者に取材しても舐められにくくなるのではないでしょうか。自分の子と同年代だから共有できるよ、と言われたりもする。

三浦:それはありますね。『白い土地』では、浪江町の当時町長だった馬場有さんが亡くなる直前に遺言を伝える相手として僕を指名したことを書きましたが、僕がもし彼と同じ歳だったら僕を選ばなかったと思います。

安田:プライドも働いてきますから。

三浦:だから取材対象よりも年齢が下で、しかも「可愛がってやろう」「面倒見てやろう」と思ってもらえることが一つの大事なファクターになってきます。そういう意味でも、現場で情報をつかみ、それを物語として作品化していくルポライターにとって、やはり40代が一番動ける年代だと思います。

安田:取材相手に可愛がられることはすごく大事だと、私も思います。語弊があるかもしれませんが、ある程度ダメ人間のほうが可愛がってもらえますね(笑)。私の主観だけで言いますが、才気煥発としている自分を意識しすぎているタイプや、取材直後に「本日は貴重なお話をありがとうございました」みたいなメールが来るような人は意外に……。

つまり、そういう「意識の高い」「デキる」相手に自分の本心を赤裸々に明かしたいかというと、私だったらあまり明かしたくない。これは編集者も同じでして、原稿を送った直後に読んでもいないのに「玉稿をありがとうございました」などと返信してくる方なんかには、「本当に心から“玉稿”だと思っているなら、一字も修正を入れるんじゃないぞ?」と私などは思ってしまいます(笑)。あまりきっちりしすぎていると可愛げがないし、かえって信用されないわけです。特に取材をするときは、間が抜けているくらいの雰囲気の方がいいのかな、とは感じます。

三浦:僕はかつて事件取材では録音機を使えなかった。今は夜回りでも録音機を回す記者がいると聞きますが、インタビューは別として、警察官の自宅に上がって「明日◎◎を逮捕すると聞きましたが、容疑は何ですか」といった大事な内容を聞き、相手が「ああ、知らねえな」とか「容疑は死体損壊だよ」などと答えてくれるとき、どこかに後ろめたさがあって録音機なんて回せなかったし、メモも取れない。頭の中にある1分半ほどのショートメモリーに聞いた情報をすべて押し込むので、聞いた直後はすぐに警察官の自宅のトイレに駆け込んだものです。そこで小さな手帳に「死体損壊」とだけ書いて戻る。また次を話してもらい、ショートメモリーに押し込む。それを3~4回繰り返すと、相手のほうが「もういいよ、ここでメモしろよ」と言ってくれる(笑)。「捜査書類も持ってくるわ」と言って渡してくれたりしたこともありました。

おっしゃるように、人に好かれることや人間臭さが取材の基本なんですね。今回、安田さんがベトナム人の不法滞在者のアジトにライギョを手土産にして取材に行く場面なんか、一周回って「嫌な奴だな」と思いましたよ。だってライギョを持って取材に来たら、相手は断れないでしょう(笑)。

安田:ハハハハ(笑)。タバコと冷凍アヒルまるごと1羽も持っていきましたよ。

三浦:そこらのコンビニのショートケーキくらいにしとけよ、と(笑)。ライギョは本当に良いなあ。そういう寝技ができる人は今は本当に少ないんです。

■怒りを表に出すことも大事

三浦:被害に遭った技能実習生のベトナム人女性と安田さんが、ハノイにある会社に一緒に突撃するシーンがあります。そこの会議室での緊迫したシーンがあると思えば、老華僑と新華僑の説明(野球の王貞治さんや政治家の蓮舫さんは「老華僑」、横浜・神戸の中華街はもともと老華僑の街など)もきちんと入っていて、時間的な縦軸が出てくる。そういうところもいい。

安田:先ほど、目的まで直線的にしか進まないと大事な情報が拾えない、と話しました。そこに関わりますが、本当に腹が立ったことは「腹が立った」と書くことも大事だなあ、とすごく思います。三浦さんの『牙』もそうですし、『白い土地』の最後に書かれた、復興五輪のスタート地点の話もそうです。なんでこんな所を聖火ランナーに走らせるんですか、と。私は、取材時にも「これ、仕事抜きで腹立つんですけど」などと口にするときがあります。そういうことを書き込んでいくことも、大事ですよね。

三浦:僕のガソリンも何なのかと言ったら、やっぱり怒りです。

安田:あとは、自分がこれをして「楽しすぎる」ということもありますね。

三浦:(笑)。やっぱり怒りと、人間への愛おしさのようなものですかね。心から「いいなあ」と思えることが取材をしていると必ずある。それが自分を前に動かしている原動力かもしれません。

■「三輪」社会、日本のこれから

三浦:先ほども、大きくて闇の深いテーマに安田さんは向き合っていると言いましたが、外国人労働者問題を取材して、安田さんはこれからの日本はどうなると思いましたか? どんどん貧しくなり、韓国や中国との差がなくなる、あるいは抜かれていく中で、東南アジアや南アジアの人たちが入ってこなくなったら、日本はどうなるのか。本当に日本の将来を左右する問題だと思いますが、前線で取材したルポライターはどういう未来を思い描いたのか、端的に知りたいんです。

安田:そこは、まさに私も三浦さんに伺いたかったことなんです。というのは、ヨイショでも何でもなく、『白い土地』を読んで思ったことが、それだったからです。はっきり言いますと、悲しいことに『「低度」外国人材』から見える未来は、ロクな未来ではありません。

少し話が飛びますが、台湾のIT大臣のオードリー・タンや台湾で学生運動をしている人たちを見ていると、とても新鮮に感じるのは、「世の中は絶対良くなる」という、何かよくわからない確信です。根拠はないけれど「絶対」に良くなる、だって俺たちはみんな個々の意見は違っても世の中を良くしていきたいと思ってるわけだし、みんなが頑張れば良くなっていくに違いない、といったプラスのパワーを感じます。

香港デモについても、特に初期(2019年6月)の時点ではそういうムードを感じさせました。自分たちがしっかり自転車を漕いでいれば、世の中は変わるという期待感というか、「信仰」とすら言える。そのベースになっているのは、他者の良心に対して信頼を置いていることです。社会全体がまともに回っていくことへの信頼を、自分の取材のフィールドである台湾では感じるし、香港でもすこし前までは感じられました。中国本土においてすら、ある意味で感じるときはあります。

三浦:中国本土においてすら、ですか。

安田:はい。しかし、正直なところ日本に対しては、そういう他者の良心に対する信頼や、みんなで頑張っていけば社会は現在よりも良くなっていくという無邪気な確信を、私はまったく感じません。こういうことを言うと「お前はネガティブだ」と言われますし、ネットでは「反日分子だ」なんて言われかねませんが、そう思うんだから仕方ない。2010年代から顕著な気がするのですが、社会に何らかの深刻な問題が存在しても、それが改善されないことにみんな慣れきっている。かつ、改善されることを誰も期待していないし、自分の努力で変わるとも思っていない。

東京五輪問題やコロナ対策や行政改革……といった大きすぎる問題を挙げるまでもなく、一生活者として肌感覚の具体例を挙げるなら、保育園の入園先が見つかりにくいとか、都心部では公園ですら子どもを大声ではしゃいで遊ばせることに(クレームがこないかと)ビクビクしなくてはならないとか、仕事と子育ての両立や女性の社会進出に現場レベルでは消極的な認識を持っている職場や取引先が多いとか、公立学校の先生が忙しすぎて子どもを任せるのが不安だといった、要は「子育て世代は明らかに大変だ」という感覚が挙げられます。

現代の日本では、たかがこの程度の不利益や不公正・非効率についてさえ、それが改善するという期待を持ちづらい。少なくとも私はそうです。ならば、いわんや技能実習生や難民をや、です。「紋切り型」ジャーナリズムであれば「頑張っていかなくては」などと優等生的な意見を言うのでしょうが、個人の本音としては「極めてしんどい」と思ってしまいます。

東京を中心に活動する政財界のおじいさんたちは明らかに特定の階層であり、それ以外の場所からの話を耳に入れているか。また、耳に入っても理解ができているかといえば……。同胞たる日本国民の子どもや若者の不利益にすら向き合う意思を持たない人たちが、より理解が困難な外国人を救おうと考えるわけがありません。客観的にそう思わざるを得ない、ということです。そこにいかなるポジティブな要素を私たちは見出したらいいのか、正直私にもわからない。何か心がけておられることはありますか?

三浦:安田さんの言葉で「すごくいいなあ」と思ったのが、「自転車を漕いで」というところです。東南アジア、韓国、中国は二輪社会だと思います。漕いでいないと倒れてしまうから、みんなが必死に漕ぐ社会。だから漕ぎ続ける限りは止まらない自信もあるし、漕ぎ続けることによって安定する。日本はそういう時代を脱し、もう1個車輪を付けてみようかということで三輪にしてみた。三輪社会は、漕がなくても倒れないから、とりあえず安定した、と思っている気がします。これをヨーロッパ型の四輪的な民主主義にすると、ガソリンやエンジンなどいろいろ必要になる。日本はそこまで行けていない。

だから税金を高くして社会の車輪をもう一つ加え、安定的な四輪社会にするのか。あるいは「付けた1個が補助輪みたいで邪魔だよね」と、外すと倒れる可能性があって怖いけれど、二輪にするのか。この選択を迫られているんだと思います。

■足で稼ぐルポライターが時代に求められている

三浦:勢いはいらないから、お金はかかるけれど車検もある「安全第一」の四輪にするのか。漕がないと倒れるけれど、車検もいらないし税金もかからないということで二輪にするのか。どちらも選べないから、日本はまだ補助輪を付けた三輪でガタガタさせています。メディアがしっかりと機能して、現状はこうだ、と提示できないと、判断もできない。原発はこういう状況です、と提示できていないから判断もできず、そのための危機感も持てない。それが、今のノンフィクションやメディアに欠落した部分なのかもしれません。つまり、「安全第一」に寄ってしまい、新聞もテレビも事実をそのまま伝えられなくなってきている。

安田:「安全第一」は感じますね。

三浦:記者もどうしても役所の発表に頼りがちになってしまい、昔のようにむやみに現場に突っ込んでいかない。だからどんどんリアルから遠ざかってしまい、持つべき危機感が持てなくなってしまっている。四輪か二輪かの判断も、選択肢すら示せない。三輪車は速く走れないから、四輪車にも、そして二輪車にも追い抜かれた、それが今の日本だという気がしています。何をどうすればいいのか、もちろん簡単ではありませんが、「もっと危機感を持ったほうがいいよ」ということは言える。外国人の方々に「出て行け」と言って一番困るのは、実は言っている本人じゃない? そのことを、安田さんの本は突き付けてきます。

一方、この言葉は嫌いだけど、それによって「社会的な不利益」や「リスク」を引き受けなければいけないの? と問われれば、いけないに決まっています。リスクを覚悟するというマイナスの部分を排除してプラスだけ得ようとしても、うまくいくわけがない。先進国と言えるかギリギリの線にいる国で、ゼノフォビア(外国人嫌悪)をやられても、次の世代の人たちが困ってしまいます。そこに必要なのが、現実をのど元に突き付けるルポルタージュです。ルポライターはやはり必要なんですよ(笑)。

安田:実際、アウトプット先はあると思います。ウェブでやりやすくなってきた、という面もあると思います。

三浦:もっともっと増えてほしいですね。論はいつの時代もたくさんあるけれど、論の材料となるファクトが足りない気がしています。今は、メディアの多くが伝えるファクトのほとんどが、官庁からもらう情報を整理したものになっていて、公権力から独立し、市井に密着した地場のファクトが少なすぎる。現場に行ってお茶を飲み、梅干しを食べながら、あるいはライギョを片手に不法労働者から聞く話。それこそが、僕らが求める情報、ファクトなのではないかな。

例えば官公庁から出て来た情報は、すべて彼らの都合に合うようにできています。それを書き写していくら分析・整理しても、権力の片棒を担いでいることにしかならない。僕もライギョを持って取材対象の人に会いに行こうと本書を読んで思いました。

安田:ライギョがどこまで役立つかはさておきですが(笑)、ウェブの時代は、表に出ている情報が多いだけに、実地で取る情報はとても大事です。Wikipediaやまとめサイトに書かれていることの裏を取るだけですら価値があるというのは、肌感覚として感じます。実際、時間と手間をかけて裏取りすると、大抵は表に出ていない情報が数倍以上入ってきます。

ライギョを持参して突撃する不法滞在者のアジトについても、誰もがすぐに特定できるわけではありません。必要な方法の一つは、まず警察でしっかり聞くことです。ただ、彼らは「何丁目何番地」ぐらいまでしか教えてくれない。番地までは、地方紙の記者クラブに渡すのと同レベルの情報なので出してくれます。地方新聞は警察にしっかり取材しているので。

番地まで確定した上で、もし警察の人と仲良くなれる人ならば、集合住宅か戸建てか、壁は何色か、ぐらいまでを教えてもらうといい。もちろん、そういうことをまったく教えてくれない超冷たい県警もあります。最悪の場合は現地でピンポンを鳴らすわけです。

情報が溢れていて、すべてのものが見えているように思えますが、その先を調べるにはやはり足が必要です。そして、こういう時だからこそ、足を使うべきだと思います。

■中国取材は今後も可能か?

三浦:香港の社会は今かなり厳しい状況になっています。例えば、僕の個人的な経験からすると、中国は取材記者をがっちりマークしてきます。アフリカでの取材時、僕は中国大使館の人に何度も尾行されました。中国以外の土地なのに、彼らは尾行していることをあえて見せてきます。さらに踏み込んだこともしそうな気がして……。僕の場合はまあ、それでいいですが、安田さんのような中国ルポライターが中国に入れなくなったら、どうしますか?

安田:別に大丈夫です、というのが答えです。実際、『さいはての中国』(小学館新書)というシリーズを書いていますが、中国に行かなくても、いくらでも情報を拾うことができたりします。

ただ、事実問題としてあるのは、やはり中国本土ではまともな取材ができないことです。私がすこし前まで際どいことができた理由の一つは、大して名前が知られていないので、当局者にまだ騙しが効いた時期だったことです。もう一つは、まだ習近平政権ができて間もなかった2015年頃までは、統制はまだしも弱かった。現地で捕まったこともありますが、それ以降はちょっと危ないと思い、致命的なことはやっていません。

三浦:なるほど。

安田:今、中国本土に関しては、入国できたらもうそれでいいかな、という感じです。いっぽうで香港については、実は外国人である限りはまだまだ余裕で取材できると思います。

三浦:そうなんですか。

安田:はい。もちろん余裕と言っても、デモなどの最前線に行けば撃たれる可能性がありますし、顔に胡椒スプレーを撒かれるくらいは普通にありえます。しかし「ある日突然、ホテルの部屋に情報部員が訪ねてきて、忽然と姿が消えました」という事態は、外国人であれば可能性は低いと思います。

三浦:僕はアフリカで、中国大使館の人に「お会いしたい」と言って呼び出されたことがあります。彼らは部屋の下で待っていました。それから、安田さんが香港で撃たれた動画も以前見たことがあります。あれはゴム弾だから大丈夫だったんですか?

安田:ビーンバッグ弾でした。布の袋の中に散弾が入っているもので、顔に当たったら失明ぐらいはします。至近距離10メートルぐらいから撃たれましたが、当たりませんでした(笑)。

三浦:動画まで撮っているのはすごいですよ。

安田:たまたまです。あれだけやっているにもかかわらず、あの動画は「お前は中国の回し者だろう」などと言われたときにTwitterに出して使うだけ、という寂しい状況ですが(笑)。

三浦:僕は戦場ジャーナリストではありませんが、アフリカのブルンジで大統領の不正に反対する学生デモを取材したとき、治安部隊がデモの学生を実弾で射殺する場面に遭遇しました。僕はノート型パソコンを入れているザックで頭を隠して、匍匐前進のような恰好で泥まみれで現場から逃げ去った。安田さんの動画を見て、そのときのことを思い出しました。

安田:あのとき以外は、そんなに危ないことはありません。それから香港デモでは、メディアの人は死んでいないはずです。インドネシアの記者が眼を撃たれ、片眼を失明したようですが。

三浦:中国ルポライターは、これから身体的危険が高まるでしょう?

安田:いや、強がりは抜きで、それもあまりないと思いますね。

三浦:そうなんですね。僕は、北朝鮮の問題では感じることがあります。ご存じの通り、北朝鮮を深く知っている人ほど、北朝鮮に入国できなくなっています。一方、「ポッと出」で北朝鮮に行ける人がいる。北朝鮮を長く追っている人からすれば、喉から手が出るほど情報がほしい。行きたいでしょう。まあその辺を北朝鮮も見ているのだと思いますが。経験が浅くても、現場の写真や何気ない日常を伝えるルポは力を持ってしまうので、古参の人は悔しいだろうなと。中国で同じ状況になった場合、普通のライターは中国に入れても、安田さんは入れなくなるんじゃないか、と。

安田:どちらにしても中国は、もともとかなりジャーナリストを警戒しています。まともなビザや記者証を持っている人なら、さすがにいきなり殺されることはありません。それは中国自身にとってもリスクが高いので、やられにくい。最近も、毎日新聞中国総局長の米村耕一さんが新疆ウイグル自治区での取材に成功なさっているので、どちらにしても中国のディープな取材は、実は組織ジャーナリズムに可能な仕事だと言えます。

私自身のことで言うと、中国に限らず、深刻な問題を真正面から取り上げるような機会は実はそんなに多くありません。『八九六四』は例外的に取り上げていますが、どちらかと言うと、私は捻った取材、変わった取材をすることが多いので。

■ルポライターを名乗るワケ

三浦:安田さんはそもそもなぜ、ルポライターになったのでしょうか?

安田:実はそれ、言ったら怒られるような理由なんです。私が中学生の頃、内田康夫さんの推理小説・浅見光彦シリーズが好きだったんですが、主人公の浅見はルポライターなんです。

難事件が起こったとき、現場を嗅ぎまわる怪しげな奴がいて、警察がショッピいて「何やってんだ」と訊く。すると「僕はフリーのルポライターで……」と話が進むんですが、それを読みながら、そうか「フリーのルポライターって、訳のわからないことをしてもいい仕事なんだ」と。しかも作中の浅見はソアラに乗ったり女性にモテたりしているので、どうやらこの仕事でもメシを食うことができるらしい(笑)。その後、私が浅見と同じ33歳になった時、「ああ、自分はもしかして似たようなことをやってるのではないか」と思い、中学生時代の夢を叶えるチャンスだと、以来「フリーのルポライター」を名乗るようになりました(笑)。

三浦:ハッハッハッハ。面白いね。昔、武田鉄矢さんが演じた『刑事物語』という映画がありました。寅さんの刑事バージョンのような作品です。全国各地で起こる事件に関わり、失敗や失恋をしては次の任地に移っていく。何かそういうことを新聞記者版でイメージしていたところが、僕にもあります。東京や大阪でなく、青森とか四国とか、あるいは沖縄とかを転々として仕事をしたいなと。

僕はルポライターに憧れていたから「ルポライター」と名乗りました。

安田:なりたいイメージを追求するのは良くないですか。何をやっているかわからなくても、「フリーのルポライターです」と私はこれからも言い続けたいです(笑)。

三浦:沢木耕太郎さんや近藤紘一さんの作品を読んだとき、これがフィクションではなく事実なのだということを知ってワクワクしました。人生の先に、こういう世界があるのかもしれないと予感させてくれるワクワク感です。安田さんもそうだと思いますが、僕はその楽しさを自分でも実感しているわけです。だから若い人にも、こういうところに飛び込んでいけるんだ、とワクワクしてもらえたら嬉しい、という思いがあります。

■「リスクコントロール」をルポで突破する

三浦:とはいえ、メディアは今ガチガチに固められて、相当息苦しくなっています。

安田:メディアだけではないかもしれません。

三浦:そうですね。社会全体がコンクリートのようにガチガチになって固まりつつある。その固まりの正体は、たぶん「リスクコントロール」でしょう。誰もがリスクを恐れる社会。でも、リスクのない社会なんてありません。僕らみたいな仕事は、もうリスクの塊です。失敗もするし、人も傷つけるかもしれない。けれども、ガチガチに固められたコンクリートの部屋で生きていくのは息苦しい。それを突破してみせるのが、もしかしたら、ルポライターの仕事なのかもしれません。

だから資料を全部並べてインタビューで構成するよりも、大切なのは身体性だと思っています。自分がまずその中に飛び込んでいく。そこで先にも述べた、文章にならない味覚や温度などを、五官をすべて使って取り込むことで作品を豊かにしていく。この国には3万人も記者がいるのですから、もっともっとやらないと。

安田:記者が3万人!? ベトナム人不法滞在者の倍もいるじゃないですか(笑)!  

ルポルタージュの話に戻ると、ガチガチのリスクマネジメント社会においてもなお、本当にリスクを負う局面というのはあり得るわけです。そのリスクも自分できちんと納得した上で、あえて行えるところに、自由があります。それこそが、本当の自由だと思います。自由を行使することは、こういう世の中だからこそ大事だと思うんです。

例えば、アフリカゾウの密猟組織に密着していくリスクも当然ありますし、中国で何らかの取材をするリスクもあります。今だと、コロナ禍の世の中ですから、外出して取材をするだけでも何らかのリスクを負うわけです。特に、「群馬の兄貴」ハウス取材などは、いろんなリスクがあるはずです。ただ、それをわかったうえで、私は行っています。私は周りに流されていつのまにかズブズブと危険を冒すのは大嫌いなので、普段はむしろマスク着用や手洗いなどにかなり気を付けるほうです。飲み会で「上司がマスクを外しているから」みたいなノリで、自分の意思を他者にゆだねる形で危険に身を晒すようなことは絶対に嫌です。でもここ一番、どうしてもそうせざるを得ない場合に、私は自分の判断として、もっと大きなリスクであっても負う。それは構わないと思っています。

三浦:愚行権の尊重ですね。

安田:はい。こんな世の中だからこそ、「自由」という人間の権利を行使するべきです。特にルポルタージュを書いていると、客観的にどれだけ社会が不自由さに覆われているかが、見えるように思います。あえてそれを行うことに意味があるのではないでしょうか。

■インタビューでは表せないリアルを描く

三浦:インタビューでは引き出せないものを書く。ルポに対するイメージとして、それを僕は持っています。インタビューで過去のことを話すとき、美しく語ってしまうのが人間という動物です。感動するだろう? 面白いだろう? と示したい姿勢が出てしまう。ところが、そこに同席してみると、取材対象の人が実際はもっと恰好悪かったり、みっともなかったり、より人間臭かったりするわけです。

現代は、あるいは「インタビューの時代」と呼べるかもしれません。Zoomなどを使えば、遠隔遠距離でもインタビューが可能です。だからこそ、同席したルポライターが、言葉によらない五感でその人を描くことに意味があります。描かれたほうも、書いた人が横にいたのは事実だから、ぐうの音も出ない。

安田:その場にいることは、本当に重要です。

三浦:僕が取材した被災地では、震災6日前に結婚式をあげたものの、震災直後に夫(新郎)が亡くなってしまった新婦がいました。新婦のお腹には赤ちゃんがいて、その子を震災後の7月に出産するところに僕は立ち会う。なぜ立ち会ったかというと、後でインタビューして「旦那のために産みました」「涙の後に出会った命です」などという話を聞くのが嫌だったからです。もちろん、新婦の方には抵抗がありました。取材で仲良くなっていたのですが、当然、悩まれていました。そこで、「出産の15秒後を撮らせてください」とお願いをしました。最後には、何とか承諾していただき、分娩室の前で新婦の母親、亡くなった新郎の母親、僕の3人が子どもの誕生を一緒に待つことになりました。

安田:すごいですね。諦めずにその代替案を提示した三浦さんもですが、承諾された新婦の方の勇気がまた素晴らしい。

三浦:本当にそうです。いざ出産の際、「痛い! 痛い!」と叫ぶ新婦の声や、「まだ! まだ!」などと強く励ます看護師の声が聞こえる。二人の母親は「私の時より怖いわ」などと話しながらも、その間ずっと祈っていました。

「分娩室を開けた瞬間の顔を撮るので、最初に僕を分娩室に入れてください」と打ち合わせていましたが、いよいよ「生まれた!」となったとき、そりゃそうなんですが真っ先に妊婦の母親は分娩室に飛び込んでいきました。僕が入るとすでに赤ちゃんを抱っこし、「可愛い」「可愛い」のオンパレードです。分娩室が暗いこともあり、そのうえユサユサ揺れているので、赤ちゃんの顔がよく撮れません。これは大失敗をしてしまったと思いつつも、出産を終えた妊婦の姿を撮ろうとカメラのレンズを振りました。すると、ピンクの分娩台の横に、亡くなった旦那さんの位牌と遺影が置いてある。母親は、遺影と位牌に挟まれて、子どもを産んだんです。その時、気持ちがこみ上げ「これを撮っていいのか?」と思いながらも、同時に気づきました。「ああ、もしかしたら子どもが最初に見た風景はこれじゃないか」と。インタビューだったら、このような気づきは出てきません。

安田:出ません。現場にいないと絶対に出ない。

三浦:ルポルタージュだと、彼らが語ろうと思っていないリアルが見えてくる。だから、インタビューでは出てこないものが書ける。今は多くの人がインタビューが真実のように思っているけれど、実際は違う。それはある意味、話す人が主観的に作った物語です。一方、ルポライターは作られない過去を書く。しかもそれはめちゃくちゃ面白い。

安田:今はすごく自己演出をしやすい時代です。その気になれば、SNSなどのアウトプットの場で本人とはまったく異なる人格を作り上げることだって簡単です。私自身、主要な受け手の層が異なるFacebookの公式ページとTwitterでは人格を切り替えて振る舞うようにしていますし、極端なことを言えば、Vチューバーなどでいきなり美少女になることだって可能なのです。いくらでも自己演出ができてしまう。

情報だけを得たいなら、インタビューのほうがいいかもしれません。取材もZoom でできます。ただ、事務所で取材するのであれば、椅子の後ろにどんな本が並ぶかも演出の手段になります。発信者の側で都合良く自己演出ができてしまう。そのような時代になりつつあるからこそ、生で会わないといけません。会わないとわからない話は、いくらでもありますから。

三浦:その通りですね。そういう意味でも、次はぜひ安田さんにリアルでお会いしてみたいです。

KADOKAWA カドブン
2021年06月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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